七たび歌よみに与ふる書

明治三十一年 二月二十八日  正岡子規


前便に言ひ残し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば直ちに俗気を聯想するが如く和歌といへば直ちに陳腐を聯想致候が年来の習慣にて、はては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。斯く感ずるもの和歌社会には無之と存候へど、歌人ならぬ人は大方箇様の感を抱き候やに承り候。をり/\は和歌を誹る人に向ひてさて和歌は如何様に改良すべきかと尋ね候へば其人が首をふつて、いやとよ和歌は腐敗し尽したるに、いかでか改良の手だてあるべき、置きね/\など言ひなし候様は恰も名医が匙を投げたる死際の病人に対するが如き感を持ち居候者と相見え申候。実にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰へたれ形骸は猶保つベし、今にして精神を入れ替へなば再び健全なる和歌となりて文壇に馳駆するを得べき理を保証致候、こはいはでもの事なるを或る人が、はやこと切れたる病人と一般に看做し候は如何にも和歌の腐敗甚しきに呆れて一見して抛棄したる者にや候べき。和歌の腐敗の甚しきもこれにて大方知れ可申候。

此腐敗と申すは趣向の変化せざるが原因にて、又趣向の変化せざるは用語の少きが原因と被存候。故に趣向の変化を望まば是非とも用語の区域を広くせざるべからず、用語多くなれば従って趣向も変化可致候。ある人が生を目して和歌の区域を狭くする者と申し候は誤解にて少しにても広くするが生の目的に御座候。とはいへ如何に区域を広くするとも非文学的思想は容れ不申、非文学的思想とは理窟の事に有之候。

外国語も用ゐよ、外国に行はるゝ文学思想も取れよと申す事に就きて日本文学を破壊する者と思惟する人も有之げに候へども、それは既に根本に於て誤り居候。たとひ漢語の詩を作るとも洋語の詩を作るとも将たサンスクリツトの詩を作るとも、日本人が作りたる上は日本の文学に相違無之候。唐制に摸して位階も定め服色も定め置き唐ぶりたる冠衣を著け候とも、日本人が組織したる政府は日本政府と可申候。英国の軍艦を買ひ独国の大砲を買ひ、それで戦に勝ちたりとも運用したる人にして日本人ならば日本の勝と可申候。併し外国の物を用ふるは如何にも残念なれば日本固有の物を用ゐんとの者ならば、其志には賛成致候へども迚も日本の物ばかりでは物の用に立つまじく候、文学にても馬、梅、蝶、菊、文等の語をはじめ一切の漢語を除き候はば如何なる者が出来候べき。源氏物語、枕草子以下漢語を用ゐたる物を排斥致し候はば日本文学ば幾何か残り候べき。それでも痩我慢に歌ばかりは日本固有の語にて作らんと決心したる人あらば、そは御勝手次第ながら其を以て他人を律するは無用の事に候、日本人が皆日本固有の語を用ふるに至らば日本は成り立つまじく、日本文学者が皆日本固有の語を用ゐたらば日本文学は破滅可致候。

或は姑息にも馬、梅、蝶、菊、文等の語はいと古き代より用ゐ来りたれば日本語と看做すベしなどいふ人も可有之候へど、いと古き代の人は其頃新しく輸入したる語を用ゐたる者にて、此姑息論者が当時に生れ居らばそれをも排斥致し候ひけん。いと笑ふ可き撞着に御座候。仮に姑息論者に一歩を藉して古き世に使ひし語のみ用ふるとして、若し王朝時代に用ゐし漢語だけにても十分に之を用ゐなば猶和歌の変化すべき余地は多少可有之候。されど歌の詞と物語の詞とは自ら別なり。物語などにある詞にて歌には用ゐられぬが多きなど例の歌よみは可申候。何たる笑ふ可き事には候ぞや。如何なる詞にても美の意を運ぶに足るべき者は皆歌の詞と可申、之を外にして歌の詞といふ者は無之候。漢語にても洋語にても文学的に用ゐられなば皆歌の詞と可申候。

(明治三十一年二月二十八日)




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