八犬伝物語
日本児童文庫 八犬伝物語
土田杏村訳
はしがき
『八犬伝』の本の詳しい名前は、『南総里見八犬伝』と申します。徳川時代の末頃に生きてゐた滝沢馬琴のかいた有名な小説です。馬琴はその他にも沢山の小説を書きましたが、この八犬伝がまづ最も有名だといつてよろしいでせう。馬琴が四十八歳の春にその第一冊目を出し、それからずつと筆をつゞけて七十五才の時におしまひの本を出しました。その間二十八年かゝつてをりますが、これだけ長い年月の苦心によつて出来上つた小説も珍らしいでせう。だん/\おしまひに近づく頃馬琴の眼病がひどくなり、つひには全くの盲目になつて、自分で字をかくことも出来なくなりましたから、口でいひ息の嫁に筆記させて、まだ小説をつゞけてゐました。全体で百六冊あり、大へんの大きさです。おそらく私のこの物語の何十倍かあるでせう。その大きな小説の話を、この一冊に縮めてかいてみました。
土田杏村
目次
八房の手柄………………………………………三
伏姫の死……………………………………………一五
番作と蟇六…………………………………二二
村雨丸の銘刀…………………………二七
円塚山の寂寞道人………三四
芳流閣上の捕り物………………四六
胡那屋の客人………………………………五六
小文吾の難儀…………………………………六六
親兵衛の神隠し……………………………八〇
庚申塚の四犬士…………………………八八
刀を売る浪人…………………………九九
犬山道節の復讐……………一〇八
炉を隔てた敵………………………………一一三
音音の茅屋…………………………………一二五
嵐山の名笛……………………………一三七
馬加大記…………………………………………一四六
対牛楼の女田楽…………一五三
庚申山にすむ魔物……………………一六七
大角の山猫退治…………………一七九
指月院に籠る人々………一九○
相模小僧の勇戦……………………一九五
大樟樹の空洞……………………………二〇六
伏姫に養はれた神童………二一八
白川山の虎退治…………………二二七
里見家の八犬士………………………二四一
扉
八犬伝物語
扉裏
装 幀・恩地孝四郎
口絵挿絵・水島爾保布
1
八房の手柄
2
太平洋へ長く突き出てゐる安房の国のとある海岸、そこへ落人をのせてよつて来た一艘の小舟がある。
3
乗つてゐる主従三人。主人の里見義実はその頃まだ又太郎御曹司とよばれてゐたが、父の里見季基は、結城氏朝と共にその主鎌倉管領足利持氏の残して置いた子供、春王、安王を奉じて結城城に立て籠り、いさぎよいいくさをして、城の落ちる時に戦死をしたのだ。又太郎義実は父のかたいいひつけで、戦死することをやめ、日頃仕へて来た老臣の杉倉木曾介氏元、堀内蔵人貞行だけを従へて、かこみを斬りぬけ、舟を見つけ、こゝ安房の国へ遁れて来たのだ。
4
その頃安房の国には、三人ゐた領主の安西氏、麻呂氏、神余氏のうち、神余氏はその家来のために打ち滅されて、安西景連は館山の城に、麻呂信時は平館の城に領主となつてゐた。里見義実は、ひとまづ安西景連を頼つて行かうと思つた。景連は力は強いが、道理のわからない領主である。欲張り一方の麻呂信時と相談し、よい加減に義実をあしらつて、
「この三日の間に鯉を釣つて来るものならば、助けいくさをしよう」
などといふ。安房の国の川には、何故か鯉がすんでゐないのだ。
5
義実はそれでも釣りの道具を持つて、川のほとりで釣りをしてゐる。ふと見ると、乞食のようななりをした汚い男が、唄をうたひながらふら/\とこちらへやつて来た。唄をきけばどうやら自分のことをいつてゐるようだ。乞食は義実の笠を覗き込んで、
「殿は何を釣らうと思し召すか」
と問ふ。
「や、鯉をお釣りでござるか。鯉は、安房の国の川にすむことが出来ぬと見えますわい。いかに里見の御曹司でも、安房の国へまゐつては、身を寄せる城を持たぬと同じことでございませうぞ」
と面白そうに笑ふ。その言葉に義実主従は驚いて、油断せず乞食の方を見かへすと、乞食は急にうしろへ下がり、土の上に平伏して、
「然らばやはり里見の御曹司でございましたか。かく申す私は、神余光弘の家来、金椀八郎孝吉と申すものでござります」
といふ。さて金椀ののべる話は、次ぎのようなものであつた。
6
神余光弘は滝田の城に住み、安西、麻呂と並んで安房の領主であつたが、わるい家来の山下定包を重く用ひた。定包は、主人の光弘のお側につかへてゐるわるい女の玉梓と相談をし、主人を殺し城を奪はうとたくらんでゐた。その定包のわるいたくらみを知り、定包を殺さうと思つてゐる外の家来や百姓もある。ある時定包は光弘にすゝめて鷹狩りに出たが、途中で自分の馬を主人にすゝめる。馬をめあてに定包を殺そうと思つてゐた忠義の百姓達は、間違へて主人の光弘を殺してしまつた。定包はそれをよいことにし、主人の城を奪ひ取つて、自分が滝田の領主になり、玉梓を奥方にしたのである。
7
金椀は、その殺された神余の家来である。金椀は義実にすゝめて定包を攻め、主人の仇をむくいたいと思ふのである。滝田の近くには昔の主人の神余を慕つてゐる百姓達もあるから、金椀はいろ/\と謀を立てゝ、その百姓達をあつめる。義実は大将となつて、急に滝田の城の分れである東条の城へ攻め寄せ、一晩のうちに攻め取つた。さて次ぎに定包の立て籠つてゐる滝田の城へ打ち寄せ、これも相当に骨を折つて、攻め落してしまつた。
8
定包は自分の家来に裏切りせられ首を取られたけれども、奥方の玉梓は生け捕りにせられた。玉梓は金椀に頼んでいのち乞ひをした。
「もとより私に罪はございませうが、女の私を殺して何のやくに立ちませうぞ。許されさへすれば、私は故郷へかへらうと思ひます」
と頼んだけれど、主人の神余が滅ぼされたのも、もとはといへばこの女の謀からであつたとすれば、金椀は玉梓を助ける気になれない。義実に「ぜひぜひ」と申し上げて、玉梓を殺すことにした。玉梓は、
「これほど頼んでもきかれないものならば、殺しても見よ。いづれ怨みは晴らしませう」
と。ものすごい目で義実や金椀をにらみながら、美しい首を打たれた。
9
義実は、今度のいくさで手柄のあつたものにそれ/゛\、褒美を取らさうとする。なんとしても金椀の手柄が第一である。その上金椀は神余の家来といふものゝ、もと/\神余の一族でもある。この人に誰よりもあつい褒賞を与へようとすると、何を思つたか金椀はその褒賞を受けようとしない。いや、それどころか、ふいに腰刀をぬいて自分の腹へつき立てた。
10
義実の家来は驚いて金椀のまはりへかけつけ、切腹をとゞめようとすると、
「いやこれには深いわけがござる。定包を打ち取るつもりで、かへつて間違つて主人の神余を殺したものは、この金椀の昔の家来達でござつた。その罪を償ふためには、この金椀はこれで切腹しなければなりませぬ」
といつて、刀をなほも深く突き立てるのである。その時義実は、隣りの部屋から家来に一人の子供をつれて来させた。
11
この子供は金椀の子であつた。金椀が自分の家に仕へてゐた一作といふ仲間の家をたより、その一作の娘と夫婦になつて住んでゐた時に生れたのが、この子供であつた。その後金椀は、主人の讐をむくいるために方々をかけ廻つてゐたので、一作の家へ帰ることもない。今金椀が義実の助けで定包を攻め滅ぼしたことが一作の家へも聞えたので、その子をつれてたづねて来たのだ。
義実は金椀に向ひ、
「金椀、そちの手柄はそのまゝ子にゆづり、この子の大きくなつた時に東条の城を譲らうと思ふぞ。この子には金椀大輔孝徳といふ名を義実がつけようと思ふ。そちは安心して死ぬがよい」
といふ。金椀が息を引き取らうとする時、義実はさきに玉梓の死ぬときにいつた言葉を思ひ合せてゐた。
12
滝田の城が義実に攻め滅ぼされて間もなく、麻呂の城の平館は安西に攻め滅ぼされ、今では安房には滝田の里見義実と、館山の安西景連とだけが領主としてあるようになつた。
13
しばらく戦もなく、義実は上総椎津の領主の息女を奥方として迎へ、長女の伏姫を生み、次ぎの年に男の子、二郎太郎を生んだ。二郎太郎は、後に安房守義成とよばれる人である。
14
伏姫は生れて間もなく、夜も昼も泣いてゐてむづかしい子であつた。もう三歳になるけれど、ものをいはない。その頃安房に州崎の明神といふ社があつて、そのうしろに役の行者の石窟があつた。義実の奥方はこの石窟へ家来を参詣にやつて、伏姫の立派に成人することをお願ひしてゐたが、ある日伏姫は参詣の途中で、八十ぐらゐの老人に逢ひ、その老人より水晶の数珠を貰つた。
「この子は生れながらに不幸がつき纏つてゐるから、この数珠を取らせよう。この子は不幸であるが、その後、この数珠の助けで、里見の家にまた幸福が来るであらう」
と老人はいつて立ち去る。役の行者が、この老人の姿を借りて出現したのであらうか。数珠の八つの大きな玉には、一つ一つ仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌といふ立派なわけのある言葉の、一つ一つの文字が刻まれてゐた。それより後伏姫は立派に成人して、もう十一二歳になつた時には、日本や支那のむづかしい書物などをさへ読むようになつた。
15
その頃のことである。長狭郡の富山といふ山の麓に技平といふ百姓がゐて、その家の犬が牡の仔犬を生んだ。たゞ一匹だけ生れた仔犬であるから、からだも大きく骨もたくましい。七日ばかりたつた夜、狼がはひつて来て、その母犬を喰ひ殺した。さて技平は野良の為事に出るので、食べ物を与へることなども不便がちであるけれど、犬は餓ゑた様子もなくすく/\と大きくなつて行く。これはたゞごとではないと、よく見てゐると、夜滝田の方から鬼火のようなものが飛んで来て、さてそのあとで年のいつた狸が仔犬のところへはひつて来、仔犬に乳をやつてゐるのだ。仔犬はこの狸を母にして、大きく育つて来たのである。
16
このことがあたりの評判になつてゐた。里見の老臣の堀内貞行は、東条の城を守つてゐて、滝田の城へまゐる途中この話を聞き、珍らしいことだと思ひ、義実へ申し上げた。義実は、「さうした強い犬ならば、伏姫の番をさせるに何よりよからう」と、技平にその犬を献上させて、八房といふ名をつけ、寵愛した。牡丹の花に似た毛色が美しかつた。伏姫も昼となく夜となく、その八房をそばに置いて寵愛し、八房と友達になり遊びながら大きくなつて行つたのである。
17
館山の城主安西景連の領地では、ある年不作で百姓達が苦しんだ。里見義実は情深い領主であつたから、安西の百姓達の苦しんでゐるのを気の毒に思ひ、米五千俵を安西に貸してやつた。ところが次ぎの年には、安西の領地では豊作であるけれども、里見の領地では大へんの不作である。義実は別段貸した米を催促するつもりはないけれど、安西が今度は多少米を貸してくれないものでもないと思ひ、まだ二十歳になつたばかりの金椀孝徳を使者として、安西の城へやり、そのことを頼んで見ると、安西はこのをりに里見を打ち滅ぼし安房一国を領地にしようといふ悪い考へを立てゝ、金椀孝徳をそのまゝ俘虜にし、二千余騎の軍勢を集めてふいに滝田の城へ攻め寄せた。
18
金椀は俘虜になるような男でもないから、安西の城を破つて外へ遁れ出た。一方滝田の城では、安西にふいに攻められて城を防ぐ準備もなく、第一不作のために兵糧の支度が出来てゐないから、城兵はたべるものが十分でなくて、このまゝでは城は攻め落されるより外に致し方がない。里見義実も、もうこの上は安西の軍勢の中へ打つて出て、打ち死にしようと決心した。
19
鎧をつけた義実がもう斬り死にと覚悟をした目でふと前を見ると、愛犬の八房が、これも心配そうにそこにうづくまつてゐる。
「この八房が敵の首を取り得るものならば、一同どんなにか悦ばしく思はうに。犬ながらも、手柄は第一として、望みのものを与へようぞ」
と冗談ながらに犬の頭をなでると、犬は元気そうに頭をあげ、今にも敵陣へかけ出しそうである。
「八房はなにが望みであるぞ。魚肉か。領地か。息女の伏姫かな」
と冗談ながらに犬の頭をなでると、伏姫といふ時犬は嬉しそうに尾を振つてゐる。
「さうか。八房も伏姫の婿になりたいと申すか。敵将景連の首を取つて来るものならば、八房でも伏姫の婿にしてつかはさう」
と義実がいへば、八房は一層元気そうに尾を振つてゐる。
20
その夜義実は、士卒をあつめ、今宵限りの別れに、酒もない水だけの酒盛りを開いてゐると、ふいに物すごい息を立てゝ飛び込んで来たものがある。
「や、や、殿。八房が景連の首を取つて来ましたぞ」
と、驚きながらあげた家来の声に、義実も目をこらして見れば、いかにも八房の口には血まみれになつた敵将の首がくはへられてゐる。その時敵陣の方でも急に騒々しくなつて、大将を失つた安西の軍のうろたへる声が聞える。義実は軍勢を率ゐて打つて出で、大将のない安西の軍を縦横に斬り立て、大勝利を占めた。
21
伏姫の死
22
安西が滅んで見れば、安房一国は里見のものである。里見の家は、これから万々歳といつてもよい。ところがその里見の家にも一つの難儀が起つてゐる。今度のいくさに第一の手柄を立てたものは、なんといつても八房であるが、義実は八房にいつた約束をどうするであらうか。義実は、手柄を立てた犬を大事に思ひ、犬養の役人までつけて可愛がるけれども、八房はそれでは少しも嬉しそうな顔をしない。日に日に機嫌をわるくして、家来たちの手にをへないあばれ方をするようになつた。ある日家来たちが八房を追つ立てゝゐると、八房はおこつた勢ひで伏姫の部屋へ走り込み、姫の袂に脚をからみつかせて、恐ろしい唸り声を立てゝゐる。義実もたまりかねて槍を持ち出し、犬を突き殺さうとすると、姫はそれを押しとゞめ、
「たとひ冗談にもせよ約束をした上は、それを守らねば、この上いくさの指し図をすることも出来ないでございませう。わたしはもうかうした不運に生れついたものと思ひあきらめ、犬と一しよに山へ遁れませう。父上母上も思ひあきらめて下さるように」
と願つた。義実はさすがに返す言葉もない。伏姫は人々の悲しみの眼をあとにして、八房に随ひ、静かに城を立ち出でる。城もうしろに見えなくなると、八房は自分の背に姫をのせ、飛ぶ鳥よりも速く走つて、富山の奥深く駈けていつた。
23
義実夫婦の心には、姫を失つたこの悲しさがいつまでも生きてゐる。富山の奥へは、樵や猟師にも立ち入ることを固く禁じてしまつた。その富山には、人の渡ることの出来ないといふ山川があつて、その向うには、樵や猟師もこれまではひつたことのない秘密の場所がある。伏姫はそこの石窟を住む場所と定め、あけくれお経をよんでゐた。たゞ大事に思ふは、頸にかけた水晶の数珠である。八房もそのお経を聞くものゝように、行儀よく姫の側に坐つてゐた。かうして一年の月日がたつた。姫は近頃病気になつてゐた。この上は親にも逢はず、八房と共に身を山川へ投げて死なうと決心してゐるのである。
24
義実の奥方も同じ頃病気になつてゐた。この上は伏姫に一目逢つて死にたいものと悲しんでゐた。義実は夢に伏姫のようすやそこへ通ふ山路を見た。同じ時に、東条の城にゐた堀内貞行も、殿に随つて富山へ入る夢を見た。義実も今はひそかに伏姫を訪ねて行く心になつた。富山の麓の大山寺を参詣するといふことにして、貞行だけを随へ、ひそかに富山の奥へ分け入つた。
25
話は前へかへる。館山の安西へ米を借りに行つた金椀大輔孝徳は、敵城から危ふく遁れ出たものゝ、安西の陣を突き破つて里見の城へ帰ることもならず、日を過してゐるうちに、安西は打ち滅ぼされてしまつた。金椀はおめ/\と里見の城へ帰ることもならず、一作の親戚の百姓を頼つて、そこに隠れてゐた。城へ帰るについては、お土産に何か一つ手柄を立てなければならない。その時聞いたのが伏姫の話である。大輔は鉄砲を手にして、富山の奥深く忍び入つた。人の渡れないといふ山川も、思ひの外にたやすく渡れた。見るとそこには伏姫が何か物を書いてゐて、側にさびしく犬の八房がうづくまつてゐる。大輔は鉄砲のねらひを定めた。
「どーん」
26
山の霧を動かして一発の鉄砲の音がした。その煙りの中から大輔は飛鳥のようにかけて出て、なほも鉄砲で五六十八房を打ちたゝいた。八房は憐れにも脚下に死んでゐた。さて伏姫はと見返つた時に、大輔は思はず声を立てなければならなかつた。伏姫までが、さきの弾丸の余りに打たれて死に絶えてゐるのだ。大輔はいろ/\と介抱して見るけれど、生きかへらない。この上は自分も腹かききつて殿へのお詫びをしようと、刀を抜き脇腹へ突き立てようとした時に、ふいに持つ手がしびれて刀を取り落した。何人かの射た矢が、刀を持つ手の臂を射かすつたのだ。
「大輔しばらく待て。すべては見てゐた」
といつて木陰から出て来たのは、貞行を随へた殿の義実である。大輔は思はずその前に平伏した。
「大輔、姫も死ぬ覚悟でゐたことは、こゝに書いてあるものでわかるぞ。それにしても可愛そうなのは姫だ」
とおつしやつて、水晶の数珠を押し戴き、伏姫を介抱するに、伏姫は僅に息を吹き返した。伏姫はその苦しい息の中から、死の覚悟をしたこと、死後はこのまゝ富山に埋めて貰ひたいことなどを遺言して、護り刀を引き抜き、腹へぐざと突き立てると、不思議にもその瘡口から白い煙りのようなものが立ちのぼつて、姫の首にかけてゐた数珠を取りつゝみ空中へのぼつたと見る間に、数珠の糸はきれ、小さな珠は地上へ落ちて来たけれども、大きな八つの珠だけはそのまゝ星のような光りを放つて、いづこへか飛び去つてしまつた。義実主従はまことに不思議の心で、それを見送つてゐた。
27
姫の息が絶えた時に、大輔はまたも刀を取つて腹に突き立てようとする。義実は、
「その死はならぬ。この身がそちの身のきまりをつけよう」
と、刀を取りうしろへ廻つて、大輔の首を打つかと見れば、地上に落ちたものは大輔の髪であつた。
28
義実ははじめ伏姫を大輔の妻にする考へであつた。今はその大輔に伏姫のあとを弔はせようといふのである。髪をきつた大輔は、殿の慈愛に感謝しつゝ、その名を丶大法師と改めた。犬といふ字を二字に分けた名である。丶大法師は、飛び去つた八つの玉をさがしに出かけることゝなつた。
29
伏姫はその石窟に葬られた。八房もその近傍に葬られた。義実が山を下る途中で、奥方もまた病の床に死んだといふことをしらせる、いそぎの使ひに出あはなければならなかつた。
30
番作と墓六
31
結城の城が落ちた時、鎌倉管領足利持氏の遺して置いた二人の子、春王、安王は捕へられて、京都の将軍へおくられた。
32
持氏の近習に、大塚匠作三戍といふ武士がゐた。結城の城の戦ひではもちろん勇ましく敵を防いでゐたけれども、主人として奉ずる春王、安王が捕虜になつた今は、京都へ送られる途中でなんとかしてこの二人を奪ひ取らうと考へた。今年十六になつた子の番作一戍を呼びよせ、
「父はもはや老年であるから、いかなる危険をも冒して若君達のあとを追はうと思ふ。この刀は村雨といつて、足利家に伝はつた大事な刀であるが、今自分の手にあるからそちに預ける。主君のあとをさがし求めて、この刀を奉り、持氏卿のあとを立てるように。そちの母と姉の亀篠は、武蔵の大塚の知り合ひの家にあづけて置いたから心配はない。この遺言を決して忘れるな」
といつて春王たちのあとを追つていつた。宿々で奪ひ取らうと思ふけれども、番をしてゐるものにもいさゝかのすきもない。そのうちに京都の将軍家から使者が来て、春王、安王は美濃の国で首を打たれ、首だけ京都へ送られることになつた。今は匠作の苦心もむだとなつた。
33
春王、安王の首が打ち落されるのを見た匠作は、大音をあげてその場へ斬り込み、見る間に首を打つた男の首を打ち落した。それを見た敵の武士たちは、みな匠作を取り囲んで四方より斬りかけ、匠作も憐れにそこで打ち死にしてしまつた。その時また見物の中から、大音をあげて斬り込んで来たものがある。それは匠作の子の番作であつた。番作は春王、安王の首の外に父匠作の首をも奪ひかへして、敵の激しい刃の下を潜り、大勢を斬り伏せ遁れて行つた。
34
番作は山寺に泊つて、そこで坊主の姿をした盗賊を殺し、盗賊に捕へられてゐた女を助けた。この女の父は、自分の父の匠作とも親しい友達であつた。番作はその女と結婚し、それから方々を流浪して歩いた。大塚と名乗つて敵に知られることを恐れ、大塚の大の字に点を打つて犬塚と呼び、諸方に隠れ住んでゐた。
35
管領持氏には、春王、安王の外になほ一人の子供が残つてゐた。信濃の国に遁れてゐたのを長尾判官昌賢が聞いて、諸将と相談し、さがし出して鎌倉へ迎へ取り、関東八州の主と仰ぎ、成氏卿と申した。その後また鎌倉が乱れて合戦が始まり、成氏は下総の滸我に遁れ滸我御所と申した。滸我御所は、昔、父の持氏についてゐた家来たちを集め寄せられてゐる。
36
大塚の地には、大塚匠作の子の亀篠が匠作の妻と一しよにかくれてゐた。亀篠は番作の姉である。けれども番作とは違ひ、心の汚ない女であつた。母が死んだ後に、その近傍にゐたごろつきのような男の蟇六と結婚し、蟇六は大塚の姓を名乗つて自分を大塚蟇六と呼んでゐた。滸我御所が昔の家来を探してゐることを聞いて、訴へて出た。成氏はこんなごろつきを重く用ひるわけにはいかないが、父匠作の手柄を思ひ、村長にして刀をさすことを許し、広い土地を褒美に与へた。蟇六は家を立派にし人をたくさんに使ひ、威張つてみたけれども、根が感心出来ない夫婦であるから、誰一人爪弾きしないものはない。
37
諸方を流浪してゐた忠臣の番作は、貧乏の上に病気となり、大塚の地へ帰つて来た。見れば姉の亀篠が蟇六などいふ男を婿に迎へ大塚の姓を名乗つてゐる。けれども今更訴へて出て褒美を貰ふ考へもない。あたりの人は番作を気の毒がつて、蟇六の向ひの家が明いてゐるのを幸ひ、そこに住まはせてくれた。番作はあたりの子供に手習ひなど教へて、そこで月日を送つてゐた。
38
番作夫婦は滝の川の弁才天にお参りをして、立派な男の子を生んだ。けれどもその前に何人も男の子を死なせた後であつたから、その子に女の子の着物を着せ、名前も信乃とつけて、すべて女の子のようにして育て上げた。またこのお参りに行く途中で、可愛らしい狗の子が途に捨てられてゐるのを拾つて帰つたが、これも立派な犬に育つて行くから、それに与四郎といふ名前をつけ、信乃と一しよに可愛がつて育てた。
39
蟇六の家でも子供が生れない。仕方がなく、綺麗な女の子を貰つて育て上げた。犬を幾匹も飼つて見るけれど、みな与四郎に噛みふせられ、殺されたり片輪になつたりしたので、この上は猫を育てようと思ひ、牡猫を一匹貰つて、これに紀二郎といふ名をつけ可愛がつて育てた。番作の子の信乃はやはり女の着物を着、すべて女の子のようにして育てられた。けれどもすることがどこまでも勇ましく、強い犬の与四郎の背にまたがつて遊んでいる。母親は早く病気で死んで、父親と二人暮らしになつてゐた。信乃は成人して、はや十一歳になつた。
40
村雨丸の銘刀
41
番作の近傍に、糠助といふ百姓が住んでゐる。ある日蟇六の家の紀二郎猫が、その糠助の家の屋根の上で友猫と喧嘩をしてゐて、ころ/\と下へ転げ落ちると、そこには与四郎犬がゐて紀二郎猫に飛びつき、見る間に紀二郎猫を噛みたふした。さあ大へんだ。日頃から仲の悪い番作と蟇六の家であるところへ、こんなことが起つて見れば、蟇六が下男たちをやつてやかましく番作をせめ立てるのはいふまでもない。糠助も仲へ立つていろ/\骨を折るがどうにもならない。信乃は糠助と相談をして、与四郎犬を蟇六の家の門のところヘつれて行き、懲しめに棒で打ちたゝくと、与四郎犬はにげ出して自分の家へも帰らず、かへつて蟇六の家の方へ走り込んだ。蟇六の家の下男たちは、「これ幸ひ」と棒や槍を持ち出し、さん/゛\に与四郎犬を打ちのめし衝きさした。与四郎犬は血まみれになつて、よろよろと家へ帰つて来た。
42
すると蟇六の家から下男が来て、「与四郎犬が蟇六の家の奥座敷へ飛び込み、大事なお役所の書類を噛みちらしたから、そのお詫びには村雨の銘刀を管領家へ献上せよ」といふのである。番作は、かうまで両家の仲が悪くなつては信乃の生長の行く末も心配になると思ひ、自分が犠牲になる気で、腹へ刀をつき立てた。信乃は驚いて父に飛びかゝり刀をもぎ取らうとすると、番作は、
「この村雨丸の銘刀は、お前が成人した後に滸我御所へ献上せよ。この刀を抜き放せば、切尖から露がしたゝり、敵を斬れば斬るほどその水がほとばしつて拳の上に散つて来る。それゆゑ村雨と名がついたのだ。お前はこれから犬塚信乃戌孝となのるがよい。父が死ねば叔父の蟇六は村雨が欲しいし、かつまたお前を養育せねば村の人達が承知すまいから、蟇六も仕方なくお前を養育することだらう。そのことは心配に及ぶまい」
といつて、勇士の最期の力、村雨の銘刀を腹深くつき立て、息は絶えた。信乃もそのあとを追つて切腹しようと思つたが、ふと下を見ると与四郎犬が重傷に死に切れず苦しい唸り声を立てゝゐる。
「お前もお伴をさせてやるぞ」
といひながら、村雨の銘刀で与四郎犬の首を斬り落せば、さつとほとばしる血潮の中から何物か光るものが飛び出した。左手で受けとめて見るに、『孝』といふ字をほりつけた、立派な一つの白玉である。信乃は、昔母から聞いた話を思ひ出した。母が弁才天へ参詣する途中でこの与四郎犬を拾つたのだが、その帰る途でうつゝに神女から一つの玉を授けられると見た。あやまつて取りはづし、玉は犬のあたりへ転び落ちて、それを見失つてしまつたが、さてはその時この犬が玉を呑み込んでゐたと見える。「それにしても今はこの玉も不用だ」と、白玉を庭へ投げ棄てると、玉はそのまゝはねかへつて自分の懐へはひつた。さて早く切腹しようと肌を脱ぎかけるに、左の腕にいつの間にか牡丹の花の形をした黒痣が出来てゐたのは、不思議なことだ。
43
そこへどや/\と、蟇六夫婦と糠助がはひつて来た。信乃は切腹も出来ない。蟇六は、甥の信乃の面倒をこれから見てやらなければならない。蟇六は男の子を持たないし、貰い子の娘の浜路が大きくなつたら信乃と夫婦にし、家と村長の役を譲らうなどとあたりの人にはふれ出して、番作の作つてゐた田などを自分のものに取り込んだ。蟇六の家に信乃より少し年上の額蔵といふ下男がゐたのを信乃の家へつけてやつて、信乃の面倒を見、かたがた信乃のすることを探らせることにした。犬は庭の隅の梅の木の側へ葬られた。
44
額蔵は正直な男である。信乃の探り役には選ばれたけれども、内心では信乃に同情してゐるのだ。ある日信乃にすゝめて行水をさせてゐると、信乃の左の腕にある黒痣が見つかつた。
「妙なものですな。わたしにも同じ黒痣がありますよ」
と背中を向けるのを見ると、いかにも同じ牡丹の花の形をした黒痣がある。さて着物を着ようとすれば、懐から白玉がころがり出る。
「それも妙なものですな。私にも同じ玉があります」
と、額蔵が懐から出す玉を見るに、いかにも全く同じ白玉であつて、それには『義』といふ一字がほりつけられてゐる。これは額蔵の母が下男にいひつけて、胞衣を埋めようと閾の下を掘つた時に見つけた玉だといふ。
45
それから信乃と額蔵とは大の仲よしになり、兄弟の約束をした。額蔵の父は犬川衛士則任といひ、伊豆北条の立派な役人であつた。その君をいさめて切腹し、母は七歳になつた子供の荘之助をつれて、安房の里見の家中に知る人があるのを頼つて行く途中、路銀を取られ風雪になやまされ、この村長の家に一夜の宿を求めて許されず、母はそのまま死んで行つた。その時村長の蟇六が荘之助を一生下男にするつもりで引き取つて育てたのが、この額蔵であつたのだ。額蔵は、信乃と兄弟になつた日から、犬川荘助義任と名前を改めた。
46
けれど表向きは、やはり額蔵と信乃と仲のわるい様子をしてゐる。そのうち幾年かたつて、百姓の糠助が病気になつた。信乃だけはいつも親切に介抱をしてやつてゐる。糠助は病気がひどくなり、もう死なうとする時に涙を浮べて、
「これはあなたにだけお願ひする遺言です」
といつて、次ぎのような話をした。糠助は以前安房の州崎に住んでゐた百姓であるが、親一人、子一人の貧乏世帯、苦しさのあまり殺生を禁ぜられてゐる浜に網を打つて捕へられ死罪にきまつたところを大赦で罪を減ぜられ、追放せられることになつた。子供を抱いて下総の行徳まで来たが、この上歩いて途に餓死をするよりは川へ飛び込んで死なうと、橋の欄干に足をかけた時通行の人にとめられた。その人は成氏殿に仕へてゐる小役人であるが、子を持たないからそのまゝ糠助の子を貰つて行かうといふ。親と子とはかうして別れたのである。が、その後わが子は、どうして育つてゐるであらうか。この子の目印は、右の頬先に牡丹の花の形をした黒痣のあることだ。それにこの子の生れた後、祝ひに鯛を料理すると、魚の腹から光つた玉が出て、それには『信』といふ字がほりつけられてあつたから、その玉を守り袋の中に収めてある。この子を探し、父糠助のことをしらせて貰ひたいものだ。──
47
信乃は聞いて 驚いた。この糠助の子もまた、自分達と同志の人に相違ない。糠助はくらい行燈の下で息をひきとつた。
48
根本に犬を埋めた梅の木は大きくなつて、八房の梅を実らせた。蟇六の娘の浜路も大きくなつた。浜路の父は練馬家に仕えてゐる立派な武士であつたけれど、家庭にこみ入つたわけがあり、親の名も知らさず蟇六の子にやつたのだ。その練馬家はこの頃の戦争で滅亡したので、浜路は「多分まことの父も戦死したことであらう」と悲しんでゐる。信乃も立派な青年になつたが、浜路は養ひ親のいふとほり、この人を夫と思ひ定めてゐた。
49
円塚山の寂寞道人
50
糠助が死んで空き家となつたところへは、浪人の網乾左母二郎といふ男がはひつた。鎌倉殿の第一の近習であつたのが浪人となつたので、まだ若く殿の気に入りであつたから、この後また呼び出されて立身する人である。子供たちに読み書きを教へるのは表向きで、それよりも唄をうたつたりくだらない話に時を消したりするのが好きだから、直きに亀篠に取り入つて、蟇六の家へ出入りするようになつた。
51
左母二郎は、浜路をお嫁に貰ひたいと思つてゐた。亀篠も蟇六も、さうなれば自分たちも立身が出来るので、その気になつて左母二郎をもてなした。ところがその頃またこの地の役人が代り、簸上宮六といふ人が来て、この人も蟇六の家へよばれたが、浜路をお嫁に貰ひたいと思つてゐた。左母二郎はまだ浪人だし、宮六は現にお役人で威張つてゐるのだから、今度は蟇六夫婦は宮六の方へ浜路を嫁にやる気になり、「これで立身の手蔓が出来た」と喜んだ。宮六のところからは、軍木五倍二といふ家来が来て、権柄を笠に着、「どうあつても娘を貰はなければならぬ」といふ。蟇六は願つたり叶つたりだが、なほ不承知のような顔をしてゐると、「もう今日結納を受け取つて貰ふつもりだ」といふ。蟇六は「やむを得ない」といふような迷惑顔で承知して、さつそく貰つた結納は、土蔵へかくした。
52
さてこの結婚には、信乃を追ひ出し、村雨の銘刀をまき上げなければならぬが、これには左母二郎を使はうと考へた。ふいに左母二郎をたづねた亀篠は、
「浜路を貰つて戴くについては、かうして貰ひたい」
といつて相談するところは、明晩信乃を川狩りに誘ひ出し、蟇六が川へ落ちた様子をすれば信乃も同じく川へ飛び込むであらうから、そのひまに蟇六の刀と信乃の村雨の銘刀とをすり換へて置いて貰ひたいといふのだ。
53
相談は出来た。蟇六は信乃にすゝめて村雨丸を滸我御所へ献上するために、旅立ちさせることになつた。その前に蟇六や信乃や左母二郎で川狩りをすることになつた。蟇六は楫取の土太郎などいふ悪い奴を雇うて置く。さて川の真中へ舟が出て、月ものぼらず、あたりは真暗になつてゐる時に、蟇六は網を打つようなふりをして川へ落ち込んだ。信乃と土太郎とが、それを救ひに同じく川へ飛び込んだ。蟇六と土太郎とは信乃を溺れさすつもりで、手を取り足を引つぱり、淵の方へひきずり込まうとするけれど、大力で水練の信乃には、そんなことはなんでもない。土太郎を一町ばかり下へ蹴流し蟇六を横づかみにして、安々と岸へおよぎついた。
54
舟に残つた左母二郎は、信乃の村雨の銘刀を抜いて見たが、こんな銘刀を蟇六にやるのは惜しいので、自分の腰刀にしてしまひ、蟇六の刀の鞘の中へは自分の刀の中味を、信乃の刀の鞘の中へは蟇六の刀の中味を入れ、さも村雨らしく、川の水を少しづつ振りかけて置いた。
55
信乃は、刀の中味が換へられてゐるとは気付かない。蟇六は、家へ帰つて刀を抜いて見ると、水の滴がばら/\と散るので、いかにも村雨の銘刀だと喜んでゐる。信乃は、朝早く立つて、滸我御所へ向かつた。蟇六はそれに額蔵をつけてやり、途中でばつさり斬り果たすようにいひつけた。
56
あとでは、いよ/\浜路と宮六との結婚の祝ひが始まる。浜路はその話を親から聞かされて、寝耳に水と驚いたが、浜路がどうしても承知しないと、蟇六はお役人の宮六に申し開きが出来ないから切腹するなどといつて騒ぎ立てる。浜路は、今はもう死ぬ覚悟で、うはべだけ承知した。蟇六の家では、祝ひで大騒ぎである。浜路は、最後のお化粧をしてゐる。
57
この話を漏れきいておこつたのは、左母二郎である。「おのれ必ず復讐してやらう」と考へはするものゝ、斬り込んでみんなを殺してしまふだけの勇気も出ない。
「いつそ、浜路をぬすみ取つてやらう」
と、その夜蟇六の家の垣のくづれから、左母二郎はこつそりと庭へ忍び込んだ。
58
築山のうしろに人影がある。それは死ぬ覚悟をした浜路であつた。左母二郎はうしろから、こつそりつかまへて浜路がふせぐ手をおさへ、庭の松から垣の上へ乗りうつつて、うまうまと浜路をぬすみ出した。
59
これから祝ひが始まらうといふ時になつて、浜路のゐないことに気づいた蟇六の家は、蜂の巣を突きくづしたような騒ぎになる。飛び込んで来た土太郎に頼んで、左母二郎のあとをおつかけさせた。
「今こゝへ来る途で、見知りの加太郎、井太郎が、駕籠賃のことで何かいつてゐたが、ぢやああれが左母二郎とお嬢さんだ。礫川、本郷坂へ行けば大丈夫」
と、つぶてのように飛んで行つた。
60
話変つて、こゝに寂寞道人肩柳といふ不思議な術をする行者がゐた。薪を積んで火をつけ、その上を渡るに、脚を焼かない。人のことを占ひ、病気の祈祷をするが、そのきゝめがあるといふので愚民の中に信じられてゐる。この人左の肩さきに一塊りの瘤があるので、見た様子は、からだが斜に曲つたようだ。今日日没の時に、豊島本郷のあたり円塚山の麓で火定に入るとふれ出した。小屋を建て、その下に大きな坑を掘り、この中へ薪を積み火をつけて、肩柳はそのまゝこの火の坑へ飛び込み命を終らうといふのである。これを火定といつてゐる。肩柳を信じてゐる人達が、雲のように円塚山へ集まつて、肩柳にお賽銭をまいてゐる。肩柳はふれ出した通りの行をして、猛火の坑の中へ飛び込み、見る間に姿を消して行つた。人々は肩柳の立派な行を驚き褒めながら、それ/゛\家へ帰つて行く。あとには火定の坑の残り火がちろり/\と燃え、円塚山はさびしい夜になつた。
61
そこへ小提灯が見え旅駕籠が一つ来てとまつた。
「旦那、御約束の場所ですよ。駕籠賃を戴きませうか」
「ばかをいへ。板橋までの約束だらう」
とすぐに喧嘩になつたのは、左母二郎と駕籠かきの加太郎、井太郎とである。駕籠かきも性のわるいごろつきではあるものゝ、さすがに浪人の左母二郎にあつては敵はない。その上左母二郎の手に持つは業物の村雨だ。前後からかゝつて来る二人のものを斬りまくつて、見る間に首を打ち落した。その時また後から抜き打ちにかゝつて来た男は、いふまでもなく土太郎だ。左母二郎も最前少し薄傷をおひ、疲れ気味になつてゐるから、打ち込まれそうになつて行くので、刀を引いて遁げる様子をし、土太郎のすきを見て石をなげると、ぱつちり額へ打つかつた。そのひるむひまにすさまじく斬り込むと、土太郎は「あつ」といふまゝ仰のけざまに斬り倒された。
62
駕籠の中の浜路は、もう遁げて行くこともならない。左母二郎は、
「さあ、これから歩くのだ。この俺が持つてる刀は、正真正銘の村雨で、今人を斬つた業物だが、信乃が持つて行つたのは贋刀だから、定めし今頃縛り首にでもなつてるだらう」
といひながら、浜路を駕籠から出すと、浜路はさすがに驚きながらも、「その村雨とやらを見せて貰ひたい」とたのむ。渡す刀を右手に受け取り、打ち返して見るような様子をしながら、
「夫のかたき」
と叫んで、ふいに左母二郎に斬りかけた。左母二郎は短刀を抜いて、それをふせぐ。いかに浜路が力を出しても、女の悲しさ浪人の力に及ぶわけはない。忽ち受け太刀になつて乳の下深く斬り込まれた。左母二郎は村雨を取り返し、だん/\弱つて行く浜路をにく/\しそうにながめてゐる。浜路は夫の信乃がどうなつたかもわからず、悲しくそこに死んで行く身の運命を、苦しい息の下から語つてゐる。
63
その時である。ふいに何処からともなく手裏剣が飛んで来るのと、左母二郎が枯れ木のようにたふれるのと一しよであつた。火定の坑のあたりへ煙りのようにして一人の男の姿が現れた。見れば先ほど火定に入つたはずの寂寞道人だが、先ほどの行者の姿とは打つて変り、南蛮鉄の鎖帷子で身を固め、上には唐織りの着物を着朱鞘の太刀を横たへて、悠々と左母二郎の方へやつて来る姿は、善人か悪人か分らないが、一癖ありそうな面魂だ。
64
左母二郎の手から村雨の刀を奪ひ取り、火定の火に刃を打ち返して眺めながら、
「聞いたにもまさつた立派な刀だ。これが手にはひつたからには、かたきを打つもやがてのこと」
と感心してゐる。村雨を腰に打ち込み、さて浜路の方へ身を寄せて、もう息も絶えようとしてゐる浜路を助け起す。浜路はぱつちり目をあけて、肩柳の顔を見た。
「残らず話はそこで聞いた。かくいふ自分は犬山入道道策の一子犬山道節忠与であるが、そちは父の話に聞いてゐた母違ひの妹である。家にこみ入つたわけがあり、そちは人の子にやられたが、父入道は池袋の戦ひで練馬家の滅亡とともに打ち死にした。その父の讐を打ち取らうと、自分の家に伝はる火遁の術を用ひ、愚民どもをあつめて火定に入るとあざむき、賽銭を取るも軍用金にあてるため、またこの村雨の銘刀を得た上は、これをもつて敵を薙ぎ立て」
といふを聞いて、浜路は驚く。肩柳が火に姿をかくすのは、犬山の家に伝はつた火遁の術といふものであつたのだ。浜路はこの死に際に、まことの兄の道節に逢つたのは不思議だが、信乃の難儀を救ふには、兄に頼んでこの刀を信乃に渡して貰ふより外はない。
「兄上。死ぬ妹の最期の頼みには、これより滸我へ行き、村雨丸を夫信乃へ渡しては下さらぬか」
「いやそれはならぬ。この身がかたきを打つまでは、この銘刀を手放すわけに行くまい。かたきを打てば用のない刀、犬塚信乃とやらにめぐりあつた時、必ずそれを手渡すであらう」
65
妹の必死の願ひも、さすがに今は聞かれなかつた。浜路は憐れに息たえた。
66
道節は妹の死を不便に思ひながらも、息たえた上は致し方もなく、村雨を腰に打ち込んで、そこを立ち去らうとすると、
「曲者待て!」
とうしろから呼んで木陰を出て来た人がある。
67
芳流閣上の捕り物
68
信乃と額蔵とは滸我へ向つた。額蔵はみち/\蟇六の悪い相談を信乃にはなし、自分を信乃の殺し役につけてよこしたことや、浜路の身が危険であることやを語つて、今後の身の相談をした。それにしても心配なのは、蟇六の家に残された浜路の身の上であるゆゑ、額蔵は途中から家へ引きかへすことになつた。
69
額蔵が円塚山の麓へかゝつた時は、夜ももう大分更けてゐた。向うに火影が見えてあたりには死骸が幾つも転がり、浜路は血にまみれてたふれ、なほ村雨の銘刀を持つて立ち去らうとする浪人がある。
70
道節を呼んだのは、いふまでもなく額蔵、即ち犬川荘助義任であつたのだ。
71
額蔵は道節の刀の鐺をしつかり持つて二三歩引きもどすと、驚きながらに振り返つた道節は、額蔵の手を払つて刀を抜かうとする。そこへ横ざまに組みついて、えい/\声を出し取り組んだが、さすがは勇士と勇士の組み打ち、どちらの力がまさつてゐるとも見えない。どうしたことか額蔵の大事にする護り袋の長紐が道節の刀の下緒にからみつき、振りほどかうとすればする程まきついて、長紐は切れ、護り袋は道節の腰にぶら下がつた。手のゆるんだすきに道節が刀を抜けば、
「心得た」
と額蔵も同じく刀を抜いて、互に打ち合す太刀風はげしく、空には月が冴えて来た。道節が強く打ち込んで来た刀を左に受け流し、
「やつ」
と一声、道節の肩先へ斬り込めば、鎖雌子を通して、刀は道節の肩の瘤の上へ斬りつけた。黒血がさつとほとばしるのにまじつて、何ものか螽のように飛び出し、額蔵の胸先へぶつかつて来たのを、額蔵はすばやく左の手で握りとめ、なほもはげしく斬り結んだ。
72
道節は刀を受け流し受け流ししながら、うしろへ退き、声を立て、
「やい、待て。いふことがある。そちの武芸甚だよい。自分には復讐の大望あれば、こゝで小敵と死を決することは出来ない。しばらく引け」
といふ。額蔵は、目をいからして、
「命が惜しくば、村雨の宝刀を手渡せ。かくいふわれは、犬塚信乃が無二の親友、犬川荘助義任であるぞ。汝の名は聞いた。犬山道節忠与。宝刀を返せ」
といへば、道節は大声を出して笑ひ、
「死ぬ妹の願ひをさへ聞かない犬山道節。かたきを打つまでは、汝に刀を取らすまいぞ」
「いや、すぐに手渡せ」
と、額蔵はなほも刀を押しつけて道節にせまるを、道節は右に避け左に払ひながら、次第に火坑のあたりへ近づいて、ぱつと飛んだと思へば、火坑の中より煙りがあがり、道節の姿は消えてしまつた。
73
額蔵は、思ひ出して見れば自分の大事な『義』の字の玉を護り袋と一しよに取られてゐる。それにしても道節の瘡口より飛び出したものはなんであらうかと、左の手を開き、月の光にすかして見れば、やはり一つの玉である。それには『忠』の字がほられてゐる。
「さてはこれも後にわれ/\の同志となる勇士の一人であると見える」
と額蔵はつぶやきながら、その玉を懐へをさめ、浜路を弔ひ、大塚の家をさして脚を早めた。
74
蟇六の家にも騒動があつた。浜路が家出をしたあと、宮六や五倍二は結婚の祝ひにやつて来た。蟇六はいろ/\と取り繕ふが、うろたへてゐるからしくじりだらけだ。今は仕方なくまことのことを白状し、いつはりのない印には、村雨丸の宝刀をも献上しようといふ。宮六は刀を抜いて見たが、川の水は乾いて水の滴などはもう出ない。
「こんななまつくらが村雨丸か」
と刀を振り廻して、柱にぶつけると、刀は鍋蔓のようにへし曲つた。酒には酔つてゐる。最前から腹は立ちどほしだ。宮六は刀を抜いて蟇六のうしろから斬りつけると、亀篠も誰もかれもそれをとめようとして組みついて来る。宮六と五倍二とは、刀にあたるものを無茶苦茶に斬り倒し、縁側の下へ遁げかくれた下男一人を残して蟇六の家すつかりの人を斬り倒した。あたりは血の海になつてゐる。
75
額蔵はそこへ帰つて来た。宮六を呼びとめ、刀を取つて打ち合せたが、宮六は見る間に斬り伏せられた。五倍二は重傷で遁げて行つた。次ぎの日になつて役人たちが調べに来たが、役人は宮六の相役たちであるから、額蔵のいふところを聞かうとしない。額蔵が蟇六の一家を斬り殺し、それをとめようとした役人の宮六をまで斬つたことに役人はきめた。額蔵は縄を打たれお役所へ引き立てられて行つた。間もなく打ち首になることであらう。
76
話は換つて、こちらは滸我へ行つた信乃である。御所の執権をしてゐる横堀史在村の邸へ伺ひ、村雨献上のことを申し上げると、すぐにお許しが出た。さて間もなく、成氏卿がぢき/\にお目通りを許し、銘刀を受け取ろうといふ達しである。
77
宿へ引き下つてゐた信乃は、献上する刀の塵を拭はうと、引き抜いて見るに滴が垂れない。これはと驚き刀を見返せば、村雨はいつの間にか真赤な贋物と掏りかへられてゐた。信乃は驚いて在村の邸へ参り、そのことを申し上げようとする間もなく、もう使ひが参つてゐて、信乃を成氏の前へ案内するのだ。
78
成氏は上段の御簾の中に坐り、執権の在村は一段ひくく坐つて、家来が左右に居流れる。
79
在村は信乃に向ひ、
「結城の城にて打ち死にの旧臣大塚匠作三戌が孫犬塚信乃、亡父番作の遺言を守り、当家の宝刀村雨を献上する段奇特に思ふぞ」
と声をかける。信乃は頭を上げ、
「いやその刀の儀は」
といつて、贋の刀とすり換へられてゐる話を正直に申し上げると、在村は怒つて、
「村雨の銘刀を失つたといふはいつはりで、まことは汝は敵の間諜であらう。とく/\生け捕れ」
と人々に下知をする。声の下から多くの兵卒は信乃を取り囲んで生け捕りにしようとするが、信乃もこゝで命を失つてはならない身だ。組んで来る人々を、右に左になげ飛ばし、飛鳥のように飛んで出ると、白刃がまはりから隙き間もなくせまつて来る。信乃は畳をはね上げ、それを盾にして防いでゐたが、さきに進んだ一人の刀を奪ひ取つて身構へた。三人斬り五人たふし、一方に途を開いて、広庭に躍り出で、なほも軒端の松を伝うて屋根の上へ飛び登ると、槍や刀を持つて人々はうしろへせまつて来る。信乃は前に進む人々をはげしく斬り伏せるに、ひと雪崩をつくつて屋根から転び落ちる。信乃一人に斬りまくられ、死骸はあちらにもこちらにもたふれてゐる。
80
信乃も浅傷をおうたから、屋根より屋根に飛びうつゝて、だん/\外へ遁れて行くと、そこに物見と思へる三階建ての大建て物がある。芳流閣といふ額がかゝつてゐる。信乃はやつとその屋根の上までよぢのぼり、遁れる途を探して見るに、芳流閣の真下には、たゞひろ/゛\とした大利根の川が流れてゐるだけだ。信乃ももう遁れて行く屋根を持たない。下では成氏が庭におり、床几を立てさせ、信乃を仰ぎ見ながら、 81
この時在村はふつと犬飼見八のことを考へた。犬飼見八信道は、二階松山城守の高弟であり、中にも捕り物の柔道は得意である。無双の勇士ではあるが在村ににくまれ、無実の罪で入牢させられてゐる。在村は見八を出して信乃を捕へさせることを考へたのだ。信乃を捕へても、信乃に打たれても、在村に取つていづれも願つてゐることである。
82
見八は牢から引き出され、信乃取
「あれを射落せ」
と下知をするけれど、雲をしのぐ芳流閣の屋根までは強い矢も届かない。
83
互にすきをうかゞひ、瓦の上をあちらこちらと踏み廻つてゐたが、信乃はよい足場をつくり、見八目がけて続けざまに打ちおろす太刀のはげしさには、見八も真つ二つになつたかと思はれる。見八の眉間をめがけて打ちおろした刀を、見八はやく十手で受け止めれば、信乃の刀は鍔際から折れて飛び散つた。見八はそのすきを見て、得意の柔道で組みついて行く。信乃もその儘左手で引きつけ、しつかりと腕を取つてはなさない。「えい/\」声を出して曳き合つてゐるが、なんにせよ足場は危い屋根の上だ。いづれかゞ瓦をふみすべらしたと見る間に、ごろ/\と屋根の上をころがつて、二人は引つ組んだまゝ、雲を突く三層楼の屋根から、石を落したように幾十丈か下の大刀根の上へ落ちて行つた。
「あつ」
と成氏の兵卒たちが驚いてゐる間に、信乃と見八とは刀根川の水底深く落ち込んだかと思へば、「どさり」と音がして、二人は下につないであつた、一艘の小舟の上へ落ちて来たのだ。
84
さつと水煙りがあがり、舟が揺れたと思ふ拍子に、つないである綱はほどけ、舟は矢を射るような早河の真たゞ中へ吐き出された。兵卒たちがあわて騒いでゐる間に、小舟は見る見る流されて、川下遠く姿を消した。
85
胡那屋の客人
86
下総行徳の入江橋の橋づめに、古那屋といふ旅籠屋がある。主人の文五兵衛、妻には一昨年死なれ、子供は二人ある。長男は小文五といひ、今年二十歳であるが、身のたけ五尺九寸肉隆く骨逞しくて、武芸を好み、剣術柔道相撲に得意だ。妹は十九、お沼藺といつて、市川の船頭山林房八郎へとつぎ、大八といふ男の子を生んでゐる。今年もう四つになつた。文五兵衛は、これといつて富んでゐるわけでもないが、欲が少ないから、暇のあるをりには入り江に立つて釣りをするのが楽しみだ。
87
今日は六月二十一日、牛頭天王の祭礼である。家毎に酒宴が始まつて騒々しいけれど、文五兵衛はそれにも気の向く方でない。旅籠屋のことだから昼は別して暇であるし、夜の祭りを昼寝して待つのも臆劫だ。しばらくでも釣りをして楽しまうと、入り江の岸に蘆を折り敷き、無心に釣り竿を垂れてゐる。
88
その時である。一艘の小舟が潮に引かれ波に揺られて、河上から流れて来た。次第にこちらの岸へ流れ寄るのを見れば、中には二人の武士が倒れ死んでゐる。「こんな舟をこゝらに置けば、土地の面倒にもなるだらう。障らぬ神に祟りはない」と、竿を取り直し、そつと舟をつき流さうとして、つく/゛\見るに驚いた。
「やつ、犬飼見八さんぢやあねえか」
89
頬尖に黒痣のあるのは、確に犬飼見兵衛の一子、見八信道である。この人は助けなければならぬと、舟を繋ぎとめ、その上に乗り移つていろ/\介抱するが、生きかへりそうもない。家へかへり薬を持つて来ようと立つ拍子に、思はずもう一人の武士につまづいて脇腹を蹴ると、その武士は、
「うーん」
といつて生き返つた。
「こゝはどこの浦でござるか。してあなたは」
「頬尖に黒痣のあるが目印で、かねて懇意の犬飼見八さんを助けようとする間に、あなたが生き返りなさつたか」
「やつ、頬尖に黒痣とは。さてはこの方が犬飼見八殿でござつたか。私は大塚村の郷士犬塚信乃戌孝と申すもの。滸河殿に仕へる武士の中に、黒痣あるを目印に自分の子供をさがして貰ひたいと頼まれたは、犬飼どのゝまことの父親、糠助どのでござつた」
「糠助どのとやらは知らないが、この見八どのゝ父御見兵衛どのはかねての見知りごし。思へばもう十八九年の昔にもならうか。見兵衛どのは、あれあの向うの橋のほとりで、餓ゑつかれた旅人の子供を貰ひ、私の宿へあづけにござつた。ちようどわが子の小文五が生れた次ぎの年、わが妻の乳にすがり、見八どのも小文吾も一しよに成人して、今は見八どのは滸河どのに仕へる立派な武士」
「それまで聞けば、糠助どのにも申しわけがござらぬ。見八どのを殺したからには、かうして言ひわけ」
と、刀をぬき腹へつきたてようとすると、
「犬塚氏、はやまり給ふな」
といつて、身を起したのは見八である。
「夢うつつのように話を聞きながら、見八も今かように生き返り申した。さては貴殿はわがまことの父の恩人でござつたか」
と、それから三人とも/゛\これまでのことを語り合つた。不思議な玉、黒痣のことを話し合つた時に、文五兵衛も膝を打つて、
「それならわが子の小文吾も生れながら同志の一人でござつたか」
と、いつて語るところを聞くに、文五兵衛は昔安房の国の領主神余光弘に仕へてゐた近習那古七郎の弟であつた。光弘が金椀の昔の家来杣木朴平等に打たれた時、七郎は主君のために戦ひ朴平に打たれた。さて神余の家も滅んだので、文五兵衛は行徳へ落ちて来て、那古の姓を倒さにし、古那屋といふ旅籠屋を開いたのであつた。小文吾は力が強く、その近傍で評判の悪者犬太といふを打ち殺したので、世間では犬田小文吾と呼んでゐた。小文吾がまだ赤子の頃、食ひ初めの祝ひの赤飯をたべようと椀の中へ箸を立てた時に、何かころころと転ぶものがあるので、取り上げて見ると『悌』の字のある美しい玉であつた。小文吾悌順といふ名はそこから来てゐる。また十五の時に相撲を取つて、相手を投げ飛ばし自分も臀餅をついた拍子に牡丹の花のような黒痣が出来た。
90
小文吾の妹お沼藺のとついでゐる先の山林房八と小文吾との仲は、ふとしたことから悪くなつた。その頃鎌倉に念玉坊、観得坊といふ山伏があつて、武芸を好み、我慢が強く、山伏の頭になることを争つて、はては相撲で事をきめることになつた。念玉坊は小文吾を観得坊は房八を頼み、八幡の社で晴れの勝負をしたが、小文吾は房八を投げ飛ばし、念玉坊の勝ちになつたので、それからどうも二人の仲が面白くない。しかし父の文吾兵衛は小文吾に喧嘩を誡め、親孝行の小文吾は指を紙縒で結んで親のいひつけどほり心にかたく誓つてゐる。
91
こゝに信乃、見八、小文吾は同じ玉を持つた同志であることがわかつた。見八は、その名に玉扁をつけて、今日から現八と改めた。
92
蘆の葉ががさ/\と揺れて、ぬつと姿を現したものがある。驚いて見返れば、小文吾であつた。
「話は最前から残らず聞いたが、かうしたところで深い話はあぶない。御両所はまづこの着換へと改められるがよい。父上はお客人を案内して、人に見咎められぬうち、一時も早くうちへお帰り下さい」
といつて、信乃現八に、血のついた着物をぬがせ新らしいのと着かへさせる。小文吾はそれを布呂敷に包みかくした。父は信乃等を案内して去る。あとは夕闇だ。小文吾はこつそり舟をつき出して、川下へ流れて行くのを見送りながら、蘆を分けて立ち去らうとすると、同じく蘆の茂みの陰から姿を現して、小文吾の腰をつかまへたものがある。互に無言で押し合つてゐたが、小文吾は振りほどいた拍子に駈け出すと、布呂敷から血染めの着物がぬけ出て落ちる。うしろの男はそれを足にからませ、拾ひ上げて懐にねぢ込んだ。闇が二人の姿を吸うた。
93
古那屋にはこの程から念玉坊が逗留してゐたけれども、今日は祭りを見物に行き、夜も帰らぬことになつてゐる。奥座敷へは文五兵衛をはじめ、信乃、現八、小文吾があつまつて、親しい話に時の移るのも知らない。その時小文吾の子分が来て、小文吾の子分と房八の子分とがお祭りで喧嘩をしたとしらせに来た。小文吾はその始末をつけにいつた。
94
さて次ぎの日である。信乃、現八はいつになつても起き出て来ない。文五兵衛が心配になつて見に行くと、信乃は昨日の疵口がいたみ、ひどい熱が出て頭もあがらないといふ。現八がいろ/\と介抱してゐる。これは疵口が風に吹かれたところから、破傷風を起したものに相違ない。那古七郎の家には昔から破傷風をなほす秘伝があつて、それは若い男と女の血を同じ分量づつ合せ、それで疵口を洗へばよいといふのだが、今そんな血を取るエ夫もない。現八は武蔵の志婆浦に破傷風のよい薬のあるのを思ひ出したから、今夜までに取つて来るといつて出かけていつた。
95
小文吾はまだ帰つて来ない。文五兵衛ひとり奥座敷で信乃の介抱をしてゐると、役所から文五兵衛に用事だといつて来た。信乃のことを調べられるのに相違ないと思ふけれど、仕方がないから信乃に気安めをいつて出ていつた。
96
小文吾は前の晩いろ/\と喧嘩の後始末をし、房八の子分を手厚く介抱して送り帰し、さて家へ帰らうとして途まで来ると、あとから房八が追つかけて来た。
97
房八ははじめから喧嘩を売つて来る。けれども小文吾は父親に誓つてゐるので、手出しをしようとしない。房八はさん/゛\悪口をいつた挙句に土足で小文吾の肩を踏みつけて、
「犬田、これでもまだ済まぬぞ。今夜行くから待つてをれ」
といひながら、そこへ来合せた観得坊と一しよに、小気味よげに立ち去つた。
98
小文吾は無念に思ふものゝ、「よくも父への誓ひを破らなかつた」と、土をはらひながら立ち上がりかけると、ばら/\と出た人達が、
「犬田、御用だ」
といつて縄を打ちにかゝつた。見れば父親の文五兵衛も縄を打たれてゐる。役人は小文吾に向ひ、昨夜古那屋へとまつた二人の客人は、信乃、見八だといふ知らせをしたものがあるから、これより家捜しに行く途中、そちも同罪により縄を打つといふ。小文吾はなんとかして誤魔化し、父をも取り返す工夫をしようと思ひ、
「何しろ客商売のこと故、お客人の身の上まで取り調べることは出来ませんでしたが、さうした強いお武家ならば、これより取り押へに参つても、たゞ怪我人の出るばかり、それよりはこの私がその信乃とやらの寝首をかいて参りませう。この策略はいかゞでござる」と話上手に説きつけると、役人も感心して、
「それならば信乃の首はそちにまかせた。父文五兵衛はその時までの人質であるぞ」
といひながら、父の縄を引いて行つた。
99
小文吾の難儀
100
小文吾は家へ帰つたが、どうしてよいか途方にくれた。そこへ念玉坊が帰つて来た。
「浜でこんな大きな法螺貝を買つて来た」などといつて見せながら、小文吾の尺八を借り、
「今夜はこれでも吹いて夜をすごさうか」といつて、法螺貝もそこに忘れ、別の座敷へはひつて行つた。
101
小文吾の子分三人が出て来る。「房八に土足にかけられても手出しの出来ないような親分は、もう親分でも子分でもない」などといつて、小文吾に悪口をいひながら拳で打つてかかると、小文吾はそれを投げ飛ばした。たゞ一人になつた小文吾は、思案にあまり溜め息ばかりをついてゐる。
102
ふいに門の戸があいて、送つて来た駕籠の中から出て来たのは、房八の母の妙真とお沼藺、大八の三人であつた。
103
妙真のいふところでは、房八の機嫌はどんなにしても直らぬし、双方一層気まづくなつたことだから、お沼藺をひとまづ引き取つて貰ひたいといふ。小文吾は、「今日は父親もゐないことだから」といつて頼むけれども、妙真は聞き入れない。 104
お沼藺は、何やかやの心配で病気になつたような気がする。父親の帰つて来るまで奥へはひつてやすんでゐようとすると、小文吾はその前に立ちふさがつてどなりつける。奥には見つけられてならない信乃が寝てゐるのだ。お沼藺は、わけを知らず小文吾の不人情を怨んでゐる。 105
そこへまた表の戸ががらつとあいて、はひつて来たのは房八である。長脇ざしをぶち込み、部屋の真中へ高あぐらをかいて坐つて、しばらくは小文吾をにらまへてゐる。 106
小文吾は、きり/\腹が立つて今にも刀を抜きたいが、まだ我慢をしてゐると、 107
房八は邪魔ものがなくなつたので、また奥の間への襖に手をかける。小文吾がそれを防ぐ。房八が拳をあげて小文吾を打つと、小文吾の防いだ手に結んだ紙縒が切れた。 108
房八
「それなら離縁状を出して貰ひませう」
「離縁状はとつくにこゝに」
といつて妙真のさし出す紙を開いて見れば、信乃の姿絵をかいたお役所の布令書である。
「いかにも離縁状はたしかに受け取つた。妹のお沼藺もたしかに」
「さあこの離縁状があるからには、房八のすることにも道理がございませう」
といつて、妙真は立ち去つた。
「小文吾、お前も男なら、今日土足にかけられた恥をかへせ。お沼藺をかへすからには、俺もかへすものは帰さうと思ふ」
といつて投げ出す布呂敷包みの結びがほどけ、中から出たのは前夜落
「ぢやあ前夜の男はお前であつたか」
「さあ、その証拠がこつちの手にはひつたからには、よもや隠し立ても出来まいが。これから踏み込んで縄をかけようか」
と立ち上つて、奥の間への襖に手をかける。前にゐたお沼蘭が真つ先によつて、夫の手を引きもどさうとした。
「お前までが邪魔をするか」
といつて、お沼藺を蹴つた房八の足はあやまつて子供の大八の脇腹にあたる。大八は「あつ」ともいはず息が絶えた。お沼藺はその子を横抱きにしたまゝ、肩をふるはして泣き入つた。
「もう我慢の紙縒も切れた」
と、小文吾は刀を抜き、房八も抜いて打ち合せた。あたりはすつかり物すごい様子になつた。小文吾と房八とはよい相手であるから、勝負は容易にきまらない。お沼藺一人は、もう半狂乱だ。兄と夫とどつちに怪我があつてもならないと、刀の刃をぎり/\結び合せてゐる下へはひり、あつちこつちを取りなだめようとしてゐるのが二人に邪魔になる。
「犬田、しばらく待て。いふことがある」
「今になつてなんのいふことだ。卑怯な山林」
「いや待て」
重傷の苦しさに、房八はあえぎあえぎ語る。
「犬田、俺はかうなるのが望みだつたのだ。俺はお前をおこらせて、お前に殺されに出て来たのだ」
109
房八の語るところはかうであつた。房八の祖父はもと安房の神余の武士金椀に仕へてゐた杣木朴平である。杣木は神余の家を滅ぼすわるだくみをしてゐた定包を打つつもりで、間違つて主君の神余や那古七郎を打ち果たした。朴平はそこで殺されたが、朴平の子は遁れて市川へ来、犬江屋の養子になり、房八を生んだ。犬江屋は房八の家のほんとうの屋号である。けれども房八はその祖父の杣木といふ字をわざとこはして組み合せ、山林といふ名字にし、自分で名乗つてゐた。さて古那屋の娘を妻に貰つたあとで、いろ/\古那屋の素性を知つて見ると驚いた。古那屋に取つては、房八の父は兄の仇なのだ。だから房八の父は妻の妙真や子の房八に固く遺言して、この後をりがあつたら古那屋のために一命を捧げ、那古を殺したことの罪滅しをしなければいけないといつて置いた。念玉坊と観得坊との争ひにも、房八はもちろん勝ちを小文吾に譲つた。
110
さて今度の信乃現八の事件である。房八も計らず川岸で、信乃文五兵衛等のはなすのを立ち聞いたが、さて信乃らを遁がしてやるには、古那屋は旅籠屋だけに人の出入りが多くかへつてやりにくい。これは自分が一骨折らなければならぬと考へた。そのうち信乃らは古那屋へ引き上げたし、誰にも気取られぬようこつそり小文吾に相談をしようと、うしろから小文吾を引つばつたのだが、小文吾は曲者と思ひ、むりに振りほどいて行つてしまつた。あとに落ちた血染めの着物、こんなものが残つてゐてはわるいと、房八はこつそり家へ持つて帰つた。
111
さていろ/\と考へて見たが、よい分別も出て来ない。ふと思ひ出したのは、夕闇ながらに見た信乃の顔である。それがどこやら自分の顔に似てゐる。滸我殿の手のものも、信乃を詳しく見たわけではないし、自分の首を持つて行けば、このふれ出しの信乃の姿絵にあたり、それで信乃は遁れることが出来よう。今こそ父の遺言の如く、古那屋のために一命を投げ出す時が来た。しかし今そんな話を持ち込んでも、小文吾は房八の首を斬つてくれるものでもないから、母ともよく相談をし、昨日からわざ/\小文吾に喧嘩を売つて、出来るだけ小文吾をおこらせて置き、自分に打つてかゝらせるようにした。お沼藺をかへしたのも、そのために母と相談づくのことである。
「犬田、この山林の心を汲んでくれぬか。さあ一刻も早く山林の首を打つてくれ」
112
お沼藺は重傷ながらも夫の本心を聞いて、今更ながら喜ぶ。帰つたはずの妙真も、様子を見て門の戸を開けてはひり、誰も彼も苦しい心を涙で噛みしめた。
「山林、犬死ににはならないぞ。喜んでくれ。君が死んでくれても、犬塚殿は昨日からの破傷風で立ちあがれない苦しい病気、このまゝ死なれたら君のせつかくの心も水の泡になるところだつたが、君とお沼藺が流してくれたこの血潮は、犬塚殿の病気をもなほしてくれる」と、小文吾は那古の家に伝はつた秘伝の話をし、そこに転がつてゐた念玉坊の法螺貝を取つて、房八とお沼藺の血を取り、奥へ行く襖をあけてかけ込まうとした。信乃は最前からの騒ぎを奥の間で聞いてゐたが、寝てもゐられないのでゐざりゐざり、襖のそばまで出て来てゐた。これも房八の深い志に感謝の涙を噛みしめてゐたのだ。襖をあけて駈け込んだ小文吾が信乃にぶつかつた拍子に、法螺貝を取り落して、信乃の着物がさつと血に染むと、信乃も張りつめた元気をなくしてばたりと倒れてしまつたが、小文吾が行燈を持つて側へ寄り、信乃の様子を伺ふと、信乃は眠つたものゝ覚めたような工合で、身体を持ち起しかけた。信乃の病気は癒えたのだ。
「この上は一刻も早く首を打て。おそくなれば追手がかゝる」
といふので、犬田はまはりの様子を見て廻り、房八のうしろに刀を取つて立つた。
113
その時である。間の襖をあけ、静にそこへ出て来たのは念玉坊であつた。観得坊もうしろにつゞいてゐる。念玉坊は黒染めの麻の衣を腰短に端折り、脚絆をはき、左手に笠、右手に錫杖を突き立てゝゐる。それに随ふ観得坊は、朱鞘の大小をぶち込んだ侍姿となり手には何やら書いたものを捧げてゐた。その様子はいかにも立派で、一座の人々は驚いた。
「人々しばらく待て。かくいふは里見義実朝臣の功臣金椀八郎孝吉が一子、金椀大輔孝徳今は法師となつて丶大坊と申す。またこれなるは同じく里見の功臣蜑崎十郎照武が長男蜑崎十一郎照文である。この丶大は、伏姫君のお首にかけられた数珠の玉の仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八つが飛び散つたを捜しに、六十余国を行脚するけれども、まだその玉の一つにも出あはない。これなる照文は、われらが竹馬の友、君義実公の仰せをうけたまはり、武勇の人々をあつめるため、関東八州を忍び歩くに、思はず鎌倉でめぐりあひ申した」
といつて、丶大法師の語るところでは、行徳に小文吾、市川に山林といふ力の強い人のあることを聞き、その人々の武勇の程や心だてを探り調べるため、山伏に身を拵へて行徳へ参り、念玉坊、観得坊と名乗つて、一人は小文吾、一人は山林の様子を、内々探つてゐたのである。昨日浜より帰り何気なく聞いた奥座敷の話により、四つの玉の行く方が知れて。犬塚、犬川、犬飼、犬田四人の勇士は、里見家と深い関係のあることを知つた。それから十一郎の宿へ行つて万事打ち合せ、四人の勇士を里見家へ召し抱へる相談をした。然るに今夜計らず丶大法師が山林やお沼藺を弔はなければならぬことになつたのも、不思議なめぐり合せである。十一郎が捧げて来た書き附けは、その里見公の召し抱へ状であつた。
114
丶大法師は妙真の側に伏させてある大八の死骸を気の毒がつて見て、
「この子供、死んで時たつたに拘らず血色の変らないには、何かのわけもなければならない」
と、独り言をいひながら小膝を突き、死骸を抱き上げ、脈を見ようとして左の手を取ると死んでゐたはずの大八は「わつ」と声をあげて生きかへり左の手を開いた拍子に、掌から美しい玉がころがり出た。驚いて取り上げて見れば、『仁』の字の刻まれた美しい玉である。なほ不思議なことには父房八に蹴られた脇腹には、牡丹の花の形をした黒痣が出てゐたのである。この大八もまた信乃、小文吾等の同志であつたのだ。一座は驚く。房八、お沼藺は絶え行く息の下から、わが子がその勇士の一人であることを喜んだ。
115
大八は生まれながらに左の掌を握つてゐて放さない。親達はこの子を片輪者と思つて、あきらめてゐた。昔を思ひかへすと、文五兵衛が入江河へ漁をしに行つたある晩、水の中に何か光つたものが見えてゐる。それを目あてに網を打つけれども、物もかゝらなければ魚もかゝらない。仕方がないのでその夜はかへり、次ぎの日網を干してゐると、網の中に何か光るものがあつて、ころ/\と転がり落ちた。その時まだ二つであつたお沼藺は直ぐに這ひよつて、この落ちて来たものを口へ入れた。泣くのをむりに口をあけさせ、いろいろ調べたが何を呑み下したかわからない。それが今思ひ合せれば、この『仁』の字の玉であつたのだ。玉を持つてゐる勇士は八人なければならない。今大八がその玉を持つてゐたので、八犬士の中、犬塚、犬川、犬飼、犬田、犬江の五人が揃つたのだ。大八には丶大法師が名附け親となり、名をつけて犬江親兵衛仁と呼ばせることになつた。
116
十一郎は、かねてより山林を里見家へ召し抱へる考へであつたから、持つてゐる召し抱へ状を房八に戴かせた。死んで行く房八には、それと仁の召し抱へとが何よりの勇気づけになる。
「兄貴兄貴、介錯たのむ」
と房八は小文吾に催促するので、小文吾は腸のちぎれる心地がするが、心を鬼にして房八のうしろに廻り、「やつ」と一声最期の首を打ち落した。人々はたゞ念仏を唱へてゐる。
117
現八は志婆浦から薬を買つて帰つて来た。門口をあけてはひらうとする出合ひ頭に、
「信乃のありかを見つけた。これからお役所へかけつけ、褒美は三人で山分け」
といつて、蝦蟇のような形で庇のあはひから這ひ出た三人の男がある。先ほど小文吾に投げ飛ばされた、心の悪い子分達だ。現八はさつそく柔道の手を出して、三人の衿上をつかみ、土の上に投げ飛ばすと、打ち所が悪かつたと見え、そのまゝ起きも上らない。
118
現八は門をあけてはひつた。そこには信乃、小文吾等が、たゞ現八の帰つて来るのを待つてゐた。
119
親兵衛の神隠し
120
小文吾らは、死んだものゝ始末をつけなければならない。小文吾は、房八の首を持つてお役所へかけていつた。首と父の文五兵衛とを交換して来るのだ。三人の悪者の死骸は、河原へ持つて出て、錘をつけ水底深く沈め、山林夫婦の死骸は、二つの葛籠の中へしまつてその上を筵でつゝみ、船荷のような形にした。入江橋のあたりへ行つて見ると、幸ひ人影も見えないから、今のうちに船を出さうと、荷物を積み、人が乗つて纜をといた。妙真は親兵衛を抱くし、信乃、現八は船の底深く身を忍ばせて、蓑笠に姿をやつした蜑崎照文が船を漕いだ。市川の山林の家へ行くのである。
121
小文吾は父を取りかへした後、丶大法師と一しよになつてあとから来た。山林夫婦の死骸は、人知れず犬江屋の墓所へ葬つた。さて近所に聞えてはわるいから、房八は用事で鎌倉へ行つたし、お沼藺は暫く行徳の実家へ行つてゐるといふことにして、あとを誤魔化した。その間に小文吾、信乃、現八の三人は、大塚の額蔵が心配だからといふので、身支度をしてその方へ出かけた。丶大法師は山林夫婦を弔ふために、当分は犬江屋に逗留してゐる。大塚へたつた三人は、あたりまへなら三四日もして帰つて来るところを、幾日たつても姿を見せない。丶大法師はそろ/\心配になつて、
「これにはなんぞわけがあるに相違ない。自分もいつてたづねて来よう」
といつて、たゞ一人で出かけて行つた。それがまた幾日たつても帰つて来ない。
122
犬江屋では、妙真が孫の仁を抱いてこの幾日かの出来事を思ひ返してゐる。照文も出ていつた四人のことが心配になつた。
「ことによつたら行徳へ帰つてゐるかも知れない。その方へ行つて探つて来よう」
と、照文もまた出かけていつた。あとは妙真と仁だけになつた。
123
槐の木に秋蝉が泣いて、油汗の出る暑い日であつた。
「お袋。おうちかい」
といつてはひつて来たのは、年の頃五十位、眼は円く鼻は大きく、秋茄子のような顔をした暴風の舵九郎である。勝手に高あぐらをかき、側の団扇をわがものゝような顔をして取り上げ、胸を開いて風を入れると、熊のようなはだが見える。
「お袋、房八どんはどうしたかの」
と何か、わけのありそうな物のいひようだ。
「お沼藺さんも姿を見せないし、それに引き換へ近頃は、幾人かお客人が見えたぢやないか」
と、そろ/\厭味をいひ出した。
124
舵九郎は、犬江屋の墓所に何か埋めたらしい様子のあることまでを知つてゐた。根掘り葉掘りきく舵九郎を、よいかげんにいひくるめようとする妙真の言葉は、とかく乱れがちだ。
「いづれお役所へいつて話せばわかることだ。信乃とやらの首だといつて小文吾の持つていつた首は、こちらの山林に似てゐるといふ噂もあるからの」
といつて立ち上りかける。妙真はこのまゝ舵九郎をやつては大へんだと、力限り舵九郎の着物を掴まへてゐるけれども、女の力の悲しさ、次第に弱つて行くばかりだ。
125
そこへ照文が、行徳の文五兵衛をつれて帰つて来た。わけは何かわからぬが、妙真に手向ひする荒男であるからには、何れ悪者に相違ないと、舵九郎の腕を取り、柔道の手で投げ飛ばすと、縁側から庭の真中まで飛んで行つた。そばの羅漢杉に取りすがつて、やつと立ち上つた舵九郎は、
「おのれ、見てをれ。あとで返報をするぞ」
といつて遁げていつた。
126
妙真にわけを聞くと大へんである。「さういふことなら投げ飛ばさずに引捕へて置くのだつたが」と思つてももうおそい。信乃の事件をかぎつけられたからには、こゝに忍んでゐてもお役所の兵卒が間もなく襲うて来るに相違ないから、文五兵衛も妙真も、一時も早くこゝを立ち退き、文五兵衛は古那屋の跡始末をして大塚へ行つた四人のあとを追うし、照文は妙真、仁をつれてひとまづ安全な安房へ身を避けることにきめた。妙真は大いそぎで身ごしらへをした。そこへ三人を舟で送つて江戸までいつた下男の依助が帰つて来た。荷物は依助が負ひ、あとは留守居の婆さん一人を残して、みんなは大いそぎで犬江屋の門を出た。
127
市川の町を離れ、田舎路を松並木のところまでかけて来ると、向うの松陰からぬつと出て来たのは舵九郎である。手には八九尺もある長擢を持ち、すつかり喧嘩のこしらへだ。
「わーつ」といつて、あつちからもこつちからも姿を現すのは、舵九郎の子分たちだ。
「かうもあらうかと思つて待つてゐた。この俺ににらまれては、網にかゝつた旅烏も同然だ」
といつて、どつとかゝつて来る。
128
照文は刀を抜いて一しよう懸命で防いだ。文五兵衛は孫の仁を背負うてゐたけれども、女子供はあぶないから仁をおろして妙真に渡し、少しうしろへ引かせ、これも刀を抜いて斬り込んでいつた。依助も及ばずながら、防いでゐる。あつちでもこつちでも激しい斬り合ひが始まつた。依助は眉間をもので打たれて、打つたふれた。
129
身方は小勢、敵は大勢であるから、照文、文五兵衛が斬り廻つてゐる間に、仁を抱いた妙真だけがひとりになつた。そこへこつそり、後から忍んで来たのは舵九郎である。親兵衛諸共妙真をしつかり取つ掴まへてはなさない。振りほどかうにも力が足らない。やにはに釵子をぬいて舵九郎の手に、骨もとほれとつき立てると、舵九郎はさすがに腕の痛さに妙真を手ばなした。妙真はそのひまに遁げかけたが、舵九郎は追つかけて来て、仁の肩先をつかみ、枝の木の実を取るようにして取り上げた。仁は、もう舵九郎の脇にかゝへられてゐる。
130
照文と文五兵衛とは、妙真が心配なので敵を防ぎ防ぎ帰つて来た。舵九郎は、恐ろしい勢ひで身構へてゐる。
「貴様たち二人まだ死なないか。一足でもそばへよつて来たら、この石で餓鬼を打ち殺すぞ」
といつて、寄せつけない。二人もこれには弱り果てた。すきをうかゞひ、じり/\と側へよつて、一時に打ちかゝらうとした時に、舵九郎もまた持つた石を閃かし、仁の胸をめがけ打ちつけようとすると、その手は狂うて地上を打つた。また石を振り上げて打ちおろさうとすると、今度は急に手が強くしびれた。不思議にもその時空より黒雲がおりて来て、稲光りがし、風がさつと起り、石を巻き砂を飛ばしてあたりは物すごい様子になつた。その雲が舵九郎の姿をつゝんだと見る間に、仁の体はその雲に包まれ、宙天高くあがつてしまつた。舵九郎はなほも手をのばしてそれを取り押へようとすると、何物ともなく舵九郎の体を引き裂き、全身朱に染まつて打ち倒れた。
131
照文も文五兵衛もしばらくは茫然として見てゐたが、なほ残つた子分達が刀をふるつて来るので、それを追つ散らし、元の場所へかへつて来れば、風はもうをさまつて月影が空に残つてゐる。妙真が仁を失ひ、気が遠くなつて草に倒れてゐるのを助け起した。仁は、『仁』の玉を持つてゐるから舵九郎のように殺されたのではあるまい。これは神隠しといふものに相違ない。さう慰められて、妙真も少し元気を取り直した。倒れてゐた依助も運よく助かり、起きて来た。妙真は依助に助けられて初めきめてゐた如く安房へ落ちて行くし、文五兵衛はひとまづ行徳へかへつて、そこから三犬士をさがしに大塚へ行くことになつた。
132
庚申塚の四犬士
133
こゝは武蔵の国豊島の神宮河原である。信乃が蟇六らに欺かれ、川狩りをして水に沈められようとしたところだ。千住河を遡つて今着いた船の中からおりて来た三人の武士風の男がある。
134
岸には一人の漁師が立つてゐた。その武士風のもの、一人をいち早く見つけて、
「あなたは大塚の庄屋さんの甥御ではございませんか」
と声をかける。呼ばれたのは、犬塚信乃である。信乃は、油断のならない場所であるが、見たところ悪者らしくもない男だから、
「さうだ。私は蟇六の親戚のものでござるが、さう問はれるあなたはどなたでござるか」
と問ひ返すと、
「もうお忘れでございましたか。この間の川狩りに船をお貸ししました船主の●(「矛」+「昔」)平でございますよ。それにしてもあなたは今頃どこへ行つてござらつしやつたか。大塚の騒動は、あなたまあ大へんでございますなあ」
といふ、信乃は、一しよに来た現八、小文吾とも顔を見合せ、自分が下総へ行つてゐて留守であつたことを語り、大塚の騒動とはなんであつたかと●(「矛」+「昔」)平にたづねる。●(「矛」+「昔」)平は蟇六一家が殺され、役人も殺されて、下男の額蔵が今捕へられ、昨今のうちに死刑になるといふ噂のあることなどを、残らず詳しく話してきかせた。感心の出来なかつた蟇六夫婦のことではあるが、自分の叔父叔母であるから信乃もさすがに気の毒の思ひをしたが、それよりも心配なのは同志の額蔵即ち犬川荘助の身の上である。さては一刻もかうしてはゐられない。
「そんなことでございますから、旦那方は大塚へ寄るのはおあぶなうございますよ。私も昔はさるお武家に御奉公をいたし、姨雪世四郎と申したものでございますが、身をあやまつてかうして漁師をやつてをります。私の知つてゐる女が上野の荒芽山の麓に住んでゐますから、旦那方はそちらへ身を忍ばせてはいかゞでございますか」
と●(「矛」+「昔」)平親切だ。しかし信乃らは額蔵をそのまゝに捨て置いて、身を忍ばすことは出来るものでない。三人は相談をして、とにかくこれから大塚の様子を探りに行くことにした。●(「矛」+「昔」)平帰りには厄介になるから」といつて、いくらかの金を包んでやり、身支度をして立ち去つた。
135
信乃らは、すぐには大塚へ近附くわけにいかない。思ひ出したのは滝の川の弁才天である。三人はそこの寺へいつて住持に会ひ、「ある宿願があり遠方からまゐつたものであるから、七日間のお籠りを許して貰ひたい」と願ふと、住持も心安く許してくれた。そこでまづ落ち付き場所を、この弁才天の岩窟堂ときめて、それからは毎夜代る代るに大塚の様子を探りに出かけた。
136
大塚へは二十町ほど離れている。小文吾は、そこへ行く途中の百姓家に、王子権現へ献上する竹槍と弓矢を売つてゐるのを見つけて、それを買つて帰つた。幾晩かの探偵によつて、大塚の蟇六の家の様子や役所の調べの様子がすつかりわかつて来た。
137
捕へられた額蔵は、毎日のようにひどい拷問にあつた。すべての事情が、額蔵に有利でない。役人は、殺された簸上宮六に同情してゐるし、宮六と一しよに悪いことをやつてゐた五倍二、庵八、宮六の弟社平などいふのが、すべての罪を額蔵に負はせたから、円塚山で浜路、左母二郎をはじめ多くの人を殺したもの、蟇六の一家や宮六等を殺したもの、みな額蔵であるといふことにきめられてしまつた。額蔵はきびしい拷問のため、身も心も疲れて死にそうになるが、それまでも口や耳の中に隠して大事にしてゐた『忠』の字の玉を取り出して体をなでるに、苦痛はなくなり心地は元のようになつた。
138
信乃らは、額蔵がいよ/\七月二日に、庚申塚の刑場で磔刑になることを聞いて帰つた。それは七日間のお籠りが、今夜で終らうといふ時である。住持に逢つていろ/\と礼をいひ、お寺へをさめる金なども丁寧に送つた。さていよ/\明日の夜のあけるのを待つてゐる。
139
庚申塚の刑場へは、噂を聞いてあたりの百姓たちが朝早くから見物に集まつて来た。誰もが蟇六や宮六のよい人間でなかつたことを知つてゐるので、額蔵の罪をまことと思はずかうして磔刑になることを気の毒がつてゐる。額蔵は刑場の真中へひき出されて、高い楝の木の上へ釣り上げられた。社平は兄の仇、五倍二は主の仇をかへすといふので竹槍を持つて額蔵の左右に分れ、まづ双方から槍をつき出して額蔵の前で交叉をする。すぐに槍を引いて左右より額蔵につき立てようとした時である。五十歩ばかり隔たつたところにある東西の稲塚の陰から、鏑矢の音がして一度に二本の矢が飛んで来る。それが五倍二、社平の肩先へあたつたからたまらない。「あつ」と一声、槍を投げ出して打つ倒れた。
「それつ曲者がゐるぞ。残らずからめ取れ」
といふ下知と共に、兵卒どもは稲塚を目がけて突進するが、ばたりばたりと射倒されてさすがに狼狽した。「わーつ、わーつ」と一度に大騒動となつた。見物の百姓達も「わーつ」と声をあげて、遁げ惑うのである。そのうちに何人か、
「敵の矢は王子権現の奉納矢であるぞ、おそれるな。敵は小人数、総がかりでかゝつてからめ取れ」
といふものがある。稲塚を遠巻きにして兵卒共がせまつて来た。
「本郡大塚の住人、犬塚信乃戌孝こゝにある」
「下総滸我の浪人、犬飼現八信道、義をもつて助太刀をする」
といつて、稲塚の陰から躍り出た二勇士は、竹槍をりゆう/\としごいて突進して来たが、その槍の勢ひのはげしさ、見る間に五人六人と突き伏せられて行く。
140
宮六の家来であつた庵八は、この様子を見て、何はさておき額蔵をかたづけて置くが第一と、楝の木の方へ走り寄つて、落ちた竹槍を取り上げ、突き立てようとすると、
「犬塚、犬飼同盟の友、犬田小文吾悌順こゝにある。首をわたせ」
といつて、竹槍はげしく庵八についてかゝつた。庵八は兵卒どもと共に受け太刀となり、身に傷を負ひ、遁げて行く。この時五倍二と社平とは息を吹きかへし、何れも刀を抜いて信乃現八に斬つてかゝれば、信乃は、「伯母の仇思ひ知つたか」
と声をあげて、五倍二についてかゝり、見る間に地上へ突き伏せた。現八もたやすく社平をつき伏せた。その間に信乃は額蔵を木の上より助けおろし、縄を解き、社平の両刀を取つて渡した。今は四犬士となつての奮戦である。庵八も小文吾の槍に突き伏せられた。
141
兵卒どもゝ恐れをなして、もはや四犬士の側へ近づかない。四犬士も、額蔵さへ奪ひ取れば用はないのだから、
「諸君、もはや引き上げようではござらぬか」
といつて、一斉にさつと河の方へ引いて行つた。はや十町も遠ざかつたのである。その時大塚からは、鉄砲を持つた新手が助勢に来て、信乃らのあとを追うて走つた。近づくまゝに筒先を揃へ、一斉射撃で打ち取らうとすると、俄に夕立ちが降つて来た。盆を覆したような大雨である。そのために火縄の火が消され、鉄砲は用をなさない。
142
四犬士はその間に身を遁れ、戸田河まで駈けて来たが、戦国時代のことであるから、領主の命令が厳重で、この河を渡す船一艘も見えない。四犬士は遁げ途を失つた。その時ふいに高蘆のかげより、唄をうたひながら岸の方へ船を寄せて来るものゝ姿が見えた。簑笠に姿を固めてゐるけれども、見れば先程の●(「矛」+「昔」)平である。●(「矛」+「昔」)平は先ほどからこゝに四犬士を待つてゐたのだ。
143
船へ四犬士が飛び乗ると、●(「矛」+「昔」)平櫂を取つて船を河の真中へ押し出した。追つかけて来た大塚の軍兵の大将は、宮六のあとをついで役人となつた丁田町之進であるが、この男も宮六と同じく感心の出来た男ではなかつた。馬上から指し図をして、
「その船かへせ。もの共あの船を射よ」
と叫ぶけれども、●(「矛」+「昔」)平何も聞えない様子をして、悠々と向う岸へ漕いで行くのである。射る矢は空しく河の中へ落ちた。町之進は我慢が出来ない。馬をさつと河の中へ躍らせ、
「もの共つゞけ」
と下知をして浅瀬を求め、士卒共六七十名ばかり一かたまりになつて河を渡して来ると、その間に四犬士の船は向う岸へ着いてしまつた。
144
●「矛」+「昔」平はかねて用意をしてゐたと見え、船底から弓箭を取り出して町之進を射た。矢はあやまたず乳のあたりに突き立つたけれども、鎧がよいと見え、馬からは落ちない。その時ふいに水中から、一人の男が浮び出た。熊手を取つて町之進に引つかけ河の中へのけざまに引き落して、手早く腰刀を抜き、首を取つた。その様子は、あつぱれ勇士である。さてその勇士は町之進の馬を奪ひ、ひらりと打ち乗り、敵の雑兵共を熊手でなぎ倒した。兵卒どもは恐れて、一度に元の岸へ這ひ上つた。
145
その時また蘆原のかげから一人の男が現れて、長柄の槍をしごき、刃先鋭 146
この二人の勇士は、誰であるか。四犬士にも思ひあたる人がない。顔見合せて感嘆し●(「矛」+「昔」)平にたづねると、二勇士は●(「矛」+「昔」)平の甥力二郎、尺八といふものであつた。二人とも強い若者であり、日頃旧領主豊島殿の滅ぼされたことをなげいて、扇谷の管領家をにくんでゐる。大塚の役所などは、物の数にも思つてゐない。今日●(「矛」+「昔」)平は、この二人の若者と相談をして置いて、四犬士のために助力をしたのである。
147
四犬士
「然らばわれ/\も引き返して、恩人の二勇士に力をあはせようではござらぬか」
といつて、また船に引き返さうとすると、●(「矛」+「昔」)平引き止め、「それではわれ/\共の助勢が無になるから、四犬士には一刻も早くこの場所を引き上げ、上野荒芽山の麓へ落ちのびて貰ひたい」といふのである。四犬士も、たつて●(「矛」+「昔」)平親切に背くことが出来なくなつた。●(「矛」+「昔」)平書いて来た手紙を四犬士に渡し、「これをその地の音音いふ老女に渡して貰へばわかる」といつて、忙がしく別れをつげ、自分だけ一人船を河中へ漕ぎもどした。
148
さて流れの早いところへ出たと思ふと、●(「矛」+「昔」)平四犬士に声をかけ、
「かく殿原の加勢をし、大塚の役所へ弓を引いたからには、今更神宮河原へは帰られますまい。かねて覚悟をきはめ、殿原のお役に立つたからには、●(「矛」+「昔」)平暇を仕る」
といつて、船底の栓を引き抜き、船を水に沈めるのである。四犬士が、
「しばらく待て、●(「矛」+「昔」)平といつてゐる間に、船は水に沈み、●(「矛」+「昔」)平白波に姿を奪はれた。夕闇が河上にせまつた。兵卒共のあげる鬨の声だけが聞えて、対岸の勇士の戦ひも、どうなつたものか分らない。しかし四犬士は、今は河をわたす船を持たないし、●(「矛」+「昔」)平遺言もあることだから、あとに心は残るものゝ、河岸から立ちあがつて、夕闇の彼方に落ちて行つた。
149
刀を売る浪人
150
犬塚、犬川、犬飼、犬田の四犬士は、七月二日の闇の夜の中を上野信濃の方角さして落ちていつた。山の中を幾里となく迷つて行くうちに、東の空が白んで来た。ある高い山の半腹であるが、側に社があつて『雷電神社』といふ額がかゝつている。こゝは桶川の東南雷電山であつて、下に見える里は桶川であるに相違ない。庚申塚で逢つた夕立は、この神のお陰かも知れないと、四犬士は荒れた社の前に平伏して柏手をうつた。
151
木の株や石の上に腰をおろして四犬士は、互に今日までの出来事を語り合つた。信乃が聞いて驚いたのは、何よりも円塚山における浜路の死の事情である。犬山道節といふ同志のあることも四犬士にわかつた。額蔵は腰刀を出して信乃に示した。 152
四犬士は●(「矛」+「昔」)平言葉
「これは昨日、貴君が社平の腰刀を取つて忙しく私に渡して下さつた腰刀でござるが、これは蟇六どのが貴君を打てといつて渡した刀である。犬塚家に伝はる桐一文字の銘刀、貴君の祖父匠作殿より亀篠どのにおくつた先祖伝来の銘刀であれば、貴君がさして戴きたい。社平は私が捕はれた時この刀を奪つてさしてゐたと見える」
といふのである。信乃は、
「私には犬田氏より貰つた刀がござるから、幾口も持つのは無用でござる。然らば先祖伝来の刀は私が貰ひ、犬田氏より頂戴したこの二ふりの刀を貴君に進ぜるとしよう」
と、差し出した刀を額蔵は受け取り、
「これは不思議なこと、この刀は私の父衛二則任が秘蔵の左文字、今も定紋の雪篠が打つてござる。父切腹のをりこの刀もそのまゝ奪はれたが、何人かの手より犬田氏に伝はつたと見える」
と、その不思議な廻り合せに驚いた。犬田は、その刀をある商人より買ひ取つた話などをした。犬田も社平から奪つたもう一ふりの刀を持つてゐた。額蔵は既に名を改めてゐたけれども、これまでは下男の身である故その名を名のることもなかつたが、「最早父の遺刀を手にしたからには」といふので、今日からはつきりと犬川荘助義任と名乗ることになつた。
と、突然声をあげて、
「や、思はぬ人が遠眼鏡に見えた。たしかに犬山道節殿と思はれる人が、笠の下から本社の方を仰ぎながら、そゝくさと総門の外へ歩いて出られた。まだ一里とは離れてゐまいが、諸君これより犬山殿のあとを追はうではござらぬか」
といふ。三犬士もいそいで眼鏡を取り、あちこちと捜すけれども、もはや姿は見えて来ない。四犬士には、思ひあたることがあつた。練馬家の仇として犬山道節がねらつてゐる扇谷管領定正は、近頃はこの国白井城に来て住んでゐる。犬山はその定正をねらつて、この明魏附近をさまよふものに相違ない。四犬士は大いそぎで茶店を立ち出で、総門の方へおりて行つた。
こちらは扇谷管領定正である。近頃山内顕定と仲が悪く、鎌倉を退いて上野白井へ引き移つたが、信濃越後までを領地とし、鎌倉の山内に備へてゐる。昨日定正は砥沢の山に狩り競をし、今日は白井の城へ引き上げるのである。紋紗の狩り衣を着、黄金作りの太刀を腰に横たへて、奥州黒の逞しい馬に乗つた様子は勇ましい。兵卒共は、多くの獲物をかついで前後につゞいた。
153
はや白井の城までは二十町ほどしかないところの松並木を、定正の一行が通つてゐた。見ると道の行く手に、一人の逞しげな浪人が石に腰をかけてゐる。編笠を深くかぶり、顔はわからないが、膝の上には一口の大刀を立てゝゐる。大声をあげて、
「この刀を買ふものはござらぬか。わが銘刀を知る良将はござらぬか」
といふ。兵卒が近づいて、
「無礼者、笠をぬがぬか。管領殿のお通りであるぞ」
といひ、引き立てようとするけれども、浪人はたゞ声をあげて笑ひ、雑兵どもを相手にもしない。
「その方達には主人の管領家が貴いか知らぬが、此方は主人も何も持たぬ浪人の身、管領家も何もござらぬわい。刀を買ふものが徳のある管領家、刀を買はぬものがなんのありがたさか」
と、あたりかまはず大声をあげる。その時定正は近づいて、馬上より、
「騒がしい。十郎あれを静めよ」
と下知をする。近臣、松枝十郎貞正である。貞正は浪人の前へつか/\とよつて、
「いざ/\、御前へまゐられい」
「おゝ」
といつて、浪人は笠を一間ばかり後へ投げ捨て、馬上の定正を真正面からきつと見た。顔は白く髭鬚青く、筋骨逞しくていかにも立派な武士だ。
「某が家の重宝、わけあつて手放さうと存ずる。扇谷管領家は天下無双の名将と聞くからに、遥々こゝまで持つてまゐつた」
といつて貞正を見つめる。管領定正はその勇ましい様子に感心して、馬より下り床几を立てさせ、浪人を間近かに伴うて来させた。
「太刀は何か」
と問ふと、
「村正の銘刀でござる。まことか贋かこの太刀を御覧あれ」
といつて、すらり引き抜く銘刀の尖からは、露が滴つて袴の上に落ちる。まことにこれは天下の銘刀だ。定正は感心して、
「刀を此方に見せい」
といふ。浪人は引き抜いた刀のまゝで定正に近づいた。定正の家来が引き留めるけれども、浪人は聞き入れない。
「いや/\構はぬぞ。そのまゝ近うまゐれ」
と定正が鷹揚に許すと、浪人はにつこり笑つて定正の床几に近づいた。跪づいて刀を奉るようなふうをしながら、いきなり定正の胸先を取つて突き倒し、切尖きらりとさしつけた。
「定正たしかに聞け。汝に滅ぼされた練馬平左衛門尉倍盛の家来、犬山道節忠与は自分であるぞ。君父の仇をかへすため、昨年よりの苦辛のほどが今むくいられて、仇をかへし申す」
154
定正がはね返さうとするところを押へつけ、村雨の銘刀を振り下したと思ふと、定正の首は地上へ落ちた。
155
犬山道節の復讐
156
驚き呆れた定正の近習らが、それ/゛\刀を抜いて道節をおつ取り囲み、兵卒らも遠巻きにして立ち向つた。道節は一度取り上げた首を投げ捨て、やす/\と村雨を振り廻して、軍勢の中へ斬り込んで来るが、この勇士にあたるものはない。忽ち斬り崩されてさつと引いた。
157
その時木陰から三十人ばかりの兵卒を率ゐ、手槍を揃へて打つて出たものがある。率ゐるものはまだ若者、二尺五六寸、黄金作りの大刀を横たへ、品の高い武士である。
「やあ、犬山道節、わが身は巨田持資入道道寛の長男、薪六郎助友である。父道寛はかねてよりこの如き場合もあらうかと、策略を用ひ、越杉駄一郎遠安を君定正の姿にやつさしめた。今日汝に打たれたは、その忠臣の遠安であるぞ。さあこの罠にかゝつたからには、汝の首はこの身が貰はう」
といつて打つてかゝる。道節は、定正らの策略にかゝり、贋定正を打つたけれども、これとて仇の片割れである。敵を突き崩して身を退かうとすると、前後左右より槍が繰り出された。遠くよりは弓箭の一隊が、道節を遠矢に射取らうとする。道節はだん/\難戦になつて来た。
158
この時四犬士は茶店から駈け下り、麓の方に大騒動の起つてゐることを聞いた。「さては犬山が定正の軍勢へ打ち込んだに相違ない。これは助太刀しなければならない」と、なほもいそいで走せ下るに、前方に鬨の声があがつて、捕手の軍勢が駈けて来た。四犬士が立つてゐるのを見ると、これも道節の身方と思つたか、いきなり遠巻きにして、箭を射出し槍を揃へて打ちかゝつた。
159
四犬士も、今は十分腕前をふるつてよい時である。少しも騒がずそれ/゛\腰刀を抜いて四方へ斬り込んだ。日は既に暮れた。四犬士の働きはさすがに勇ましく、或は進み或は退き互ひに連絡を取つて戦つてはゐるものゝ次第に四人は別々の場所で敵にあたつてゐる。右にも左にも手負ひと打ち死にの人の数が増した。
160
道節はいつの間にか敵の囲みの中より遁れてゐた。戦ひは自分だけと思つてゐたに、いつの間にか幾箇所かに激しい太刀音が起つた。「さては道中の人が兵卒に囲まれたと見える。この人達を助け出さなければならない」と、左手の大竹藪の中へ潜り入り、縄を取つて竹と竹とを結んだ。さてその縄の端を引くに、大竹藪には多くの軍勢が潜んでゐるものの如くにがさ/\と動いた。その暇に道節は、敵の落して行つた弓箭を取り、矢継ぎ早に射出すと、見る間に敵はばた/\と打ち倒れた。さすがの巨田助友も、「敵に助勢がある」と思つたので、軍を引き纒めて退却していつた。
161
四犬士はその間に囲みから遁れた。「このひまに荒芽山へ遁れよう」と、闇の中へ身を隠した。道節も「今は用はない」と、籔蚊を払ひ払ひ竹藪の中から出て来ると、そこには立派の武士が一人槍を取つて、道節を待つてゐる。
「曲者待て。最前から待つてゐた。汝が父犬山監物入道を打ち取つたは、管領家に勇士と聞えたこの竈門三宝平五行、汝の首も貰ひ受けるぞ」
といつて、突いてかゝつた。
「願ふ敵だ。定正を打たずとも、汝に行きあはうと今まで留まつた。父入道の仇、さあ道節の太刀を受けて見よ」
と、道節は俄に力を得て太刀風はげしく三宝平に斬りよせる。三宝平も勇士ではあるが、道節の強い復讐心と村雨の銘刀の前には敵でない。すぐに受け太刀になつて槍を打ち落され、退いて太刀を抜かうとするところを、道節が大上段に構へた刀、「あつ」と一声打
162
道節は贋定正と左宝平の首を取り上げて、すばやく物に包み、悠々として立ち上がつた。
163
炉を隔てた敵
164
荒芽山の近くである。田文の地蔵の森といふがある。地蔵の堂のあたりには石塔がたくさん立つてゐて、それらの間に近頃立つたらしい塔婆が一つ見える。闇の中をすかしてなほよく見れば、この塔婆の前にひざまづき、首二つを供へて、何事か口の中でいつてゐる武士がある。
165
その時また一人の武士が近づいた。そのあとからは、老人らしい人が、これも忍び忍びに闇をぬうて来る。あとから来た武士は、塔婆の前にうづくまつてゐる武士に気がつき、古い塔婆の間から手を伸して、並べ供へてある首をしつかり掴み、また手を引き入れようとした。忽ち手と手ががつしりと握られた。二人はしばらくもみ合ふ間に、互ひに劣らぬ大力であるから、古い塔婆はぐわら/\とくずれて、闇の中に激しいもみあひが始まつた。
166
老人は木陰から様子を見てゐたが、この人も腰に二つの首を入れた包みを下げてゐる。二人の武士の争ふ様子を見かねたか、そこへ駈け出して来て、二人の間へ杖を差し入れ、押し分けようと骨を折つてゐる。その拍子に武士も老人も首の包みを落した。あわてゝ身をかゞめ、手さぐりで取り上げたはよいが、武士と老人の取り上げた首は、お互に取り換へつこになつてゐる。武士と武士とが抜き合せた刀が、さつと引いた拍子に推し倒された石塔の角に打つかると、ぱつと石火が飛び散つて、一人の武士はその火花の消えると一しよにやにはに身を隠す火遁の術、姿はどこへか消え失せた。いふまでもなく犬山道節である。もう一人の武士は、四犬士の一人犬川荘助、即ち先に円塚山で道節と刀を合せた額蔵であつた。荘助も老人も、忍び忍びにどこへか立ち去つた。
167
荒芽山の麓に住んでゐる音音といふ老婆は、もう年の頃五十を過ぎてゐるだらう。この人、昔は練馬家の老臣犬山入道道策に仕へてゐて、同じく召し使ひをしてゐた姨雪世四郎といふ人の妻になり、力二郎、尺八といふ二人の子を生んだが、世四郎は身の行儀の出来ない人であつたから、犬山の家を出されてしまつた。音音も夫のことをあきらめて、二人の子供には自分の里の方の名字をつけ、十条力二郎、十条尺八と呼ばせてゐた。同じ練馬の家の足軽に気立てのよい姉妹の娘があつたので、これをわが子の嫁に貰ひ、姉の曳手は力二郎の嫁、妹の単節は尺八の嫁になつた。その時練馬家の滅亡である。音音の一家もちり/゛\になつたが、音音は嫁の曳手、単節をつれて荒芽山の麓へ遁れて来たのだ。
168
犬山の家から暇を出された世四郎は、その後老人になつて、戸田河の近くの漁師となり名も●(「矛」+「昔」)平改めてゐる。音音とは昔別れたきりで、なんのたよりをもしない。力二と尺八とは、主人の家が滅んでから●(「矛」+「昔」)平の家へはひり込んでゐるが、その二人も音音の家へたよりをしない。かように一家は別々に暮らしてゐるけれども、その実●(「矛」+「昔」)平らも音音らも、をりがあつたら主人の仇をかへさうと、別々に考へてゐたのだ。音音の家へは犬山道節が遁れて来て、白井の城に住む敵の管領定正をねらつてゐた。
169
今日は管領家の、砥沢山の狩り競であつた。馬を持つものは、皆その為事に出ることを命ぜられた。女であつてもこの役を免れることが出来ないので、音音の家では姉の曳手が今朝から馬を曳いてその役に出てゐた。ところがもうすつかり夜になつたけれど、曳手は帰つて来る様子がない。
170
音音と単節とは心配になつて、「私が迎へに行く」、「いやお前ではいけない」などといつて、争つてゐた。
171
その時表に人の立つた音がする。単節は早くも聞きつけて、姉が帰つて来たものと思ひ燈し火を手にして、門へ出ると、そこには姉がゐないで、見も知らぬ老人が立つてゐる。何やら布呂敷包みを肩にし、竹の子笠を手にして、小腰をかゞめ、
「わしはこの麓にちよつとたづねる家があつて参つたものですが、途中で山賊に追はれ、息がきれて苦しいのです。水を一ぱい下さいませんか」
といふ。家の中の音音はやつぱり曳手だと思つてゐるから、門へ出て来て、
「曳手や。さぞ疲れたらうね。はよう馬を牽き入れて足をお洗ひや」
といひながら、単節の持つた燈し火の光りでずつと外の闇を見すかすと、そこで老人の顔に打つかつた。老人も音音も互にぢつと、見つめてゐた。
「やつ、お前は音音ぢやあないかな。世四郎の●(「矛」+「昔」)平帰
といふのは、まぎれもない自分の夫である。それにしても、もうたよりをしなくなつてから、何十年たつたといふのだらうか。自分の家には近頃主人の道節も泊つてゐるけれど、夫はその犬山の家を暇出されたまゝで、まだ帰つてよいお許しが出てゐないではないか。音音は何よりかより、かう老婆になるまで長く自分をほうつておいて、子供やら何やらの心配すつかりをさせてゐた夫に怨みをいはなければならないのだつた。
172
音音は隔ての戸をぴしやりとしめた。嫁の単節は、老人をどうしてよいかわからない。母の怒るのにも道理がある。けれども世四郎は、なんといつても夫であり舅ではないか。そこには力二もをれば尺八もをるのだ。その尺八どのはこの頃どうしてゐられるだらうか。
「なあ音音。お前がおこるのは尤もだ。このわしが今頃帰つて来られるものぢやあないのだ。わしが主人のことを考へてゐるなどといつても、お前たちはほんとうにしてくれないだらう。だが、わしも若旦那のことが気がかりで帰つて来たのだ。子供達のことについても話したいことがある」
と、世四郎はくど/\外そとで語るけれども、音音はそれに返事もしない。子供達のことは、聞きたくないのではない。犬山家のことについても、夫に相談したいことはたくさんあるのだけれども、今はこのまゝで夫にあふわけにいかない。単節は燈し火をふつと吹き消し、母に知られないようにして外へ出た。そして「この夜更の闇にどこへ行けるものでもないから」といつて、●(「矛」+「昔」)平柴小屋の中へ案内し、そこで休ませることにした。●(「矛」+「昔」)平肩にしてゐた包みを単節に渡すと、単節は首と知るわけもなく、こつそりと持つてはひつて戸棚の中へ隠し、そのまゝ姉を迎へに出た。
173
曳手は帰らず、単節は迎へに出て見ると、あとには音音一人が残つた。音音は寂しく夫のこと、嫁の姉妹のことなどを考へて、物思ひに沈んでゐたが、また窓をたゝいて外よりたづねて来た男がある。
「突然物をおたづねしますが、この辺に音音といふ御婦人は住んでゐますまいか」
「その音音はわたしでございますが」
174
なんぞ敵の間諜ではないかと、音音は油断せずその男の顔を見た。
「さようでござつたか。実は外に三人の友人があり、一しよにたづねて参つたが、途中で道を迷ひ、分れ分れになり、あなたへお届けする手紙を持つてゐた友人はあとになりました。しばらく休ませては戴けますまいか。私は犬川荘助といふものです」
175
見れば立派な武士であり、悪者のようにも見えないが、油断のならないこの頃である。門をあけて中へ入れ、番茶を一ぱい汲んで出し、
「見られる通りの田舎でございますから、なにとて参らせるものもございません。うちの人々も今朝出てまだ帰つて参りませねば、物を調へて参るにも留守をする人のない始末、まことに失礼ではございますが、暫く留守居をして下さいませ」
と犬川に頼んで、音音は外へ出て行つた。
176
犬川はあたりを見廻すに、山陰の一軒家、人里を遠く離れて、見るからに荒れた家の中である。窓からさつと風が吹き込んで来た拍子に、燈し火はふつと吹き消された。犬川が「どこぞに附け木はないか」と探る手の先には、茶椀や紡ぎ車がぶつかるだけで、家の中の勝手がわからない。その時いきなり門の戸があいて、
「音音ゐないか。なんで燈し火を消した。単節はゐないか」
と無作法に呼びながら、そのまゝはひり込んで来る男がある。手で探り探り持仏のあたりの破れ戸棚をあけ、何やら荷物をその中に投げ入れた。さて犬川のゐることにも気がつかずに、囲炉裏の向うへあぐらをかいて坐り、燧箱をさがしてゐる。それも見つからないものだから、火箸をさがして取つて埋れ火をかき起し、側の刈り草をその上へのせた。
177
窓からさつと風の吹き込む拍子に、枯れ草は一時に燃え上つて室の中が明るくなつた。
「や」
「や、や」
と、刀を取るのが一しよであつた。互ひに身構へして、今にも打つてかゝらうと囲炉裏を中ににらみつけてゐる。犬川が声をかけた。
「犬山道節氏」
「拙者の名を知る貴君は誰だ」
「まづ/\刀を引かれい。貴君と拙者とは元々同盟の士と申しても貴君は思ひ当るまいが丸塚山のあたりで村雨の刀を取りかへすため、貴君と戦つたものを思ひ起されぬか。さあその男が、この犬川荘助義任と申すものでござる。貴君はその時肩の瘤の中より美しい玉の飛び出たのを御承知あるまいが、拙者も持つてゐた同じ玉、文字は違ふが『義』の字のあるもの、それは守り袋のまゝ貴君の手に渡つた。また貴君の身のいづこかには、牡丹の花の形をした黒痣がござらう。この玉、この黒痣、この二つが同盟の士の印でござる。先程地蔵の森の石塔のそばで、腕と腕とを押し合つた武士、石塔にあたつた火花諸共、その姿を消されたものも、円塚山での遣り口に思ひ合せ、やつぱり貴君でござらうがの」
「いかにも拙者。貴君の申されること、玉と申し黒痣と申し、一々その通り。然らばわれらはもとよりの同盟の身でござつたか」
「その通り、この同盟の士にはその他にも犬塚、犬飼、犬田、犬江の諸君がござる」
178
犬川、犬山は次第に打ち解けて来た。二人は互ひにこれまでの身の上や他の犬士の人達、この家の音音の身の上やを語り、今日あつた明巍の麓の戦ひを語つて、互いの不思議な廻り合せに驚いた。
179
音音がそこへ帰つて来た。曳手、単節はやつぱり見つからなかつた。犬山は犬川を音音に引き合せる。音音は夫の●(「矛」+「昔」)平戸田河の戦ひで船と共に沈んだことを聞いた。「さては先ほど訪ねて来たのは、その夫の亡魂であつたらうか。あの時の取り扱ひは」と、済まない心で一ぱいになり、持仏へ燈りをつけたりする。犬山、犬川は、「他の三犬士のことが気がかりであるから」といつて、それをさがしに外へ出た。
180
入れ違ひに門口へたづねて来たのは、村長の根五平と、樵の丁六、●(「禺」+「頁」)介であつた。犬山道節がお上の尋ね者になつてゐること、見つけたものはすぐに訴へないと厳罰のあること、訴へたものに褒美のあることなど、お役所のお布令を告げに来たものであつた。 181
音音の茅屋 182
音音はその人達の帰つたあと、「危ないところであつた」と、息をついた。それにしてもこのあとどうして主人らをかくまつて行かうか。俄に馬の鈴の音が聞えて来る。曳手の馬だ。音音は門口へかけ出して見れば、曳手が馬をひいて、馬の上には体の病み疲れたらしい二人の旅人をのせ、単節はその旅人の荷物を持つて立つてゐた。「このお布令のやかましい時に、なんで旅人などを乗せて来たか」と音音がとがめると、曳手は今日麓の騒ぎで馬をやることも出来ず困つてゐた時に、この旅人が出て来て、人をかき分け案内してくれたのでやつとその場を遁れ出ることが出来たが、さて遁れ出たところで旅人二人は急病を起し、立つて歩かれなくなつたので、恩ある旅人でもあり、そのまゝ馬に乗せて帰つて来たのだといふ。
183
旅人二人は曳手、単節に足を洗はれ、窓の下に立つてゐた。音音はその顔をつく/゛\と眺めて驚いた。 184
その話をして行くうちに、力二、尺八はなんとなく苦しそうになつた。どこかしよんぼりと疲れたようすである。顔色もわるい。
「力二、尺八ではないかのう」
「やあ、母御でしたか。最前より声を聞きながら、嗄れた声に母御ともわからず、失礼申しましたがお許し下さい」
と、見返す顔はもはや力二、尺八にまぎれもなかつた。それにしても曳手、単節が今まで自分らの夫を見分け得なかつたのは、何故だらうか。さうだ、今見
「話に気を取られてお前達の病気のことも忘れてゐたが、容体はどんな工合かな」
「なんでもないのです。この間の戦争で、私達は体に少し手傷を負ひましたが、長い道中を少しいそいで参つたゝめ、その傷が痛み出したのです。母御にお目にかゝつた喜びが何よりの薬で、その痛みももうなくなりましたよ」
といつて、戸田河の戦ひの話をした。二人は●(「矛」+「昔」)平苦心
「お前達は顔色が悪いのう。やつぱり養生しなければいけませんぞへ。手柄ばかりをいそいでも、まことに忠義ではございません」
といふと、力二、尺八は、
「母御の御恩はいつになつても忘れませんが、今は戦国の世、このくらゐの手傷で引き籠ることも出来ますまい。私共兄弟は、この暁に出発して、鎌倉へ行かうと思ふのです。出て行けば、いつ帰るともわからない身の上、まづこれがお別れでございませうが、母御のことは曳手、単節に宜しく頼みますぞ」
と心細いことをいふ。曳手、単節は、泣いてゐる。音音はなほも力二、尺八をなだめた。それにしても夫の●(「矛」+「昔」)平船
185
単節はそれを聞くと、自分がこつそりと●(「矛」+「昔」)平柴置き小屋へ案内して置いたことが、夢の中のように思ひ出される。あれは●(「矛」+「昔」)平亡魂であつたのだらうか。それにしても不思議なことだ。いや、あれはほんとうの●(「矛」+「昔」)平単節は、そのことを隠さず、母や力二らに語つて、「わたしが柴小屋へいつてさがして参りませう」といふと、尺八は急に押しとゞめて、
「今柴小屋へ行つて見たところで、なんにならう。父御はもうそこにはお出でゞない」
といふ。曳手は思ひついて、
「では、父御の持つて帰られた包みといふを取り出して見ては」
といふと、力二、尺八はそれをもとどめた。かうまで二人がとめるのは、なぜであらう。包みだけは取り出して見てもよいではないか。音音はさう思つて、単節を立たせた。力二尺八は、もう強ひて押しとゞめようとしない。単節は棚をあけて、包みをさがすに、包みはそのまゝ残つてゐた。それならばやはり●(「矛」+「昔」)平亡魂でなかつたのか。
186
曳手も手伝つて包みを解いて見るに、中よりは生新らしい男の首二つが出て来た。「あつ」と声をあげ、三人思はず手を引いて、力二、尺八を振り返れば、これはまた不思議のことではないか。今まで腰をおろしてゐた力二、尺八はどこへ行つたか、その姿は消えてゐる。三人は重なる不思議に、なほもよく首を調べて見るけれど、何れも見知らぬ男の首だ。暁近い鐘の音が聞えて来た。
「音音、その首の話はわしがしよう」
といつてはひつて来たのは、●(「矛」+「昔」)平である。●(「矛」+「昔」)平は、河に沈んだ人ではないか。さてはまた亡魂であるか。或はこの辺の狐や狸が姿をかへて来たのであるか。三人はさう思つて油断をせずにゐると、●(「矛」+「昔」)平「この首には少しくわけがある。けれどもわしの持つて来た首はこれでなかつたはずだ。この外にまだ包みがあらうから、棚をよくさがしてくれい」
といふ。単節は不審に思ひ、最前の棚を探すけれども、外には何も見あたらない。「或はしまひ場所を間違つたのであらうか」と、夜具を入れる破れ戸棚の中を捜すと、そこにも一つの包みがあつた。
「さうだ、さうだ。この包みだ。中を開いて、みんなで見てくれい」
と●(「矛」+「昔」)平中から現れたのは、まがふ方もない力二と尺八の首であつた。
187
それならば力二と尺八とは、すでにこの世にない人であつたか。今までこゝにゐた二人の姿は、どうなつたのであらう。或はやはり●(「矛」+「昔」)平が亡魂であるだろうか。曳手と単節は、力二、尺八の首を見て、急に土の坑へ突き落されたような心地がした。
188
●(「矛」+「昔」)平は戸田河の戦ひの起るまでの話をした。力二、尺八と相談をして四犬士を音音のところへ送るために、決死の戦ひをした話をした。それは先にゐた力二、尺八が話したとほりである。自分は敵地にある家へ帰ることが出来ないから、船を沈め水に溺れて死なうとしたが、泳ぎの出来る身は水の上に浮び出るばかりで、どうしても死ぬことが出来ない。その時敵は鉄砲を取り出して、力二、尺八の上に弾丸を雨霰と打ち注いだのだ。いかに二人が強くとも、この飛び道具には敵はない。見る間に打ちすくめられ、ニ人は無残にも打ち死にした。さて大塚の軍勢は、二人の首を取つてかへり、信乃、額蔵の首だといつて庚申塚の楝の木に梟けた。●(「矛」+「昔」)平はその噂を聞いて、夜庚申塚へ忍んで行き、首を取りおろし、物に包んで遁げて、こゝ荒芽山まで来たのである。先ほど尋ねて来たといふ力二、尺八は、その父を追うて来た亡魂であつたらう。それにしても二人の首の外に、もう二つ別の首のあるのは何故であらうか。
189
はつきりと事柄がわかつた。今の今まで音音は夫に死なれ、力二、尺八に逢つたと思つてゐたのに、事柄はすつかりそれの反対であつたのだ。それにしても、二人の亡魂が持つて来た荷物はなんであつたらうか。「せめてもそれを」と、単節が取つて開いて見ると、中からは二人の着てゐた鎧や小手が出て、鉄砲の弾丸が六つ七つ打ち通し血に染まつて、二人の戦ひの激しさを物語るものであつた。
190
●(「矛」+「昔」)平は犬士たちをさがしに行かなければならない。すべてはその上のことだ。さう思つて縁側の障子に手をかけた時、障子はばたりとたふれて、踏み込んで来た三人の曲者、
「ゆうべから、怪しいとにらんでゐたこの家、帰ると見せかけ忍んでゐたとも知らずに、話したことはみな聞いた。さあ道節の一類縄を受けい」
191
さういつたのは村長の根五平である。うしろには丁六、●(「禺」+「頁」)介がついてゐる。
192
音音はうしろへひいて懐剣を取つた。●(「矛」+「昔」)平は驚くようすもない。
「こゝらの樵にこの●(「矛」+「昔」)平が捕られると思ふか。寄つて見い」
といつて抜き放つた仕込み杖、左右から打つてかゝる丁六、●(「禺」+「頁」)介の斧の下をくゞり、丁六の脇腹をさつと斬つた。●(「禺」+「頁」)介は驚いて、部屋の奥へ遁げ込まうとすると、音音の懐剣がいきなり肩を刺した。根五平は「もう敵はぬ」と、表へ遁げ出し、はや庭口の外へ出た。●(「矛」+「昔」)平音音は、血刀提げて追つかけたが、根五平の走るのが早く、刀はそこまで届かない。
その時、
「おうつ」
といふ声がして、唸りを立てた手裏剣がどこからか飛んだと思ふと、根五平はばつさり前のめりに倒れた。
193
襖を明けて静かに出て来たのは主人の犬山道節である。いつの間にこゝへ帰つて来てゐたのであらうか。音音と曳手と単節とは、そのまゝ前に平伏し、●(「矛」+「昔」)平縁側のこつちの障子のあたりに手をついてゐる。
「やあ世四郎、お前ひとりなんでそこに離れてゐるか。四犬士への助太刀、力二、尺八の働き、残らず聞いてわしは世四郎に感謝してゐるぞ。お前は帰つて来て前の如く音音と夫婦になり、わしを助けてくれよ。力二、尺八の亡魂は、音音にそのことを告げに来たものであらう。曳手、単節の悲しみは今のわしにも慰める言葉もない。力二、尺八に代つて、世四郎夫婦とも/゛\これまでの如くわしを助けてくれよ」
と、犬山はしみ/゛\と世四郎一家を慰めるのである。そこへ犬塚、犬川、犬飼、犬田の四犬士も姿を現した。
194
さてかように五犬士と世四郎一家が打ち揃つた上は、この場所に長くとゞまることは危険である。最前の樵らのような間牒が、どこかに隠れて様子を見てゐるかも知れない。定正の軍勢が打ち寄せて来る前に、一刻も早くこゝを引き上げるのがよい策であらう。そこで、犬山が打ち取つて来た贋定正と竈門三寳平の首を庭に梟け、一同は立ち去る支度に取りかかつた。犬田小文吾は犬飼、犬塚二犬士を大塚へ送つて帰るつもりなのがこんなにおくれたのだから、ひとまづ行徳へ帰ることゝし、姨雪世四郎の一家をそこへつれて行く。犬塚犬飼、犬山、犬川の四犬士はまだこれといふ目あてがないから、安房の君に仕へる前に、他の犬士を探して全国を廻ることにした。
195
かように支度をしてゐるところへ、あたりの山にこだまがして、まはりに起つた鬨の声はいふまでもなく上杉勢が攻めて来たのだ。この大軍に攻められては、山中のこの茅屋も、もみつぶされてしまふであらう。五犬士はうろたへた様子もなく、悠々として敵の近づくのを待つてゐる。姨雪夫婦はその様子を見て、「この場所は一まづ自分ら夫婦が防ぐから、犬士の人々は身を遁れて貰ひたい」といつて聞き入れない。そこで犬田はこの戦ひにはかまはずに、曳手、単節を馬に乗せて立ち退くし、この家には姨雪夫婦が立て籠つて敵に矢をあびせつゝ防いでをり、他の四犬士は一まづうしろの山に退いてゐて、時を見、左右より敵に打つてかゝる。防戦の手はずはかようにきまつた。
196
五犬士立ち去つたあとの、姨雪夫婦の働らきは目ざましい。茅屋にはもう火が廻つた。この火の家を囲んで攻め寄せる上杉勢の数は、どの位であらうか。山の上にもすき間なく軍勢が攻めのぼつた。五犬士がいかほどよく奮戦しても、この大軍をどうすることが出来よう。見る間に各所に斬りあひが始まつて、五犬士は互の姿を見失つた。
197
嵐山の名笛
198
犬田は敵と長くも戦はず、よい加減に追ひ散らしては山の彼方へ落ちて行く。彼は姨雪夫婦と曳手、単節を落させなければならぬ大事な任務を持つてゐるのだ。二人の姉妹を、馬より振り落されないように鞍の上にしつかりと縛りつけた。程よい樹立ちまで退いた時に、姨雪の家は火に囲まれたと見え、物すごい火焔が空へあがつて見える。そしてこの火事の飛び火が山の木の上に飛び散つて、あつちにもこつちにも激しい音を立て山火事を起してゐる。さては姨雪夫婦の身も危い。犬田は姉妹の合乗りした馬を樹立ちの中の一本の木へしつかりとつなぎとめ、自分ひとり立ち帰つて姨雪夫婦を助け出さうとした。けれども行き手は一面の山火事で、もはや姨雪の小屋へ近づけそうにない。見れば姉妹を置いて来た樹立ちにも火が移つて、そこでも火事を起し始めてゐる。このまゝならば姉妹の身も危いと、大いそぎで樹立ちの方へ引き返した。
199
この時馬は荒れ狂うて、つないだ木の周りを幾度も飛びまはり、一層木から離れられないようになつてゐた。雑兵どもはそれを見て、「生け擒りにしよう」と駈けて来る。犬田は駈け寄つて、その雑兵を斬り倒した。雑兵の一人が犬田を斬ろうとした刀の余りが、馬の手綱をきり放すと、馬は姉妹を乗せたまゝ飛んで行つた。犬田はそのあとを追うて駈けて行く。荒芽山の麓には、この戦ひの間にうまいことをしようとする野武士たちが待ち伏せをしてゐたが、姉妹の馬を見てそれを取り押へようとし、忽ち三四人は蹴倒された。その時一人の野武士は鉄砲を出して馬の腹を打ち抜けば、馬は一度に四足を折つて倒れたが、ふいに黒雲が起つてその馬の上に降りて来たと思ふと、馬はむつくり起き上つて、龍のような勢ひで飛んで行く。地上か空中か、その勢ひは目にもとまらぬようだ。犬田も見る間にその姿を見失つてしまつた。
200
犬田は敵の囲みの中から遁れ出てゐた。その辺には軍勢らしいものゝ影も見えず、田舎の野や山がもうそろ/\秋に向ふ静かな姿をしてゐた。四犬士や姨雪夫婦はどうしたか。それはまだよいとして、自分にまかされた曳手、単節の姿を見失つては、他の犬士たちにも逢はす顔のない気がした。この田舎の里を三四日も歩いた後のある日のことであつた。犬田は武蔵の浅草寺に近い高屋、阿佐谷の村間の田圃のあたりを通つて、手負ひ猪に襲はれたが、少しも驚かず例の大力を出して打ちのめし、地上にたゝき伏せてしまつた。なほ行くと、そこに猟師がたふれてゐる。助け起していろ/\と介抱して見れば、それはさきの猪に突かれたのであつた。かれは鴎尻の並四郎といふものであるが、日頃この猪が出て来て田圃を荒らすので、それを撃ち殺し村長の褒美金を貰はうと思つたのである。並四郎は犬田に頻に願つて自分の家に泊つて貰ふことにした。並四郎の家には、船虫といふ妻が待つている。犬田は一足さきに並四郎の家にいつて船虫に迎へられるし、並四郎は猪の始末をし、村長の家へ寄つて帰るのである。
201
犬田は夕食をたべながら並四郎を待つてゐた。船虫といふ妻は、三十の上を六つ七つは出てゐるであらうか。猟師の妻らしくもなく、綺麗の着物などを着てゐる。主人はいつになつても帰つては来ないが、犬田は船虫のすゝめるまゝに先に座敷へはひり、蚊帳を釣つて貰つて、久し振りで伸び伸びと寝た。
202
夜更
「さては盗賊だな」
と犬田はすぐに気づいたから、蒲団の中へは荷物を押し込み、自分はそつと抜け出して、袋戸棚の側の壁に身を寄せてゐた。盗賊は壁のくづれから忍び込み、布団の中の人の寝息をうかゞひ、蚊帳の四方の釣り手を斬り落して、布団の上に跨り、「やつ」と刀を突き立てた。犬田はすかさず跳りかゝり、抜く手鋭く斬り下げると、もろくも盗賊の首はばたりと落ちた。
「盗賊を打ちとめた。早く燈りを持つて来られい」
と声をかけるが、船虫はなか/\出て来ない。やつと持つて来た行燈をさしつけて見れば、盗賊は並四郎であつた。
203
船虫はさめ/゛\と泣いてゐる。自分の家が昔は村長であつたこと、この並四郎といふ男を婿にしたゝめ家すつかりが貧乏になつたこと、貧乏に苦しみ恩人の犬田をさへ打たうとしたと見えるが、床よりぬけ出たことを自分も知らなかつたことなどを語つて、しみ/゛\と詫び言をいつた。そして犬田にこのまゝ事柄を穏かに隠して置くことを頼み、自分はこれよりお寺へ行つて来るから、帰るまで留守居をしてゐてほしいといひ、なほ納戸の方へいつて、古金欄の袋に入れた尺八を持つて来、
「朝早く、お立ちになるならば、なんといつてお礼も出来ませんが、これは先祖より伝はつた名笛でござれば、これなりともお納め下さいませ」
と、頻に願ふのである。
204
船虫がお寺へ行つたあとで、犬田はいろ/\とあたりの様子を見るが、たゞの猟師の家とは見受けられない。尺八とて怪しいものであるから、そのまゝ袋戸棚の中へかへして置き、薪の燃えさしを一本取つて荷物の中へ入れ、尺八のような格好に見せて待つてゐた。船虫が帰つて来ると、多少の金をやり、朝飯をもたべないでそのまゝ家を出た。
205
まだ朝は早かつた。牛島の渡しへ行かうといそぐ途中で、新らしい草鞋の端緒がきれたから、それを直さうとかゞんだ拍子に、 206
犬田はそのまゝ役所へひかれた。役所では畑上語路五郎といふ人が調べ役であつた。ここの領主の千葉家ではかつて嵐山といふ名笛を失つたが、船虫の訴へによれば犬田がそれを持つてゐて、昨夜並四郎に見せたのである。並四郎は嵐山と知つてそのことをいふと、犬田は並四郎に酒を飲ませ、酔うたところを斬つて殺した。妻の船虫はお寺へ行くといつはつて、そのことを訴へ出たのだ。──語路五郎はさういつて、犬田を取り調べた。犬田にはすつかりの事柄がわかつた。そしてほんとうの事柄を役人に告げその証拠をいろいろと申し述べたので、役人は人をやり船虫の家を調べさすと、犬田のいつたことには間違ひがない。船虫はそばに聞いてゐたが、もはや隠し立てをすることも出来ないので、 207
語路五郎が裁判をしてゐる場所を、俄に通り過ぎたのは、領主の千葉介自胤であつた。語路五郎が、嵐山の名笛を取り返したこと、犬田がその賊を殺したことなどを申し上げると、自胤も感心して、犬田をわが家へ召し抱へたいものと思つた。 208
さう懇ろにいつて、自胤は嵐山の尺八を手にしながら立ち上つた。かれは今日この地方へ小鳥狩りに来たのである。 209
馬加大記 210
馬加大記常武は、千葉介自胤の長臣である。常武の心が清くなく、をりもあらば主家を乗取らうとしてゐることは、心ある人々に気づかれてゐるけれども、その威勢をおそれて誰もこれに歯向はうとしない。犬田は行徳へ帰ることもならず、この常武などとかゝりあひになつて、しばらくはこの地に逗留しなければならぬことになつた。
211
語路五郎は常武のところへ兵卒をやつて、嵐山のこと、船虫のこと、犬田のことなど報告すると、常武は返事をして、「犬田は語路五郎が伴つて常武のもとへ参れ、船虫は村長らにあづけて厳重に番をさせて置け」といふことである。語路五郎はいはれたようにして常武の前へ出ると、常武は声をあらゝげ、「犬田を村長にあづけよ、船虫を伴つて参れ」といひつけたはずだといつて叱りつけ、嵐山の名笛をすぐに自胤に献上したことをも差し出がましいといつて叱り飛ばした。
212
語路五郎は大急ぎで帰つて、船虫を伴つて来ようとすると、その留守の間に大へんなことが起つた。既に夜は更けてゐたが、語路五郎の使ひだといつて村長のところへ来たものがある。「今すぐ船虫をつれて参れ」といふのである。百姓達にいひつけて船虫をしつかり番をさせつゝ夜の道を歩いて行くに、森の木陰から鉄砲を持つた一隊が出て、船虫を奪ひ、どこかへ立ち去つたのだ。語路五郎は帰つて来てこのことを聞き、驚いて常武のもとへ引き返し、そのことを申し上げると、常武の家来はすぐに語路五郎を捕へて牢の中へ押し入れた。百姓達も捕へられた。この牢の中で、後に語路五郎は病死した。
213
犬田は自胤の城中へ伴はれて行つたが、それから城外へ出ることを許されない。ある日馬加常武に呼ばれてその前へ出ると、常武は頭も下げず傲慢に坐つてゐて犬田を見下し、 214
犬田はそれから、常武の家の離れ座敷へ移つた。秋も暮れ、冬も過ぎて、もう次ぎの年の春になつたが、常武は犬田を帰さうとはいはぬのだ。犬田としては、こんな迷惑なことはない。朝晩誰が訪ねて来るでもなかつた。たゞ品七といふ老人の下男だけが、度々庭の掃除に来て、草を刈りながら話をしていつた。お茶など出して品七と懇意になつて行くうちに、品七も犬田には打ち解け、ある日、ふとしたことから馬加常武がこれまでして来た悪事を残りなく犬田に聞かせたのである。
215
その話は、かうであつた。
──領主の自胤は、
兄の実胤
から家を譲られたのである。粟飯原胤度、籠山逸東太縁連といふ二人の老臣がゐて、新たに家来として抱へられた馬加常武などはなんの勢力をも持つてゐなかつた。縁連はまだ若く、考へも浅いから恐れるに足らないが、胤度は常武にとつて邪魔ものである。常武は、日頃この二人をないものにしようと工夫してゐた。兄の実胤は石浜の城にをり、弟の自胤は赤塚の城にゐて、その兄の石浜殿が隠居をしようとする時のことである。千葉家は、滸我殿とも仲直りをしようとしてゐた。
216
ある日馬加大記は、石浜殿の使ひだといつて赤塚の粟飯原胤度をたづね、重宝の嵐山の名笛を取り出して、「千葉家は滸我殿と仲直りするが、すべてに都合よい。それにはこの嵐山の重宝を贈らうと思ふ。しかしすぐに隠居する兄の名で贈るよりは、これから領主になるはずの弟の手から贈る方がよい。さういつて実胤がこの笛を渡してくれた」といふのである。胤度はその好意に感謝して、このことを殿へ申し上げると、殿もまた兄の心づかひに感謝した。そこで粟飯原が使ひになつて、この名笛と外に小篠、落ち葉の銘刀二口をも持つて、滸我殿へ行くことになつた。
217
粟飯原が十人ばかりの手勢を率ゐ、滸我へ向けて立つたあとへは、馬加常武が来て赤塚殿へお目見えをした。自胤は馬加の今度の骨折りについて礼などいふと、馬加は不審そうな顔をして、「その粟飯原の話はすつかりうそである。粟飯原は、あの笛を見たいとの自胤殿のお言葉であるといふから、笛はたゞ貸したのだ。粟飯原はかねてから滸我殿と相談をし謀反を企てゝゐるといふ噂があるから、さてはその笛を欺いて取り土産に持つて行くものと見える」といふのだ。殿の自胤もこれには困つた。さつそく馬加に相談をして、籠山逸東太に兵卒をつけてやり、粟飯原を追つかけさせることとした。
218
籠山の軍勢は、間もなく粟飯原に追ひついた。君の命令で、「また城へ帰つて参れ」といふことである。粟飯原は驚いて馬を返すと、籠山の軍勢は俄に粟飯原を取り囲んで打ちかゝつた。粟飯原はふいを打たれて、一たまりもなく斬り伏せられ、首を取られた。その手勢のものと籠山の軍勢とが争うてゐる間に、木陰から男女の曲者が来て、嵐山の尺八と銘刀とを持つて遁げて行つた。籠山は驚いてそれを追つかけようとしたが、及ばない。さて粟飯原を打ち取つたところで、自分はせつかくの尺八と銘刀とを失つたから、このまゝ帰れば自分もまた罰せられるのである。籠山はまだ若く一人者であつたから、その場よりすぐに遁げてしまつた。
219
かうなると、千葉家からは一時に二人の長臣が姿を消したのである。それよりのちは、馬加は、思ふがまゝに立身した。気の毒なのは、粟飯原の家であつた。馬加は復讐を恐れて、粟飯原の家族のすべてを殺した。たゞ一人女 220
品七はさう語つたあとで、帰つていつた。犬田は聞いて驚くことだらけである。これはよほど要心をしなければならぬと考へた。品七はその次ぎの日から来なかつた。それとなく人に尋ねると、ふいに病気になつて血を吐いて死んだといふことであつた。 221
対牛楼の女田楽 222
馬加は、犬田が自分の身の秘密を品七から聞いた上は、犬田をも同じく毒殺しなければならぬと考へてゐた。それからのことである。犬田は食事ごとに腹がいたくなつた。品七の死から気づいてゐたので、犬田はすぐに例の玉を取り出し、口に含んで毒を消した。馬加は、犬田が死なゝいのを不思議に思つてゐる。「さては何か術を使ふ人であるかも知れない」と考へたので、この上は犬田をも自分の身方に加へる工夫をしようと思つた。
223
その時、鎌倉から城下へ女田楽の組が来た。何れも美しい女であり、田楽も面白く舞ふといつて評判である。田楽といふのは、今の曲芸のようなこともやれば、舞ひをも舞ふその頃の芸である。馬加は、自分の家で酒盛りを開き、そこへこの女田楽をも招いて、お客には犬田を呼ばうと思ひついた。さてある日、犬田のところへは馬加の使ひが来て、立派な着物や袴を贈り、この酒盛りへの案内をのべた。「さては何か計略があるのだろう」とは思つたが、犬田もそれを断るわけにはいかない。お礼をいつて着物をそれに改め、使ひの人について行くと、庭から飛び石をたくさんに渡り、門をくゞり長い廊下を通りなどして、馬加のゐる広座敷へ来た。
224
犬田の姿を見ると、馬加は立つて来て出迎へた。今日は犬田の手を取つて、お客の席へ据ゑるのである。馬加の側には、妻や娘らが並んでゐて、田楽の舞ひを待つてゐる。馬加は犬田に一々自分の家族を引き合せた。次ぎの間には馬加の四天王やその外の近臣たちが坐つてゐて、これも先程から酒盛りをしてゐたと見える。馬加が四天王らにいひつけると、皆どや/\と集まつて来て、犬田の武勇を褒めなどしながら、あちこちから盃をさした。すべてが今日は、無礼講であると見える。
225
別の間にかねて支度をしてあつたと見え、女田楽の娘たちがはひつて来ると、酒をのんでゐる男たちは一斉にその方に目を注いだ。鼓を打つもの、笛を吹くものなどの四五人が美しい着物を着て出て、まづ縁側のところに並び頭を下げる。そのあとから、十八ばかりになつたかと思はれる美しい舞ひ女が一人、静かに歩いて来て、部屋の中に立つた。これは近頃有名な旦開野といふ女田楽である。鼓や笛に合せて、澄んだ声で唄ひながら舞ひ出した時には、部屋も明るくなつたようだ。馬加の家族や家来たちは、たゞその美しさに酔はされてゐる。舞ひが終ると、女田楽らはお礼の物など貰ひ、廊下を伝うて出て行つた。
226
犬田も馬加に礼をのべ、その辺できり上げて帰らうとすると、馬加は「この対牛楼の楼上より、この辺の景色を見て貰ひたい」といふのである。東の空が明るくなりかけてゐた。高い楼上へのぼつて見ると、馬加が思ふ存分の贅沢さで建てた家であるから、墨田河を隔てゝ遠く海辺の方をまで見渡す景色は、なんともいへず立派である。そこからは犬田の郷里の行徳も見えるのだ。馬加は突然犬田に向ひ、かねてのたくらみを話して犬田にも加はつて貰ふように頼んだ。馬加のいふところでは、自胤は愚かな領主であるから、犬田を疑つて帰さないくらゐだ。馬加は多くの人々と相談をし、かねてよりこの自胤に腹を切らせ、自分の子常尚を城主にしようと企てゝゐる。馬加は、「犬田のような武勇の士がこの同盟へ加はつてくれるならば、どんなにありがたいか知れない」といつた。犬田はもちろんそんな同盟へ加はるはずもなく、馬加に熟々と、さうした企ての悪いことを諫めると、馬加は思ひ返したように急に声をあげて笑ひ、「いや今のは冗談である。貴君を試したのだ」といふようなことをいつて、話をそらした。 227
犬田は、自分の住む離れ座敷へ帰つて手を洗はうと思ひ、手水鉢の側へ寄ると、筧の水の中に一枚の大きな木の葉が浮いてゐて、その裏に歌がかいてある。歌のわけははつきりとわからないが、犬田はその時忘 228
五月の中旬になつた。たえず降る五月雨に、担端を流れる小川の水かさも増して来た。犬田は宵からうたゝねをして、まだ縁側の雨戸も引かずにゐると、珍らしく今日は月が出て障子が明るくなつてゐるところへ、ちらりと人の影がさした。「油断をした」と、むつくり起き上つた拍子に、外では「あつ」といふ声がして、人一人どうと倒れた様子である。刀を提げ、大いそぎで庭へ下りて見れば、そこには一人の曲者が刀を持つたまゝ仰向けに倒れてゐる。側へ寄つて見るに、それはこの間逢つた馬加の四天王の一人である。そして頸のあたりに血がひどく流れてゐるのをすかして見ると、桃の花の簪が頸の真後から咽喉のところまで、実に見事に衝き通してゐるのだ。さては旦開野がしたのだ。旦開野は女田楽であり、刀や●(「掬」のテヘンの代りに「毛」ヘン)の曲芸、綱渡りなどをするから、自然にかうした手裏剣もうまいのだらう。そんなことを考へてゐると、また築垣の外から庭の松の上にのぼり、する/\と伝はつてこつちの庭へ飛びおりて来るものがある。曲者は頬かぶりをして、離れ座敷の障子に手をかけ、内の様子を伺ふ様子だ。犬田は刀を抜いてうしろから、 229
次ぎの日の夜になつた。馬加は四天王の一人を打たれたことだから、いづれは今宵あたり軍勢をもつて押し寄せるであらう。それにしてもあのかよわい旦開野が、女の腕で出入り札を取つて来るか。犬田は不安ではあるが、何れにせよ早く身拵へして置かなければならない。犬田はすつかり支度をし、刀を持つて縁側に待つてゐると、夜ははや大分更けて来た。その時急 230
さては旦開野に、可愛そうなめを見せたことか。犬田は目頭の熱くなる気がした。その時ふいに築垣の外の松を伝つて、前の晩のようにすら/\と庭へ下りて来る曲者がある。 231
毛野は髪の毛をきり/\と巻き、馬加の首を腰へ結びつけて、また築垣を乗りこえ、向うから門をあけてくれる。毛野がかねて勝手をさぐつてあるから、馬加の屋敷をもやすやすと脱け出た。搦め手の東の土手の所まで走つて来て、そこの樹立ちから下を見おろせば下は深い堀になつてゐて、幅は四丈あまりもあらうか。それを越えて行く工夫はない。
232
犬田は気がいら/\してゐると、毛野は少しもうろたへずに、腰につけた用意の鈎索を取り出した。索の端には重い鉄丸がついてゐる。毛野はその鉄丸のない端をこちらの松の木へ結びつけ、丸を手に握つてぱつと堀の向う岸へ投げたと思ふと、その縄の端は向う岸の柳の木へ巻きついた。そこに一本の縄が引き渡されたのだ。毛野はその上へ足をかけ、すら/\と縄の上を歩いて向う岸へ着き、縄の端をなほ丈夫に柳の木へ結びつけて置いてまたすら/\と引き返して来た。今度は体の大きい犬田を背中へ負うて縄の上へ乗り、またすら/\と向う岸へ渡つた。さすがに田楽できたへた離れ業である。
233
犬田はたゞ感嘆してゐる間に、毛野は息一 234
その時一艘の柴船が、こちらの岸近 235
依助は、さきに三犬士を大塚へ送るため、江戸まで漕いでいつてくれた犬江屋の船頭である。依助は一しよう懸命で船を漕いだけれども、先に下つた毛野の船はもうずつと下流へ流れて行つたと見えて、その辺に影も形もない。犬田は品川沖の見えるあたりまで、追つかけさせたが、やつぱり毛野の船は見えなかつた。
236
犬田
「御用だ」
といつて、うしろから手を取つたものがある。さつと振りほどかうとするところを、右左から何十人かの取り方が組みついて来て、犬田が、「人違ひだ、離せ」といふ声に耳を貸さず、とう/\組み伏せて縄を打つた。
「夫の仇」
といつて、用意の魚切り庖丁を持ち犬田に飛びかゝると、犬田は早く身を避けて、手を縛られながらも船虫を足蹴にした。船虫は兵卒共に厳重に縛られて、村長の家へ送られ、犬田の縄は解かれた。犬田は嵐山の名笛を取り返してくれた。当家の恩人であつたのだ。
「馬加大記にこのことを知らせ、よろしいようにするがよい」
「自分は犬田を帰そうと思つてゐるが、殿の自胤が許さない」などといつて、「犬田が隣の国の領主達の間牒でないことがしつかりとわかるまでは、常武の家の離れ座敷に住まつて貰はねばならぬ」などと、親切のような、またまことは人質に取られたような言葉を言ひ渡されたのである。
「待て。曲者」
といつてぱつと切りかけると、曲者はすばやく飛びのいて、
「お待ち下さい。犬田さま。わたくしでございます」
といふ声は女である。旦開野であつたのだ。犬田は、さつき曲者を簪でしとめて貰つたことのお礼をいひ、その腕並の立派さを褒めそやした。女は、かへつて恥づかしさうに、顔をそむける。
「犬田さま。あなたはこのあぶない場所から、なぜはやくお遁げになりませぬか」
「いや遁れ出たくないではござらぬが、夜の城門は殊に出入りの調べがきびしいと申すではござらぬか」
「わたくしは馬加殿にとゞめられてゐるこの幾日かの間に、城の中のこと残らずさぐつて置きました。城門には、昼は昼、夜は夜の出入り札がござります。あすの夜、わたくしがその出入り札を取つて参ります程に、犬田さま、このあやふい場所をおにげ下さりませ。あすの夜、必ず朝までには持つて参りますれば、そのお支度を遊ばしてゐて下さりませ」
といふのである。犬田はこの為事が、女の旦開野にどんなに危ふい為事であるかを考へていろ/\ととめるけれども聞き入れない。女は固い約束をして、また身を軽々と躍らせ、築垣から松の木を伝うて、外の庭へおりていつた。
「旦開野どのか」
「犬田氏。御約束の出入り札を持つてまゐつた」
まぎれもない旦開野である。長い髪はうしろに乱れ、美しい着物は血に染まつて、右手にぎらりと光る刀を抜いてゐる。
「犬田氏。私は女ではござらぬ。馬加常武にたばかられて、父は打たれ一家一族はみなごろしにせられた、粟飯原胤度が一子犬坂毛野胤智といふものでござる。わが母は調布と申したが、危く馬加の刃を遁れて、足柄郡犬坂の里でわが身を生み、人には女の子と申して名も毛野と呼んでゐた。母は鎌倉に出て女田楽の仲間に雇はれたが、わが身も子供の時より田楽の曲芸を習ひ、旦開野と呼ばれて諸方を廻りつゝも、日夜怠らぬ武芸の鍛錬、それはひたすら父の讐をむくいるためでござつた」
「然らば貴君は、今夜その目的を果たされたのでござるか」
「いかにも。馬加の悪智慧も、この旦開野を見破ることは出来ますまい。今夜対牛楼の酒盛りに一家一族酔ひたふれ、うたゝねするを窺つて、忍び寄つたこの犬坂毛野、斬つて斬つて斬りまくり、常武親子はもちろんのことゝして、一族家来残
といつて地上に投げ出したのは、馬加の首である。
「それは大慶至極に存ずる。して貴君に手傷は」
「少しも。かように血潮をあびても、犬坂毛野かすり傷一つ受け申さぬ。話はゆる/\後のことゝして、犬田氏支度は十分でござるか。城兵らに取り籠められるも不本意、早くこなたへまゐり給へ」
「依助ぢやあないか」
「あつ、古那屋の若旦那ですかい」
「依助、すぐにあの船を追つてくれろ」
237
庚申山にすむ魔物
238
下野の国真壁郡に網苧といふところがある。もう秋も末であつた。日はまだ高いが、道ばたの草のざはつく音にも山間らしいさびしさがある。
239
里のはづれに一軒の茶店があつて、檐端には売り草鞋の間に一挺の鉄砲と六七張の半弓が並べてかけてある。そこの床几に腰をおろして、茶を飲みながら茶店のお爺と話をしてゐるのは、犬飼現八信道であつた。犬飼は荒芽山の戦ひで同志の犬士と別れ、それからは犬士たちをさがすために行徳や市川へ行つたり、遠く京都までのぼつてそこに住んだりしてゐて、早や二年の年月がたつた。今度は奥州路をさがして見ようと思つて、この網苧まで歩いて来たのだ。
240
茶店の主人の話すところによると、これから五六里、庚申山の麓を向うへ越してしまふまでは人家も少なく、山賊などが出て、真昼でも武器を用意しなければならない。鉄砲を持つて道案内の人が先方まで送つてくれるのが三百文、弓矢を買ふのも同じ直段になる。
「いやわしに道案内はいらない。わしはこの年頃、美濃、信濃の山路を幾度となく歩いてゐるが、案内も雇はず、弓矢も持たない。それで山賊にも出あはず猛獣にもあはない」と犬飼がいふと、老人は「いやこの庚申山には恐ろしい魔物が住んでゐる」といつて珍らしい話をきかせた。
241
庚申山は、のぼり下りの険しい峠を幾度か越えたところで、山中第一の石門へ達する。これを胎内竇と呼んでゐる。これより奥には奥の院があるけれども、魔物が住んでゐるから、人はめつたに進めない。何百年か年を経た山猫だといふことであるが、その外にもいろいろの魔物が住むのだ。この山の麓に赤岩といふ村があつて、そこに赤岩一角武遠といふ武士が住み、このあたりに名高い武芸の達人であつた。庚申山の奥の院へ詣でないのは残念だといふので、ある時弟子達の強いもの幾人かをつれて山へのぼつて行つた。胎内竇をくゞるとさすがに弟子達の足が進まなくなる。その辺から途の左右には大きな石が立ち、途はその石の上へ高くのぼり、また深く下の沢へおりるのだ。高い崖の上に長さ七尺あまりの石橋がかゝつて、谷底からは霧が舞ひ起つて来る。こゝまで来て弟子達は全く進めなくなつた。一角はそこに弟子達を待たせて、自分一人弓杖をつき/\石橋を渡り、向う側へ着いたと思ふと、もう岩の陰にその姿は見えなくなつた。
242
さてぢつと主人を待つてゐて、夕風が吹くようになつたが、一角はまだ帰つて来ない。「これはきつと何か変事があつたのだ」と、弟子達は大急ぎで駈け帰つて、次ぎの日村の人たちに出て貰ひ、隊を組み弓矢、鉄砲、竹槍などそれ/\の武器を持つて山へのぼり、例の石橋のところまで来ると、さて誰が先に渡るといふものもない。そこでまた時間をつぶした。「明日は人数を倍にして出て来よう」といつて、一隊は引き返し、胎内竇を出ようとすると、うしろから大声をあげて隊の人を呼びとめるものがある。振り返つて見ると一角であつた。
243
みな一角を取り囲み無事であつたことのお祝ひを述べると、一角は笑つて、「石橋を渡り奥の院へ詣でてさて帰らうとすると、あたりは一面の大石であるところへ霧が舞ひかゝつて来るものだから、途の方角が分らなくなり、やむを得ず前夜はそこで野宿をしたのだ」 244
角太郎は成人してやはり武芸に達し、学間にすぐれてゐる。一角夫婦は牙二郎を愛し角太郎をにくむので、角太郎の死んだ母の兄、犬村儀清が可愛さうに思ひ、引き取つて犬村角太郎礼儀と呼ばせ、自分の娘の雛衣と夫婦にした。ところが養ひ親の儀清が死んだあとで、一角夫婦は儀清の財産を奪はうと考へ、角太郎にわが家に来て住むようにいひつけたので、角太郎夫婦が赤岩の父の家へ来て住むと、間もなく一角は雛衣を離縁させ、そのあとで角太郎を勘当した。角太郎は評判の親孝行であるから、今は財産はすつかり取られてしまふし、妻の雛衣とは別れるし、ずつと田舎の返璧といふところに庵を結び、僧侶のような行をして住んでゐる。 245
犬飼は別段いそぐ旅でもないし、暮れゝば暮れたところで夜を明かす考へで、茶店を立ち、ぶらり/\と山道を歩いた。手には買つて来た半弓を持つてゐる。次第に歩いて行くうちに、途はどうやら山へのぼるようになつて来る。「これはやはり庚申山へ迷ひ込んだのではないかと疑ひ出した頃には、夕日が木立ちの上に残り、谷間は薄ぐらくなつてゐた。もう山を下つても仕方がない。「なほ少し山をのぼつたところで野宿をしよう」と、何十町か進んで行くと、茶店の老人が教へたごとく、いかにもそこに大きな石門があつた。 246
このまゝをれば山の怪物どもが多くの獣を呼びあつめて、またこゝへ打ち寄せて来るであらう。今の魔物は、半弓の矢に射られたゞけだから、命を失ふまでの深手は負つてゐない。今の間に場所をかへて、怪物どもが何をするかを見てやらう。犬飼はさう考へたので立ち上つて、胎内竇をなほも奥へ歩いて行つた。その辺一面に立つてゐる岩を踏み越え飛び渡つて、なほ何町か進めば、いかにもそこに十二三間ばかりの石橋がかゝつてゐる。犬飼は、さすがに捕り物の名人である。かうした場所を平地のように渡るのだ。行く手に石窟が幾つか見える。「もう奥の院も遠くはあるまい」と、最も大きな石窟の口へ近づくと、奥には人の影が見えて、火をたいてゐた。 247
犬飼は半弓に矢をつがへて、身構へてゐる。一分のすきもない。その人の影は、静かに犬飼を押しとゞめた。彼は怪物でもなければ人でもない。昔こゝへ探検に来て、魔物のために咽喉を喰ひ破られ、命を失つた赤岩一角の亡魂である。魔物はそれから一角の姿に化けて山を下り、一角の家に住まつてゐるのを、誰一人知
といふ。「そして今日はやつと途を見つけて、こゝまで出て来た」といひながら、元気はもとのとほりである。それまではまづ無事に済んだが、その探検をした後の一角は、多少気が違つたのであらうか、昔の礼儀正しかつた、一角とは人が違つたように荒つぽくなつた。一角は、妻を三度かへた。第一の妻は角太郎といふ子を生んで死んだ。二度めの妻は探検の時にゐて、これはその後牙二郎といふ子を生み、荒つぽい一角に堪へられずに死んだ。今ゐる妻はどこからか来た船虫といふ女であるが、これは一角と心が合ふと見え、今にそのまゝ暮らしてゐる。
「これといふのも一角先生が庚申山へはひつたからでございます。お武家さまは、この庚申山へは迷ひ込まないように気をおつけ下され」
と、老人が長物語を終つた頃には、もうそろ/\夕風が吹いてゐた。
「今夜はこの山の石窟で夜を明かすとしよう」
と犬飼は、胎内竇の下に腰をおろし、身を横にしていろ/\と物を考へてゐた。かうした時に思ひやられるのは、他の犬士たちの身の上である。宵から出てゐた月が西へ沈んで、あたりはすつかり闇になつた。ふと東の方を見るに、何か蛍火のようなものが三つ四つ光つて、それがこちらへ近づいて来るようだ。
「さてはこれが老人の教へた魔物といふのであらうか」
と、大胆な犬飼はまだ足をのべたまゝで見てゐると、蛍火と見えたものはだん/\大きくなつて、確にそれは何物かの目玉である。はつとして犬飼は起き返つて半弓に矢をつがへた。この魔物は虎のような顔をして、口は左右の耳まで裂け、牙が真白にむき出てゐる。それが馬に乗つてゐるのだが、馬もまた不思議の形のもので、全身は枯れ木のようでありところどころに苔がはえてゐる。左右には赤い顔の魔物と青い顔の魔物とがついてゐて、何か高笑ひなどしながら、こちらへ近づいて来る。犬飼は出来るだけ身近へ近づけて置いて、半弓をふつと射た。ばたりと音がし馬上の魔物が下へ落ちたのは、矢が左の目深
「人か魔物か。何ものぞ、名乗れ」
248
一角の亡魂はしみ/゛\とそのことを語つて、犬飼に復讐を頼んだ。亡魂は今証拠の短刀を持つてゐる。またそこには一角の骸骨も落ちてゐる。この骸骨を持つて行つて、その上に角太郎の血を注げば、血はそのまゝ骸骨に固まりつくであらう。これがまことの親子の証拠だ。亡魂はさうしたことを語り終つて、姿を消したかと思へば、そこには鍔の色もないまでに錆びた一口の短刀と骸骨が一つ土に埋もれたようになつてゐた。
249
返璧といふ田舎に軒低く建つてゐる犬村角太郎の庵室である。犬飼は次ぎの日この庵室の前に立つてゐた。小さな庵室であるから、角太郎礼儀が円座の上に坐つて数珠を持ち、何やら行をしてゐる様子が、表からもよく見える。犬飼は幾度となく案内を乞うたが、返事はない。「さては行を妨げてはいけないのだらう」と、そのまゝ横へ避けて犬村の行の終るのを待つてゐた。
250
そこへ若い女が訪ねて来た。門の戸をたゝいてこれも角太郎を呼ぶけれども、返事の声がない。女は声をかけて、角太郎の気の強さを怨んでゐる。女は今死ぬ覚悟をしてゐるのだ。その最後の別れに来たのであるが、角太郎はまだ親への義理を守つて、今子まで身にもつてゐる自分に逢つてくれないのであるか。これが最期だ。さういつたことをいつて怨むけれども、やはり角太郎の返事がない。女は袖で目を拭き拭き門から離れて去つた。角太郎の別れた若妻雛衣であつたのだ。
「客人、おはひり下さい。お待たせ申した」
251
ふいに中から声がかゝつたのである。犬飼は、立ち去つた雛衣のことも気にかゝるが、とにかく門を明けて中へはひつた。犬飼が聞きたいのは、犬村もまた犬士の一人ではないかといふことである。犬飼は玉のことをたづねて見ると、いかにも犬村もまたその玉を持つてゐた。犬村の母は角太郎を生んだ時、加賀の白山権現の庭の小石を拾つてその子の護り袋に入れて置けば病気にならないと聞いて、旅商人に頼み、ついでの時に小石を拾つて来て貰ふと、それは「礼」の字の刻まれた玉であつた。雛衣を妻に貰つた後のある日、雛衣が腹痛を起したので、その玉を水に浸し水を飲まそうとすると、継母が玉を見ようとして茶碗を奪ひ取る拍子に、雛衣は玉を飲み下してしまつた。それから雛衣の腹は子を持つたものゝように大きくなつて来た。今日雛衣が死を覚悟して訪ねて来たけれど、雛衣の腹に玉のある限り、水にもおぼれず火にも焼けないと思ふから、その儘にうつちやつておいたのだ。犬村はさうした話をこまかにした。犬飼はなほも犬村と武芸や学問のことを話し合つて見るに、犬村が多くの書物を読んでゐることは驚くばかりであつた。犬飼は犬村をはじめ犬士たちが同盟の勇士であることの話をして、二人は兄弟のように親しくなつた。
252
そこへ継母の船虫が訪ねて来た。駕籠には雛衣をも乗せてゐる。船虫は夫の一角が近頃目
253
角太郎は、いろ/\と自分の家のことを語つた。父の性質が変つてから後の自分の家庭は、何もかも不審のことだらけだ。角太郎は親に対する孝心が厚いから、すべて親のいひつけをそむかずに暮らして来たが、今日までわからないことが多い。それらの話を聞いてゐた犬飼は、
「私にも少し考へたことがある。しばらく私にまかせてゐて貰ひたい」
といひ、犬村に一たん別れを告げて出た。
254
大角の山猫退治
255
庚申山の魔物がその姿を変へて赤岩一角となつた後の一角の道場には、やはりそれにふさはしい門弟たちが集まつて来てゐた。中にも面白いのは、籠山逸東太縁連が門弟となつてゐたことだ。籠山はさきに千葉家の家来であつたが、粟飯原を打つた時、嵐山の名笛を奪はれたのでそのまゝ遁げて帰らず、一角の門弟になつたのである。その後武芸も上達し、越後の長尾判官景春に仕へてゐた。
256
その籠山縁連が、ふいに一角を尋ねて来た。主人の景春が城普請をしたところ、地中から木天蓼の木で鞘を拵へた珍らしい短刀が現れたので、或は村雨丸の銘刀ではないか、それを一角に見て貰ひたいといふので、縁連がその使ひになつて来たのである。一角はその時目を病んで、仰々しく布団の上にゐたりした。縁連がその話をしながら刀の箱を前へ出すと、不思議なことには白い煙りのようなものが立ち上つて消え、縁連が箱を開いた時には、箱の中に刀の姿が見えなかつた。縁連が狼狽して、「このまゝでは主家へも帰れない」などいつてゐると、一角はいろ/\と主人をなだめる工夫を教えたりして慰めた。その時表へ犬飼現八が尋ねて来た。
257
一角の門弟たちは、武者修業をしてゐるといふ犬飼を、思ひきりたゝき伏せてやらうと考へた。さて道場へ出て、一角の最も強い門弟の四五人が現八に立ち向ふけれど、物の数にもならない。「この上は」とそれらの門弟が一度に現八に打つてかゝつたが、現八の鋭い木刀に押されて打ち込むひまもないところを、柔道の手にかけられて左右へ投げ飛ばされてしまつた。縁連や次男の牙二郎が見かねて立ち向はうとすると、一角は押しとゞめ、
「いや、あつぱれなお腕前でござる。一角若しも病中でなければ、お相手仕るところを、まことに残念である」
などといつて犬飼を褒めながら、苦い顔をしてゐた。
258
犬飼はその夜一角の家にとめられた。夜更けてから、一角や門弟たちは、犬飼を打ち取らうといふのだ。犬飼もそれとなく気をつけてゐたが、夜も更け少しとろ/\と寝入つたと思ふ時、急に護り袋の中の霊玉がぐわらつと砕ける音がした。驚いて起き上り、手さぐりで霊玉をさはつて見るに、別段に砕けた様子はない。しかし何かの変事の知らせであるには相違ない。犬飼は起き上つてすつかり身支度をした。さて縁側の障子を明けて見ると障子の外には物をたくさん並べてあつて、走り出る時に足がつまづくようにしてある。庭へおりて見れば、こゝにもまた足を捉らせるために麻縄を引き渡してある。現八はまづ板垣のところの門を明くようにして置いて、敵を防ぐに便利な庭の木立ちをえらび、その陰に身を潜ませてゐた。
259
時が来た。八人の門弟は三手に分れて、一時に犬飼のゐた座敷へ踏み込んだ。
「遁げ失せてゐるぞ。追撃だ」
260
大騒ぎをしてわれがちに縁側へかけ出ると、犬飼が場所を置きかへてあつたいろ/\の物につまづいて思はず同志打ちをする。庭へおりるに、そこでもまた足を捉られて転びかへつた。刀を抜いて待つてゐた犬飼は、「やつ」と声をかけて、見る間に二人を斬りおろした。犬飼を見つけた門弟たちは、一斉に寄つて来て打ち取らうとするけれども、麻縄が邪魔になつて思ふように動けない。犬飼は多く殺す考へもないから、槍の柄を切り落し、刀を奪ひ取り、庭へ投げ飛ばしたりして置いて、よい頃にさつと門を明け、垣の外へ身を避けて、門へは外から大石をあてがひあかないようにした。さて悠々と犬村の家を目がけて走つて行つた。
261
門弟たちが遠回りをして表へ出、あくまでも犬飼を追つて行くと、犬飼は犬村の家へはひつたからしめたと思つた。どや/\と犬村の家へ打ち寄せて、
「昨夜赤岩先生宅で盗賊を働いた浪人、取り押へようとしたに、遁げてこの庵へ参つた。速かに盗賊を渡して貰ひたい」
と談判をしたけれども、犬村角太郎は、
「それは見まちがひでござらう。おたづねの浪人は外へ遁げ失せたと見える」といつて寄せつけない。門弟たちは踏み込んでも捕へようと騒いでゐるところへ、二挺の駕篭がついて悠々と下りて来たのは一角夫婦である。
「籠山氏、まづ静まり給へ。盗人の詮議は一角が代つていたさう。他に用事もござれば、籠山氏はひとまづ赤岩へ引き上げられてお待ち下されい」
といふ。籠山らは為方がなく、そのまゝ引き上げて行つた。一角夫婦だけが残つた。
262
角太郎と雛衣はうや/\しく門へ出迎へる。一角夫婦は庵の中へ通り、
「角太郎、そちを今まで勘当してゐたが、雛衣は昨日帰つたことだし、角太郎そちの勘当も今日から許して、昔どほりに親子に帰らうと思ふぞ」
といつて、いつもと違ひ、親しげな様子を示した。四方山の話などして、一角はまた改まつたかたちになり、
「時に角太郎、勘当も許したからには、そちと雛衣に少し頼みがある」
といふのである、親孝行の角太郎が頭を下げてゐると、
「じつは私のこの眼病だ。医者の話には、この目の病には、百年土中に埋もれた木天蓼の粉と、腹の中にゐる子供の生き胆とが何よりよい薬だといふ。ついては雛衣、そちの腹にある子供を貰ひたいと思ふが、これは承知してくれるだらうの」
といふ。角太郎も、雛衣も、それには答への言葉がなかつた。雛衣の腹がふくれてゐるのは、子供であるかどうかさへわからないのだ。角太郎は雛衣をさうしたことで殺したくなかつた。
263
角太郎が答へをためらつてゐると、雛衣の心はもう一つ苦しかつた。すべては自分の覚悟できまることだ。やはり自分は運がわるく、この間から死なゝければならなかつたのだ。さう思ひつめた雛衣は、いきなり短刀を抜くと、自分の腹に突き立てる。角太郎ははつとして立ち上つた。
264
不思議にも、雛衣の腹からは何か光る玉のようなものが飛び出して、一角の胸にぱつとあたつた。一角は胸骨を打ち砕かれて、たまらずのけざまに手足を張つてたふれてしまつた。これを見た牙二郎は、
「おのれ、父上を殺したな。待て」
といつて、刀を抜き角太郎に打つてかゝる。角太郎は弟を殺したくないからとかく受け身になつて牙二郎の刀をさへぎつてゐる間に、右手の臂を負傷した。その時うしろから手裏剣が飛んで来て、牙二郎はばたりと打つ倒れた。船虫は驚いて立ち上り遁げようとするとそこへ、犬飼が出て来て、利腕を取り、三四間むかうへ投げ飛ばした。
「犬村氏。今まことの話を申さうと思ふ。この無礼を忘れてしばらく聞いて戴きたい。犬村氏。倒れたこの父上どのゝ姿は、まことの父上どのではなく、じつは庚申山に年経た山猫でござるぞ」
265
さういつて角太郎を驚かせた。犬飼はかねての骸骨を取り出して、角太郎の臂の傷口にあてると、流れる血はすべてその上にかたまりついた。犬飼は一角にたのまれた短刀をも取り出し、自分が庚申山で出あつた事柄を詳しく角太郎に語つたのである。角太郎は夢を見てゐた気持ちがした。夢はさめたようだ。いやまだ覚めてゐないようでもある。
266
角太郎もさすがに父の姿をした怪物に刃をあてることが出来ない。怪物は、二十四時間捨てゝ置けば元の姿になるといふから、それまで打つてかゝるのを待たうと思つてゐる。その時牙二郎は息を吹きかへして、手ばやく手裏剣を角太郎に投げる。巧みにそれを避けると一しよに、牙二郎がまた立ち上つて斬つてかゝつた。角太郎は、今度は見る間に下へたゝきつけた。
267
牙二郎が、一角の上にのしかゝつて倒れると、あたりには急に地響きがして、贋一角の姿は、何ものともしれぬ怪物の姿にかはる。目は鏡を並べたように光つて、口は血をしたたらすばかり赤く、深く耳まで裂けてゐる。牙を鳴らし、爪を張り、あたりをにらんでつく息は、この小さな庵を打ち砕くかと思ふほどである。まことにそれは、年を経た山猫であつた。
268
角太郎は抜いた刀の儘打ち込んで、腰のあたりへさつと刃を入れた。現八も油断せず、うしろにひかへてゐる。すでに深く手を負うた山猫が、窓の格子をめり/\と踏み破つて、そこから遁げ出さうとするところを、角太郎は刀を「やつ」と取り直し、咽喉のあたりを目がけて、鍔も通れと、幾度となく刺し貫いた。さすがに怪物も、部屋の真中へ地響き立てゝ落ちて来て、息は絶えたようである。牙二郎もいつの間にか、山猫の姿に変つてゐた。
269
この騒ぎの間に船虫は遁げてゐた。角太郎は、雛衣の側へ寄り、傷の手当てをして介抱した。けれども深く突いた重傷であるからどうしても助からず、角太郎が父の讐をかへしたことを喜びながら死んで行つた。
270
そこへ籠山がはひつて来た。彼は遁げた船虫を捕へてゐた。角太郎が復讐をした喜びを述べなどしながら、木天蓼の刀を贋一角に奪はれた証人に、船虫を越後へ伴つて行くから許して貰ひたいなどといつた。贋一角の門弟中には、ほかの獣などの化けてゐたものもあつたが、山猫の殺されたあとでは勢力がなくなり、今まで山猫におさへられてゐた山の神などに殺された。庚申山の怪物は、犬飼、犬村の働きによつて、最早残らず姿を消したのである。
271
角太郎は名を改めて、犬村大角礼儀と呼んだ。そして赤岩や返璧の家を畳んで人に譲り渡し、犬飼と一しよに他の犬士をさがしに廻ることゝなつた。籠山は、船虫をつれて越後へかへる途中で、船虫にだまされて遁げられ、長尾家へも帰れなくなつたので、また途中から遁げ出し、白井の城の管領定正に降参した。こゝでも彼は重く用ひられることゝなつた。
272
指月院に籠る人々
273
荒芽山で別れた犬田や犬飼が、至るところでかうした武勇な働きをしてゐる間に、外の犬士たちも別の場所でそれ/゛\武勇の名を輝かしてゐたが、今一々それの詳しい話を書いてゐるいとまがない。
274
犬塚信乃は信濃から越後へ行き、奥羽を廻つて、既に四年の年月を旅に送つた。年の暮れ近く甲斐の国を旅してゐて、富野穴山の麓を通り過ぎた。そこで彼は家来をつれた一人の武士に鉄砲で打たれた。幸ひに弾丸は身をそれたが、死んだふりをして倒れてゐると、武士らは近づいて来て、小鳥狩りに誤つて人を打つたことを驚きはしたものゝ、殺した上はその立派な両刀を奪ひ取らうと手をかけたところを犬塚に投げ飛ばされた。武士はこの国の家臣泡雪奈四郎秋実といふものであつた。
275
そこへ猿石の村長をしてゐる四六木木工作といふ老人が出て来て、いろ/\と仲裁をし、信乃の怒りをなだめた。信乃はそれから木工作のすゝめるまゝに、木工作の家へ行つて長く逗留することゝなつた。木工作に一人の娘があつて、浜路といつた。まことは浜路は木工作の子ではなく、二三歳のころ鷲にさらはれて来て、こゝの山中の木のまたに挟まれ泣いてゐたのを、木工作が見つけてつれて帰り、これまで育て上げて来たのである。木工作は信乃を浜路の養子にし、信乃を奈四郎の手引きで領主にすゝめ、役人にして貰えば自分の家も幸福だと考へてゐる。けれども信乃はこれより後他の犬士を探さなければならぬ為事があるから、こんなところで養子になどなり領主に仕へてゐるわけにいかない。どうして木工作に断つてよいかに困つてゐるのだ。
276
木工作の妻は夏引といつたが、品行のよい女ではなく、奈四郎と相談して、夫の木工作をないものにしようと企んでゐた。石禾といふ村の里はづれに指月院といふ寺があつて、そこの住持は近頃かはり、新たに住持となつた僧は、大抵毎日修行に出て留守であつた。小僧だけが留守居をしてゐるところへ、奈四郎と夏引とが出かけていつて、座敷を借り、その悪い相談をした。
277
ある日木工作は奈四郎に呼ばれて行き、帰らうとすると奈四郎に鳥銃で打ち殺された。さて夏引は、悪い下男にいひつけて、その死骸を自分の家の雪の中へ埋め、夫の木工作が帰らないといつて大騒ぎをし、その辺をさがして雪の中の死骸を見つけたようのことにした。さてこの罪を信乃になすりつけるために、信乃を欺いて土蔵の中へものを取りにはひつて貰ひ、外から錠をおろしてしまつた。その間に下男は鶏を殺し、その血を信乃の桐一文字の刀に塗つておいた。
278
木工作が信乃に殺されたといふ訴へが役所へ出た。間もなく立派な様子をした甘利兵衛堯元といふ役人が家来をつれて取り調べに来る。庭にかくしてあつた死骸が鉄砲きずなのもをかしければ、刀が今殺したばかりのような新しい血でぬられてゐるのもをかしい。
「信乃が殺したとは定められない。しかし夏引の訴へもあることなれば、信乃は搦め取つて行く。また浜路も取り調べの必要あれば、伴つて行くぞ。」
279
堯元はさういつて、信乃、浜路を捕へて立ち去つた。そのすぐあとでまた同じ名の甘利兵衛堯元といふ役人が来た。自分の前に同じ名で来た人は誰であるか。とにかく木工作の殺された様子を取り調べて見れば、信乃が殺したことはまことゝは思はれない。それよりも信乃と浜路とを伴つて行つた人を取り調べて見なければならない。堯元はさう考へて帰つて行つた。
280
信乃と浜路とが伴はれていつたのは、指月院であつた。堯元と名をいつはつたものは、犬山道節忠与であつたのだ。
「やゝ貴僧でござつたか」
281
出て来た住持は外でもない丶大法師である。蜑崎十一郎照文も出て来た。こゝへは犬川も落ち合つてゐたが、犬川だけは今他の犬士を探しに出かけてゐる。犬山らは、留守居をした小僧の言葉によつて、犬塚が危い策略にかゝつてゐることを知つたのだ。
282
まことの役人の甘利堯元は、人をつかひきびしく捜させて、指月院に信乃をはじめ幾人かの武士の住むことを知つた。なほよく調べて見れば、信乃には罪がなく、指月院にあつまるものは、いづれも立派な武士たちである。堯元はかへつてそれに敬服して、この武士たちを主君の武田信昌にすゝめようと思つた。信昌は心の正しい、立派な領主である。ある日堯元を伴つて指月院をたづね、犬山、犬塚らに対面したが、犬山らは、武田家に仕へようとはしなかつた。
283
信乃とゝもに指月院へ救はれて来た浜路の素生を聞いた時に、丶大法師は驚いた。里見義成の第五女は浜路姫と呼ばれたが、幼少の時鷲にさらはれその行く方が知れなかつた。今この浜路が幼少の時着てゐたといふ着物に、里見家の篠龍胆の紋のあつたといふことは、その第五女であることの立派な証拠である。法師らはこの浜路姫を主君のもとへ送らなければならなかつた。犬山と犬塚とがそれをまもつて行くことになつた。
284
相模小僧の勇戦
285
犬田小文吾悌順は、隅田川で別れた犬坂毛野をさがすために諸国を廻つて、越後の小千谷といふところに泊つてゐた。旅館の主人は石亀屋次団次といつて土地での若人頭をしてゐる。昔は相撲を取つたから、犬田の大力なのを褒めて、幾日も宿に泊めておいた。
286
この北国では闘牛といふことをやる。磯九郎といふ男が、その闘牛の帰るさに、雪の中に出来てゐる窖の中へ落されて斬り殺され、金を奪はれたが、その強盗は酒顛二とその妻の船虫とであつた。籠山逸東太をだまして、越後への道中で遁げてしまつた船虫は、今はこの地で強盗の妻になつてゐるのだ。
287
犬田はその後眼病になつた。いろ/\と手をつくすが三宅島で潮風に吹かれた目の病は容易によくならず、物さへ見えなくなつてゐる。強盗の妻の船虫は、闘牛の日に犬田を見つけた。そして犬田が石亀屋へ泊つてをり、近頃目をわるくしてをることをまで捜り出した。彼女はさきに犬田のためにひどいめにあはされてゐる。この犬田の眼病の間に、なんとかして復讐をしようと考へて、女の盲按摩になり、石亀屋へはひつていつた。犬田が女に肩をもんで貰はうとすろと、女はうしろへ廻つて懐剣を取り出し、一つきに犬田を刺さうとした。犬田は危く身をさけた。そしてたやすく船虫を押へつけ、次団次らに引き渡した。
288
次団次らはこの女を山の中の庚申堂へ引つぱつていつて、梁の上からつるし下げた。かうして三日苦しめた後に、なほ死なゝければ首を打つことが、この地方の習慣になつてゐた。三日めの夜である。この庚申堂の縁へ腰をおろして、疲れを休めようとした武士がある。それは甲斐の指月院を立つて、犬士を捜しながら旅をつゞけて来た額蔵の犬川荘助義任である。犬川は、女が堂内につるされてゐるのをあはれに思つた。船虫が何かと訴へるのをまことゝ思ひ、女をおろして縄を解き、女の家へ送つて行つた。酒顛二らの賊の家では、酒盛りを開いてゐた。犬川は船虫にすゝめられ、その家で泊ることゝなつた。
289
犬川が別室で寝てゐる間に、酒顛二らの賊はわるい相談をしてゐた。まづ邪魔になる犬川を襲ひ、次ぎに犬田の泊つてゐる石亀屋を襲撃しようといふのである。犬川はその話を漏れ聞いてすぐに身拵へをして立ち退き、石亀屋へ先廻りして待つてゐた。犬川を襲ひ、既にもぬけの殻になつてゐるのを見出した酒顛二らは、石亀屋の外へ押しかけて、ふい打ちをした。石亀屋ではうろたへたが、そこには身拵へをした犬川が待つてゐたのである。賊は見る間に斬り伏せられた。そこへ霊玉の力で眼病のなほつた犬田も出て来て、敵をたふした。次団次らは追撃して賊の家を襲ひ、酒顛二を殺し、その他の賊を或は殺し或は捕へた。船虫はまた例によつて遁げてしまつた。
290
石亀屋が犬川、犬田の手柄を訴へると、両人は領主長尾景春の母箙の刀自の館から迎へられて、御馳走を受ける代りに却つて捕へられ牢へ入れられてしまつた。箙の刀自に二人の娘があつて、一人は武蔵の大塚殿へ嫁ぎ、もう一人は石浜の千葉殿へ嫁いでゐた。犬川の額蔵は大塚で役人を殺して遁げた人であるし、犬田は石浜で犬坂と共に馬加大記を斬つて遁げた人であるから、犬川、犬田がこの長尾家で捕へられるのは尤ものことであつた。両人は牢から引き出されて首を打たれ、首は大塚殿と千葉殿から来てゐる人に渡された。
291
大塚殿からの使ひは、力二、尺八に打たれた丁田町之進の弟、丁田畔五郎豊実であるし、千葉殿からの使ひは馬加大記の親戚にあたる馬加蝿六郎郷武であつた。この二人の使ひに、長尾家の使ひの荻野井三郎がついて、大塚と石浜とへ送つて行つた。首は瓶に入れて酒で漬けてあつた。その一行が出ていつてしまふと、長尾家の老臣、稲戸津衛由光の邸から潜かに送り出された二人の武士があつた。それがまことの犬川、犬田であつた。
292
稲戸は二人の勇士を殺すことを惜んだ。そして牢へはひそかにさきの賊の二人を入れて殺したのだ。丁田、馬加らが持つて帰つた首は、その賊の首であつた。犬田の刀はさきに大塚で簸上社平の刀を取つて来たものであるし、犬川の刀はかつて千葉家で粟飯原が殺された時に、名笛とゝもに男女の賊に持ちにげされた小篠、落ち葉の二口の銘刀であつたから、いづれも捕へられた時に奪ひ取られた。犬川の刀は、まことは自分の家に伝はる刀であつたのだが、父が切腹した後千葉家に買はれ、男女の賊が持ちにげしたのを犬田が買ひ取り、犬川に贈つたのである。稲戸は気の毒がつて、二人に別のよい刀を贈つた。
293
犬田と犬川とは、大塚殿、千葉殿の使ひを追つてそのあとを旅していつた。丁田と馬加とは、長尾家の臣荻野井がとかく邪魔になつてならない。今日も二人は朝くらいうちに起き出て、荻野井よりはずつとさきを歩いてゐた。こゝは下諏訪であるから、諏訪湖が見えてよい景色だ。
「どうだ、こゝで小篠、落ち葉の銘刀といふを抜いて、斬れ味をためして見ようではないか」
294
床几に腰をかけ湖を眺めながら茶をすゝつてゐた馬加が丁田にさういふ。そばにはちようどつれて来た家来たちの姿も多く見えない。ぬいて試すならば、今であつた。
295
湖の土手には乞食の小屋があつて、そのまはりに多くの乞食が腰をおろし、馬加らを眺めてゐた。馬加の家来がその乞食の一人をひつぱつて来ると、馬加はあづかつて来た銘刀をすらりと抜いて乞食の首を打ち落した。まことにそれは、驚くべき銘刀であつた。外の乞食らは、それを見ると一斉に蜘蛛の子を散らすように遁げ失せたが、たゞ一人若い乞食が別段におそれた様子もなく、なほ椎の木の陰から眺めてゐる。相模小僧と呼ばれた乞食であつた。
296
馬加の家来が主人の抜いてゐる刀の側へ立ち寄つて紙を出し血を拭うてゐると、つかつかと出て来た相模小僧は、その家来の首筋をつかんで二三間投げ飛ばし、馬加の右の手をしつかりと押へつけた。
「落ち葉、小篠の銘刀を持つものは何ものであるか。さきのはなしに馬加と呼んでゐたは、馬加大記常武の身内のものであらう。その刀をわたせ」
「無礼者下れ。汝は何ものだ」
「乞食に姿は変へてゐるが、親の讐をさがす、犬坂毛野胤智である」
「さては舞ひ子に姿をかへて、わが一族を打ち果した犬坂は汝であるか。よい土産だ、血祭りを受けよ」
297
馬加、丁田の家来どもは、犬坂一人を追つ取り巻いて打つてかゝるが、この勇士に立ち向へるはずもない。見る間に馬加の首が打ち落される。丁田は傷をうけて遁げていつた。馬加の家来も打ちたふされた。犬坂はにつこりと笑ひ、小篠、落ち葉を手に取り上げて、悠々とそこを立ち去らうとする。その時、
「曲者待て、小篠、落ち葉を渡して行け」
「いや渡されぬ。汝は馬加の親族とも見えぬに、何故あつてこの身の妨害をするか」
「その刀に用事があるのだ。渡せ」
298
足早にうしろに立ちよつて、ぢつと犬坂をにらんだ一人の武士があつた。筋骨たくましく見るからにその張りつめた力に気おされそうだ。
「はつ」と下つて二人は斬り結んだ。いづれにもすきがない。
299
しばらくはそのまゝにらんでゐたが、ぱつと打ち合つて刀が交叉すると、鍔元で押してゐて、互に刀を引くすきがない。
300
そこへまたうしろから一人の大男がかけつけた。
「やあ、珍らしい。犬坂氏、貴君をさがしていまゝで旅をしてゐたぞ。犬川氏も刀を引かれい。犬川氏、かねて貴君に話した犬坂氏だ」
301
刀を斬り結んでゐたものは、犬坂と犬川の二勇士であつたのだ。引き分けようとあせるものは、いふまでもなく犬田小文吾である。犬坂も犬川も刀のさきに一心になつてゐるから、犬田の呼ぶ声などは耳へはひらない。犬田も、刀を引かせる工夫がない。一方を引かせる、まつしぐらに、他方の刀が打ち込まれるのだ。と、見れば土手に『諏訪領』とかいた高い石柱が建つてゐる。大力の犬田はやす/\とそれを引き抜いて来て、二人の斬り結んでゐる刀の上に、圧へ石のようにして載せかけた。刀を石にしかれても、握り持つた刀の柄を放さずきつと見返したのが、一しよであつた。
302
犬田は改めて犬坂と犬川とを引き合せた。
「もう一人の丁田は遁げ失せたが」
といふと、犬田は、
「いやその丁田は来る途中の土手でこの犬田がたゞ一打ちに打つて来た。持つてゐた刀も取りかへして来た」
といつた。犬田も犬坂も犬士の一人ではないかと玉のことをたづねて見るに、果して犬坂は『智』の字の刻まれた玉を持つてゐた。犬坂の母がまだ足柄に住んでゐた時、ある日の夕方、流星のような一つの光り物が南の方から飛んで来て、母の懐にはひつたと思ふと、それがこの玉であつたといふ。牡丹の花に似た黒痣もあつた。
303
犬坂はこの夜また犬田、犬川と別れた。彼は父の讐籠山逸東太を打たなければならなかつたからだ。籠山はその後管領定正に仕へてゐたが、犬坂はそれを討ち取つて復讐の目的を果たした。これはずつと後のことであつた。その同じ時に犬山道節は定正をねらひ、復讐の目的は果たせなかつたが、その兜を射落し、定正の軍を大いに破つて幾分か瘤飲を下げた。この戦ひの時に八犬士の中、仁を除いた七人がこと/゛\く寄り合つた。
304
七犬士たちは、結城へ集まつて里見季基の五十回法養を営み、そこの古戦場へ大きな石の塔婆を立てた。その時には丶大法師が法養のすべてのことをして、安房の里見家からは蜑崎照文が領主の代理になつて来て焼香をした。
305
大樟樹の空洞
306
里見家の居城に程近い館山の城主に、蟇田権頭素藤といふものがあつた。
307
この人の素性を洗つて見ると、その父は近江の胆吹山で盗賊の頭をし、数多くの悪事をはたらいてゐた男である。京都の祇園の祭りの時に父親は捕へられたが、それを聞くと子の素藤は山へ打つ手が向けられない間に、山の有り金すべてをひとりで持ち遁げして、東国の方へ下つて来た。どこへいつてもこれといつて面白いことはなかつたが、廻り廻つて館山の近くの普善村といふところを通り、荒れ果てた諏訪の社で一夜を明かした時に、彼はその社前の大樟樹と厄病神とが話をしてゐるのを聞いた。厄病神の話すところでは、この頃近傍の村に病気をはやらせてゐるが、これをなほすには大樟樹の上にある大空洞の水の中へ黄金を一昼夜漬けて置いてその水を飲ませるとよいのだが、このあたりの村は貧乏で誰一人黄金を持つてゐないから、はやく病をなほすわけにいくまいといふのだ。
308
それを聞いた素藤は、夜の明けるのを待つて大樟樹の上へのぼり、空洞を見つけて厄病神のいつて置いたようにした。病気をなほして貰ふために社へお祈りに来た人たちをつかまへてその水を分けてやると、病気の人たちは立ちどころになほつた。素藤は、村の貧乏なのを知つてゐるから、黄金もそのまゝやつて人々を喜ばせた。かようにして素藤は、一時に近傍の村から尊敬せられ、人々の頼みでその諏訪神社の神主になつた。百姓たちは素藤から貰つた金子を返すし、神主としていろ/\のお礼をもするので、素藤はあたりの人たちから尊敬もせられゝば、金もたくさん貯へるようになつた。
309
館山の領主は小鞠谷主馬助如満といふ人であるが、素藤がこんなふうにしてその土地の人達の人望を得ることを恐れた。そこで幸弥太遠親といふ家来に命じ、兵を率ゐて素藤を搦めとることにしたが、遠親はかねて素藤から五十両の金を借りたことがあるので、素藤を気の毒に思ひ、村長へ手紙を送つて、「自分が攻めて行く時には、いづこへか遁げのびてをるように」といつてやつた。しかし遠親が行つた時には、素藤は遁げてをらず、村民百名ばかりと一しよに丁寧に迎へて座敷へ案内をした。素藤は遠親にすゝめて、主君の領主を殺せば自分らは遠親を領主に押さう」といふのである。遠親はそれに賛成した。
310
さて遠親は、素藤を縛つて館山へかへつた。領主の前へ引いて出て、領主の如満へ事柄を報告するような様子をして近づいて行き、ふいに腰刀を抜いて如満の首を打ち落した。素藤は縛られた縄を手ばやく取り外して、一しよに来た百姓から刀を受け取り、その辺にゐる家来たちを斬り立て、百姓たちも鎌や短刀を取り出してそのあとにつゞいた。遠親が素藤の側へ近づいて来ると、素藤はすばやく遠親の首をも打ち落した。百姓たちは、元より素藤を押し立てゝゐる。城中の人々は残らず素藤に降参して、これから素藤は館山の領主になつた。
311
一たん領主になつた素藤は、自分のたくらんでゐた目的を達したものだから、その後は乱暴な政治をした。昔胆吹山にゐた盗賊などを呼び寄せて、贅沢な暮らしをし、酒盛りばかり開いてゐた。それでも近傍の城主たちとは上手に交つて、里見家へも丁寧な使ひを送り、里見家の家来となる代り館山の城主であることを許して貰ふように願つたのである。里見家では老臣たちが集まつて相談をしたが、素藤といふ人間は感心出来ないけれど、すでに館山の城を取つてゐるのにそれと戦争をするまでのこともあるまいと思ひ、素藤の願ひを許して、素藤が館山の城主であることをそのまゝに見遁がすことゝした。素藤はますますよい気になつて、気儘なことをするようになつた。 312
ある日素藤が城の高殿へのぼつて、城下の様子をあちこちと見渡してゐると、たくさんの人達が走つて行つて誰かを迎へるような様子である。素藤は不審に思ひ近習に問ふと、
「あれは近頃世に名高い八百比丘尼を迎へるのでせう」
といふ。素藤はなほも不審に思つて、その八百比丘尼といふものゝことを聞くと、八百比丘尼は、年の頃四十ぐらゐにしか見えないが、まことは八百余歳になつてゐるから、世の人八百比丘尼と呼ぶのだといふ。この尼に物を祈り願へばすぐにその願ひが聞かれるし、また死んだ人に逢はうと願へば、尼はその人の姿を煙りの中へ現してくれるさうである。そのために、近来八百比丘尼を迎へる人々がやかましく騒いでゐるのだ。素藤はその話を聞いて、自分もその比丘尼を一度呼
313
八百比丘尼は家来に案内せられ、素藤の前へ出た。まことに近習のいつた如く、老婆の尼とは見えず、まだ美しい若尼である。名を妙椿といつた。妙椿は夜まで待つといつて昼寝をしたが、夕方になつてもなか/\目を覚まさない。やつと起されて素藤の部屋へはひり何やらお香のようなものをたくと、その煙りの中に見知らぬ美しい女が見えて来た。
「この女は誰であるか」
と問へば、妙椿は、
「この女は里見公の第五の姫君浜路姫でござりますが、君にはなにゆゑ里見公に申し上げて、この姫君をお貰ひ遊ばしませぬか」
と答へた。
314
素藤は、城主にはなつたし里見家と縁組が出来ればこれに越したことはないと思つた。妙椿は、そのためには秘法をもつていくらでも助力をするといふことである。そこで素藤もその気になつて、おもな家来たちと相談をし、ある日里見へ使ひを送つてそのことを願つて見た。里見義成は、使ひの人の用事を聞くと立ちどころにその願ひを断つた。「里見家は清和源氏、大新田の流れで立派な家柄であるが、蟇田の家はどういふ家柄かさつぱりわからない。それに浜路より上の四人の娘もまだ縁づいてゐないから、浜路だけを早く縁づけることは出来ない」といふのである。
315
使ひが帰つてそのことを素藤に告げると、素藤はまた妙椿と相談をした。妙椿はうまい策略を考へて、素藤に教へる。その後素藤のところからまた里見家へ使ひが立てられた。殿台の近傍の八幡、宇佐八幡、諏訪の三社が長く荒れてゐたのを、素藤が百姓達にやかましく命令して、近頃それを立派に修繕した。三社は素藤の領地内にあり、もとは源氏の氏神である。ついては今回修繕の出来た三社へ国主御自身の参詣を仰ぎたいと、使ひの人が口上をのべた。
316
義成は、もちろん素藤のしたことをほめてくれた。そして、次ぎの年の正月には嫡男の太郎義通が鎧の初着の祝ひをするから、そのすぐあとで素藤の修繕した三社へ、国主の代理で参詣に行かうといふことである。素藤は、事がうまく運んだのを大いに喜んだ。八百比丘尼は秘術を出して素藤を助けるといふことである。素藤が、義通を人質に取つてしまはうとする策略は、うまくやり果せるに相違ない。
317
素藤は諏訪の社頭にある大樟樹の空洞の中へ、兵卒を隠して置かうといふのである。ところが妙椿の秘術によつて、一夜のうちに、その空洞より城の中へ通じるとんねるが出来てゐた。このとんねるから兵卒を送り義通を捕虜にしようと思へば、それはわけのないことだ。文明十五年一月十三日のことである。まだやつと鎧着の祝ひの済んだばかりの若い義通は、多くの家来をつれて、城を立つた。堀内蔵人貞行、杉倉武者助直元を主なる家来として、三百人ばかりの兵卒を率ゐてゐる。 318
一行がよほど先方まで進んだ時に、うしろから君の使ひが早馬で飛んで来た。「堀内貞行の妻は急に亡くなつたから、参詣の人に加はることが出来ない。また杉倉直元の妻は難産であつて死んだ子を生んだから、これまた参詣に加はつてならない。それらの人の親戚家来も同様である。今より列を離れ、城へ帰られよ」といふ命令である。人々は不審の思ひをしたが、さうあればやはり参詣のお伴は出来ない。貞行、直元は、あとが気にかゝるけれどもやむを得ず、残つた人々の中のしつかりした武士たちに、くれ/゛\も頼んで帰つて行つた。最も強い兵卒の五六十人が減つてしまつた。
319
一月十五日、義通はいよ/\三社へ参詣することになつた。義通について来た人々の頭小森篤宗、浦安乗勝は、「この館山の城主はまだやつと身方についたばかりであり、どういふ策略があるかも知れないから」と危ぶんで、前日三社の様子を調べさせ、大樟樹のあることを知つて、その下に兵卒などを立てゝ置いたが、兵卒は戦などがあるとは考へないから、自然に心を油断させてゐた。義通が通ると、その途中には何百人かの百姓が、この晴れた日に簑笠などを着、行列を拝みに出てゐたが、これは素藤の兵卒どもであつた。
320
社へ近づくに随つて義通について来た兵卒どもは途中に立つて警戒し、いよ/\社へ近づいた時には、その近習のものだけとなる。義通は神主に案内せられて、まづ八幡、宇佐八幡に参詣し、お神楽などをあげて、おしまひに諏訪社へ参詣しようと、社の前で乗り物を下り、近習に守られながら静かに石を敷いた道を歩いて行くと、樟樹の陰から一時に数百挺の鉄砲が撃ち出された。 321
里見勢はほとんど残りなく戦死をした。日頃はよく戦ふ里見勢も、この小勢をもつてこの大軍の飛び道具に取り囲まれては、戦ひの工夫がなかつたのだ。素藤の軍は城へかへつて凱歌をあげた。すると不思議なことには、樟樹へ通じてゐた墜道が、いつの間にかなくなつてゐた。すべては八百比丘尼の助力であつたのだ。しかるに尚また不思議なことにはこの戦ひが終り、諏訪の社頭は一面に里見勢の戦死者で埋められてゐる時に、空から黒雲が一つおりて来たと思ふと、今まで晴れてゐた空が一面に曇り、風が吹き雨が襲うて、社頭の木をたふし、石を飛ばした。しばらくはあたりも見えない激しい暴れ方である。いつかまた、さつとその暴風雨の去つたあとには、里見勢の戦死者の死骸は一つも残つてゐなかつた。
322
途中で引き返した貞行、直元が、大いそぎで城へ帰つて見ると、城にゐたものは二人がなぜ帰つて来たかを怪しんだ。君の使ひといふものも知つてゐるものがない。 323
伏姫に養はれた神童 324
里見家ではこの頃老公の義実は滝田の城にゐるし、義成は稲村の城にゐた。稲村の城では、直ちに素藤を攻める相談をして、その月の二十一日には、三千余騎の軍勢が館山へ向け繰り出された。堀内貞行と杉倉直元とは、この間の失敗を取りかへすために、一人は先陣となり、もう一人は後陣にひかへた。義成は自分で中軍を率ゐてゐる。いよ/\館山の城へ到着して、まはり一面に取り囲み、たゞ一押しと攻め寄せた。
325
城中でもかねて覚悟をしてゐたことであるから、城門を固く守つて応戦した。城を仰ぐと高い城楼の上には、捕虜にせられた義通が厳重に柱に縛られてゐて、その側には刀を抜いたものが立つてゐる。なほ城楼の上に五六人の士卒が現れたと思ふと、その中の一人が大声をあげて、「今回義通を捕虜にしたのは、決して謀反を企てたのではない。素藤はさきに義成公の第五の君を迎へようと願つたが、その願ひは聞かれなかつた。今その君を下し賜るものならば、若君をも鄭重にお返し申す。もしもこの願ひが聞かれず、あくまでも城を攻めるといふならば、若君を害し奉るより外はない」といつて引き下がる。これを見ては、義成の軍勢も思ひのまゝに攻め立てることも出来ない。
326
義成はひとまづ軍を纏めて退却するような様子を示した。素藤は得意になつて城門を開き里見勢を追撃して来ると、急に前後から挟み撃ちにして、城兵はさん/゛\に打ち破られ素藤も危く打たれさうになつて引き上げた。身方はかくして勝利を占めたが、さて急に攻め寄せれば、義通のいのちを奪はれることであるから、しばらくは戦ひをやめ、城を遠巻きにして陣を布いた。 327
滝田の義実老公は、この報告を聞いて頭を悩ました。かように人質を取られた戦ひは、あたり前の為方では勝つことが出来ない。このたび諏訪の社頭で戦死した士卒どもが、風雨に取り巻かれて城中へ送りかへされたことは、伏姫の霊の助けによることであらうから、やはりなほも伏姫の霊に祈り願ふより外はあるまい。さう考へて老公は、ある日潜 328
お伴について来た蜑崎照文も、大山寺に残し置かれた。随ふものは、僅に二人の近習である。義実には、二十年前の悲しい思ひ出が、たゞ昨日今日の出来事のように目に浮んで来る。墓のあたりの木々だけが伸びた。義実はしばらく目をつむつて墓の前に立つてゐると、側にゐた近習の一人が「あつ」と叫んで打つ倒れた。つゞいてもう一人の近習もばたりと倒れる。どこよりか強い矢が飛んで来たのだ。
329
左右の木の間から四五人の曲者が飛び出して、槍の穂を揃へ、義実の身を取り巻いた。義実も刀を抜いて敵に立ち向つたが、次第にうしろへ追ひつめられて、すでに危く見えてゐると、木の陰にまた声がした。 330
天地に響く大音声である。身の丈は三尺四五寸、顔の色は薄紅で桃の花の如く、肌は白く肉は肥え、樵のような着物を着て、六尺ばかりの棒を持ち、腰に一口の短刀をさしてゐる。襲ひかゝる槍を物ともせず、忽ち敵をたゝき伏せて、右左に投げ飛ばした。さて用意の藤蔓を出して、松の木に縛り上げる。初めから恐れてよくも打ちかゝり得ない一人の曲者だけが遁げていつた。仁は息一つ常と変らず、棒ををさめて義実の前に平伏した。 331
義実がその手柄を褒めると、仁はその後の出来事を語つた。その話によれば、仁の上に下りて来た黒雲が仁の体を大空へ舞ひ上げたと思ふと、間もなく仁は、この伏姫の墓近
「それつ、曲者」
といふうちに、小森と浦安とは、弾丸にあたつてたふれてしまつた。近習や兵卒どもが何れも刀を抜いて、若君の義通の周りを取り巻けば、樟樹の空洞からは、「わーつ」と鬨の声があがつて、弾丸や矢が飛んで来る。そのあとから数百人の軍勢が押し出して来た。この空洞の中から、どうしてこんな数の軍勢が出て来るのかわからない。里見の軍勢の一人に十人二十人があたつて、見る間に里見勢は突き伏せられる。義通はたゞ一人になつて刀を揮ひ敵の一人二人を斬りかけたが、ふいに横から襲つた敵将は、義通の利腕を押へてしまつた。今年十一歳の義通が、どうしてそれに手向へよう。敵将は、義通を小脇にかゝへて樟樹の空洞の中へはひつてしまつた。それは城主の素藤である。
「さては計略に乗つたか」と気づいた時には、おそかつた。これはきつと若君の上に変つたことがあつたに相違ないと、義成をはじめ城の人々は心配をした。その時空に急に一つの黒雲が舞ひ下りて、あたり一面激
「曲者、無礼をするな。八犬士の随一犬江親兵衛仁こゝにあるぞ」
「汝はさきに神隠しにあつたと聞いたが、いづこにあつて育つてゐたか。よくも余を救つてくれたぞ」
332
そこへまた一人の老人夫婦と、なほ外に二人の女が現れた。老人は、さきに遁げた一人の曲者を捕へてゐた。これは姨雪与四郎、音音の夫婦と曳手、単節の二人の嫁である。この人達も伏姫に救はれ、荒芽山から黒雲に巻かれて、この富山の奥へ送られてゐたのだ。神童の養育を助けて来たものは、この姨雪一家であつた。富山の奥にさうして六年の年月がたつてゐた。
333
義実は親兵衛仁をはじめ、与四郎の一家を伴れて、城へかへつた。素藤を征伐に行くには、この神童にまさつたものはあるまい。仁は、「軍勢などはいらない。たゞ与四郎一人をつれて素藤の城へ乗り込まう」といふのである。仁は馬に乗つて、館山の城へ立ち向つた。与四郎がその馬の口を取つてゐる。
334
城門の前へ立つた仁は里見の使節であるといふので、素藤は仁を引き入れ対面することになつた。仁は何ものをも怖れず悠々と廊下を通つて行くに、城内の兵卒ども、その威風に怖れ手が出ない。仁は素藤の坐つてゐる大広間へはひり、素藤を尻目にかけ、真直に床の間へ進んで鎧櫃の上に腰をおろし、一座をにらみつけたので、素藤は、 335
素藤がかように仁に捕へられゝば、城兵は一人として仁に手向ふことが出来ない。仁は城兵にいひつけて若君の義通を伴はせる。館山城は、またゝく間に仁の手に奪はれてしまつた。
336
捕虜となつて稲村の城へ送られた素藤は、仁のなさけ深い取り扱ひにより殺されるところを助かつて国外へ追放せられた。仁はその手柄により、館山の城主にせられた。さすがの謀反も、これでひとまづ平げられたのだ。 337
素藤は山や沢のようなところをあてどもなく歩いて行くと、そこには妙椿の庵室があつた。妙椿が、術を使つて素藤を
「これは気狂ひであらう。者どもこの気狂ひをひきずり出せ」
と下知をすると、兵卒どもは一斎に仁に襲ひかゝつた。その時仁の胸からは、光りのようなものが輝き出て、人々はその光りに打ちすくめられ、思はず前に平伏する。つゞいて躍りかゝつた素藤の首筋をつかみ、足の下に敷いて動かさない。
338
里見勢の館山攻撃は前のように始められたが、このたびは妙椿が術を使つて暴風を起すので、里見勢はまたも館山の城を攻めあぐんでゐた。義成も今は後悔して、仁を呼びよせる使ひを出さなければならなかつた。仁は旅にゐて早くも館山城の奪はれたことを知り、僅の軍勢を率ゐて館山城へ乗り込んだ。妙椿の術も仁の霊玉にはかなはない。
339
素藤が、仁に掴み上げられ二階より下へ投げ落されたところへ、人々が寄つて来てその首をはねた。妙椿は、仁に向ふと忽ちその霊玉の光に射すくめられ、二階から下へ飛びおりたが、大きな石の手水鉢の中へ落ちて死んでゐる姿を、あとで里見勢が見つけて取り上げると、それは年のたつた牝狸であつた。
340
白川山の虎退治
341
八犬士はめでたく里見家へあつまつて来た。何れも無双の勇士である。
342
八犬士がかように一人もれなく集まつて来たには、丶大法師の手柄が少なくない。また丶大法師の手柄を思ふにつけては、安房の国に里見の家を興すまつぱじめに大きな手柄を立てた金椀八郎孝吉の名を思ひ出さなければならない。そこで八犬士のすべてに金椀といふ姓をあたへ、孝吉の手柄を後の世までも伝へようと考へたが、かように新らしく姓をつくつて与へるには、まづ朝廷のお許しを受けなければならない。そこで八犬士の中の一人と蜑崎照文とを使ひにして都へのぼらせ、その時の執権細川政元にお願ひして、この許しを乞はうとした。この大事な使ひには、まだ少年の犬江親兵衛仁が選ばれた。仁が正使、照文が副使である。
343
仁と照文とは、百人足らずの家来を従へ、船に乗つて都へのぼる。朝廷や足利将軍、その外あちこちへ献上するお金や品物も一ぱいに船に積んだ。船は東海道にそうて西に向ひ、伊豆から遠州灘をわたつて三河の苛子崎まで来た。老人の姨雪与四郎は、元来はこの家来の中に加へられなかつたのだが、仁が心配になるのでひそかに船の中へ忍び込んで、一行に加はつて来てゐた。
344
時は七月の末であつた。海の荒れが長く続き、船を進めるわけにいかないので、苛子崎のがげに錨をおろし、海のなぎを待つてゐる。朝夕は涼しくなつても、昼の暑さはまださすがにきびしく、船の人々もこの長逗留に退屈になつてゐた。こゝは伊勢、志摩の商船が東の方へ行く時必ず碇泊する港であるから、陸へあがれば気をまぎらす店などもたくさんに出来てゐるのだが、仁は大事の役目を持つ身として、家来たちに上陸することを許さない。港には仁の船の外に、なほ一艘の船が並んで碇泊してゐた。
345
その港の船着き場へ、四五人の家来を従へた役人風の男が現れた。これは近頃このあたりに海賊の船が往復し人々をなやましてゐるといふので、碇泊の船をしらべに来た役人である。役人は小舟に乗つて、まづとなりに碇泊する船へこぎつけ、船内の取り調べたが、別段に不審のこともなかつたと見え、次ぎには仁の船へ小舟をつけ、船内取り調べにあがつて来た。役人のようすは横柄で、仁が少年であることを軽蔑してゐるように見える。いろいろと取り調べをして、なか/\立ち去るようすがない。
346
仁はこの役人のようすが癪に障つた。むつとした顔で役人に向ひ、
「貴君は拙者を少年であると思ひ、無理難題を申されると見える。里見の家に名の聞えた八犬士の一人犬江新兵衛仁の手並の程をごらんに入れよう。この上とも難題を申されるならば、そのまゝでは捨ておき申さぬぞ」
といつて、前にあつた大錨をたやすく引き寄せ、両手でやつと振り上げると、さすがの役人もこの剣幕には驚いた。
「いや拙者はたゞ船取り調べの役人でござるゆゑ、これほど厳重に取り調べをしなければ、我が君に申し訳のない次第、然らば何人かお使ひの一人が拙者と一しよにわが君の城まで参られ、詳しく君に申し開きをして戴くわけには参るまいか」
と、役人の態度もおとなしくなつて来た。
347
仁は正使であつて一時も船を離れることが出来ない。副使の照文が数名の家来を従へ、この役人と一しよに城へ向つた。
348
港は夕方になつた。初秋の夕日は横から刺すように照りつけて、船の中は特別に暑苦しい。家来たちは仁があまりにきびしいのを、少し怨むような気持ちになつてゐる。その時またどこからか一艘の小舟が漕いで来た。
「御存じの下戸酒屋上五郎でござる。眠気ざましの辛酒甘酒はどうでござるかな。さかなには章魚の脚、蛤もある。さあ/\召されい、召されい」
と声をかけた。仁の家来たちは大喜びで、すぐに酒売り船を呼ばうとすると、仁が大きな目を開いて、家来たちを叱りとめた。こんな知らない土地で、めつたに酒売りなどの酒を飲んではならないといふのだ。
349
酒売り船では、酒を買つてくれそうにないから、隣りの船へいつてまた同じように声をかける。こゝでは船乗りどもが、競争で出て来て、おれにも一椀、又一椀と、辛酒やら甘酒やらを思ひのまゝに買ひ、船の上で酒盛りをはじめた。酒売りは、仁の船へ酒の売れなかつた腹いせに、悪口をいつてその船の人と一しよに騒いでゐるし、なほ更こちらへ見せびらかすように船乗りたちは面白く遊んでゐる。
350
仁の船では、たまらなくなつた。家来たちは仁に願ひ、やつとのことで少しだけ酒を買ふことを許された。酒売りが運んで来た甘酒を家来が茶椀に入れ仁のところへ持つて来たから、仁が茶碗を手に取らうとすると、不思議にも懐にあつた『仁』の字の玉が護り袋から脱け出て、仁の手を打ち、茶碗は下へ落ちて砕けた。
「さてはこの酒が怪しい。油断はならぬぞ」
と仁が気の附いた時には、酒を飲んだ家来たちは中にはひつてゐた毒にあてられ、目をみはり、涎を流して、うん/\うなつてゐた。
351
仁も今は為方がなく、ともかくも海賊が手を出すまでは自分も毒にあてられたふうをしてゐようと、そのまゝたふれた様子をしてゐると、隣りの船では呼び子の笛が鳴り、俄に錨があげられて、こちらの船へ漕ぎ寄せるつもりらしい。里見の船が都へ大金を持つて行くことを聞き、途中に待ち伏せをしてゐた海賊の船であつたのだ。海賊どもは手早くこちらの船にあがり、あちこちから目ぼしいものを探し出してゐる。仁は、「いまはよからう」と、がばと身を起し、大音声をあげ、
「里見に名の聞えたこの仁を知らぬか。今こそ天罰を思ひ知らせてくれよう」
と、小盗賊どもを片つぱしから投げとばした。
352
そのひまにこの海賊の大将と見えるものが、船底から金箱を持ち出し、小盗賊どもが仁と戦つてゐる間に、すばしこく小舟へ飛び乗つて、はや船から三間ばかり漕ぎ出した。それに気づいた仁は、小盗賊を蹴飛して船の舳先へかけて行き、「やつ」と声をかけると、義経のような早業、身は盗賊の小舟に飛びうつつてゐる。小舟の上では海賊の大将と仁との組み打ちがはじまつた。
353
この海賊は海龍王修羅五郎といひ、西の国では並ぶものゝないといふ強い賊である。今純友査勘太といふ賊と一しよになり、四国九州辺をなやましてゐたが、近頃はその地の城主などが一しよになり海賊を防ぐことを厳重にしたから、しばらくこの東海の港に船をかくしてゐたのである。修羅五郎は思つたにまさつた大力の賊である。さすがの仁もこれを一つかみに取りおさへることが出来ない。互に「えい、えい」声を出して、組み打ちをしてゐる間に、小舟のことであるから、よこへぐつと傾いて、二人の体は引き組んだまゝ海の中へ落ち込んだ。修羅五郎は海賊だけに、海も陸も区別はない。仁は山育ちであつて、海にはなれない。たゞ『仁』の字の玉があるから、身は海の底へ沈まないだけのことだ。仁のいのちはあぶなくなつた。
354
話かはつてこちらは城へ向つた照文であるが、役人と一しよに三十町ばかりも行くと、役人は道に迷つたといつて、だん/\山道のわからぬところへ踏み込んで行く。その時先方の木立ちから五六十人ばかりの盗賊が、立派に武装をして現れ出た。この賊の大将は、いふまでもなく今純友査勘太である。照文は、今は賊にあざむかれたことを知り、この賊に向ひ切り込んで、思ひのまゝに薙ぎたふした。その時また木立の中から二三百人の軍兵が現れて、この賊どもを取り囲んだが、これはまことの城兵が、海賊を捕へるために出て来てゐたのだ。
355
照文と一しよに来てゐた姨雪与四郎は、船に残つた仁の身が心配になつたので、あとのことを照文にまかせ、自分だけは大いそぎで港へ引き返して来た。船の方を見ると、浪にもまれながら引つ組んでゐる二人の中の一人は、まぎれもない主人の仁である。与四郎は、さすがに水練には達してゐる。すぐに身を躍らせて海へ飛び込み、仁らのそばへ近づくと、短刀を抜いて修羅五郎の腹へ突き立てた。海賊の首は難なくはねられ、仁は小舟の中へ救ひ上げられた。この争ひの間に金箱は海の底に落ち、仁が里見の老侯から賜つた腰刀も、どこへ沈んだか見えなくなつてゐる。それを聞いた与四郎は、またも海の中へ飛び込んだが、しばらくあつて浮びあがり、小舟へがらつと金箱を投げ上げた。腰刀も安全に拾ひ上げた。そこへ照文の一行も帰つて来たので、互の無事を祝し合ひ、船へ戻つて『仁』の字の玉を取り出し、毒にあてられてゐる家来達の体をなでると、みな酒を吐いてもとの身にかへつた。この災難に与四郎のゐあはせたのは、仁の運の強いところであつた。
356
仁の一行は、都へついた。里見家よりの願ひの筋は聞き届けられた。しかし執権の細川政元は、智勇に秀いでた仁を見て、東国へかへすことを惜しく思つたから、お許しの書面は副使の照文に持たせて国へ帰し、仁だけを自分の邸の中にとめておいて、いつまでたつても国へ帰ることを許さない。仁の身が心配になる老人の与四郎、照文が特別に残しておいた若者直塚紀二六、その他幾人かの家来だけは、仁に別れ旅籠屋などに泊つてゐて、仁が政元に許されるのを待つてゐる。
357
かうしてゐる間も、政元の悪い家来たちは、相談をして仁と武芸競べをしようとする。ある日政元その外の役人らのゐならぶ面前で、仁は幾人かの勇者と試合を命ぜられた。第一番には、身の丈五尺八九寸はある鞍馬海伝真賢との試合、真賢は、赤樫の木太刀を持つて向つて来たが、仁は鉄扇であしらひ真賢を疲らせておいて、よい加減の時に木太刀を打ち落し足で蹴倒した。第二番は無敵斎経緯、六尺ばかりの白樫の棒をりゆう/\と振り廻し仁の前へ出て来て身構へたと思ふと、
「犬江氏しばらく待ち給へ。拙者俄に持病が起きて手足がしびれる。残り惜くは思ふが、勝負はこの次ぎの時にいたさう」といひ、がらりと棒を捨て、びつこをひいて引き下がる。第三番は澄月香車介直道、槍つかひの名人であるが、礫投げの名人紀内鬼平五景紀の助けを借りて試合に出る。澄月と仁とは、馬上に槍を合せた。澄月は仁にさん/゛\に突きなやまされ、馬上にも危くなつてゐる時、紀内が小石を手に取り、ぱつと仁に投げると、仁は澄月に槍をからませながらさつと身を避ける。小石は澄月の額にあたり、澄月はたまらず馬から落ちた。紀内が第二の小石を投げようとするところへ、すばやく懐の小石を手に取つた仁がぱつと投げると、これも額を打たれて馬から落ちた。第四番には、秋篠将曹広当の弓、種子島中大正告の鉄砲、仁の弓で空を行く雁を打ち落す競争だ。地上へ落ちた三羽の雁を見るに、仁の射た雁だけは羽根を矢で縫はれ、一滴の血もついてゐない。これも仁の勝ちときまつた。
358
第五番目は悪僧の徳用、堅削の二人との試合だ。まづ徳用が立ち向つて来る。徳用は八十二斤の杖を取り、仁は鉄棒を取つて馬上に争つたが、仁ははや徳用の杖を打ち落し、徳用をひつつかんで頭上に高くさし上げた。そばに見てゐた堅削は、友達の難儀をすくふため棒を持つて立ちかゝらうとすると、徳用の乗つてゐた荒馬が駈けて来て堅削をふみ倒した。仁は上の命令で、徳用を地に投げもせず、地上へおろす。勝負は立派についたのである。これを見た人々は、仁のあつぱれな武勇に舌を巻いて驚いた。
359
その頃都に、竹林巽風といふ画家があつた。この画家はさきに丹波の田舎にある薬師如来の前に住んで、寺へあげる虎の画の額をかき暮らしを立てゝゐたが、人殺しをしたゝめ村にゐられなくなり、都へにげて来て画家になつてゐたのだ。ある日将軍家へ金岡のかいたと伝へられて来た虎の掛け物を御覧に入れたいといふので、そのことを政元に願ひ出た。見ればその虎の図には、眼に睛をかき入れてない。政元は巽風を呼び出し、巽風にこの睛をかき入れることをいひつけた。
360
金岡のかいた本物の画の虎は、眼に睛を入れゝば虎が抜け出るといはれてゐる。巽風は、政元のいひつけに当惑した。眼に睛をかき入れて、虎が抜け出さなければ、掛け物は贋の画だ。けれども虎が抜け出て来ても、大へんのことである。しかしいひつけはどうにもならないので、巽風は政元の前で大胆にも虎の画の眼に睛をかき入れた。
361
すると不思議にもどこからかさつと疾風が吹いて来て、掛けてある虎の画が上に吹き上げられたと思ふと、そこには額白く斑毛の大虎が一匹つつと立つてゐて、前にゐる巽風の咽喉へかみついた。これは歴史にもかゝれてゐない出来事だ。巽風の首をかみきつた虎は、どこともなく外へ歩き出したが、それを見る人々は驚いて、
「虎だ、虎だ」
と叫びながら、遁げまどうた。都の中は大騒ぎになつた。政元のいひつけで強い家来たちが大勢の兵士をつれて虎を捕へに出かけたけれど、日頃悪い家来たちは、虎に噛み殺されたり、同志打ちをしたり、さん/゛\のめにあつた。政元も、いまは虎退治に困りはてゝゐる。
362
仁はよいをりであると思つて、虎退治を政元に願ひ出た。もしも自分ひとりで虎退治が出来たなら、自分を東国へかへして貰ひたいといふのである。政元もいまは致し方なく仁の願ひを許したから、仁は喜び勇み、馬に打ち跨つて邸を出た。行く先は虎のすむといふ噂の白川山である。手には弓と矢二本を持つてゐる。与四郎や紀二六は、これもあとから追つかけて来た。
363
月の冴えた冬の夜であつた。仁は白川の山をあちこち探して廻ると、まがふところのない大虎が、牙をならし爪をみがいて仁の前に立ち現れた。仁は少しも驚かない。一本の矢を取りふつと射ると、矢は見事に虎の左の目を射、あまつた鏃はうしろの赤松の幹へ突き立つた。それを振り抜かうと虎のもがくところへ仁の射た第二の矢が飛んで来て、今度は右の目を射、虎は二本の矢で赤松の幹へ射とめられてしまつた。馬からおりて来た仁が、拳をかため虎の眉間を打つと、虎はそのまゝ息たえたようすである。仁は虎を射とめたしるしに、その片耳をきり取り、それを持つてすぐに都の東の関所へ向かつた。
364
関所の人に証拠として見せるため、仁がこの片耳を取り出さうとすると、どこで紛失したか見当らない。しばらく関所の人達と争つてゐるところへ、急いでかけつけて来たのは仁の家来や政元の一行である。政元がこの虎を退治した場所へ来て調べてゐると、目のない虎はいつの間にか、政元の家来の持つて来た掛け物の画の中へ帰つてゐたのだ。仁の切り取つた片耳も、切られたきずがついたゞけで、そのまゝ画の中へ帰つてゐた。
365
里見家の八犬士
366
犬江親兵衛が帰つて来たので、里見家にはまためでたく八犬士が揃つた。この勇士がゐる間は、里見家はどこの軍勢と戦つても恐れることがない。関東の諸領主たちは、里見のこの威勢をにくんで、同盟軍をつくり、陸から海から攻めて来たが、いづれも八犬士の率ゐる軍に攻め破られ、ほうほうの態で引き上げねばならなかつた。
367
その時京都からは使ひが下つて、義成親子の位の進められることが達せられた。この使ひの骨折りで、里見は関東の同盟軍と仲直りをした。里見は諸国へ攻め込んで領地をひろげようとは考へてゐない。その後里見の領地は富み栄えて、国内誰一人喜ばぬものがない。八犬士には、義成公の八人の姫君がそれ/゛\妻としてめあはされ、なほそれ/゛\に城を一つづつ送られた。
368
八犬士は子供を生み、その子供が大きく生長して自分たちは老人となつた時に、その子供達にあとを譲つて富山に入り、庵を結んで住んでゐた。ほんとうの仙人のような暮らしであつた。その後庵室を訪うた時には、仙人のような八犬士はいづこへ立ち去つたものか、その姿は山に見えなかつた。 をはり
(奥付)
日本児童文庫
昭和五年九月十三日印刷
昭和五年九月十六日発行
八犬伝物語
〔非売品〕
版権所有
訳著者 土田杏村
編集兼発行者 東京市神田区今川小路二ノ一
北原鉄雄
印刷者 東京市小石川区久堅町一〇八
君島 潔
印刷所 東京市小石川区久堅町一〇八
共同印刷株式会社
発行所 東京市神田今川小路二ノ一
アルス
電話 九段二一七五・二一七六番
製本・杉村
使用したテキストファイル
J−TEXT 子ども向け読み物
八犬伝物語 HTMLファイル(読み仮名付き版)
底本データ
書名:日本児童文庫『八犬伝物語』
底本発行年:昭和57年
発行所:名著普及会
底本の親本:昭和5年9月16日発行 アルス発行
校正者:菊池真一
上記ファイルを里実工房が以下のように変更しました。
変更箇所
ルビ付きHTMLファイルに変換
行間処理(行間230%)
段落処理(形式段落ごとに<P>タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更)
段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年1月27日