Web文書の表記について
インターネットに代表される情報ネットワークの急速な進展に伴って、コンピュータのディスプレイ上で文字を読むことが増えてきている。しかし、ディスプレイに表示される電子化された文書は、残念ながら決して読みやすいのもとはいえない。
その原因は、画面上で文字をたどることに感情的な抵抗感を持つため、画面に表示される形式自体が読みやすさを配慮したものとなっていないため、ディスプレイというハードの性能の問題等色々考えられる。しかしそういう現状ではあっても、今後画面上で文書を読む機会は増えていくにちがいない。
画面上に表示される文書を読みやすくするためのソフトウェアーが開発され、有償・無償で提供されているものもいくつかある。それらのソフトでは、一般的に文書を縦組みで表示したり、文字の大きさを変えたり、行間の広さを変えたすることで、自分の好みの文書スタイルに変えて、ディスプレイ上で読むことが出来る。本と同じように1ページ1ページずつめくりながら読むことも出来る。
ただ、それらのソフトの多くは、まずそれをダウンロードして、さらに解凍して、インストールしなければならない。解凍するためには、そのための解凍ソフトをダウンロードしなければならない。この作業が、パソコンを使い慣れていない人にとっては、非常に厚い壁になるようだ。従って、画面上で電子化された文書を読む方法として一番簡便な方法は、やはりブラウザで表示して読むということになるであろう。
長い間私たちは、活字を紙に印刷した書物という形で、文章を読むことに慣れ親しんで来た。そのため、電子化された文章を読もうとする段になっても、本を読むのと同じように読みたいと思ってしまう。しかし、本と同じように読むのであれば、なにも画面上で読む必要はない。活字で印刷された書物で読めばいいのである。
電子化された文書には書物とは違う特質がある。その特質を生かした読み方を工夫することが大切なのである。書物と同じ方法で画面上の文書を読もうとすることは、結局はコンピュータの長所を消すことにつながってしまう。電子化された文書の特質を生かした読み方を工夫し、そして読み手が安価で簡単な方法で利用できる方向を探ることが大切なのである。
第1章
1.1 Web文書の定義
Web文書とは、HTML言語で記述されたWebページを指す。本来Webページは、文字情報だけのテキストファイルである。しかし、Web文書は、いったんコンピュータのディスプレイで表示されると、文字だけでなく、画像・動画・音声等を含むページとして表示される。従って、一般には文字・画像・動画・音声等を含むファイル全体を、Web文書と称することも多い。しかし、本稿では、純粋に文字だけで記述され、文字だけをディスプレイに表示する電子化されたHTML文書を「Web文書」と呼ぶことにする。
1.2 表記の混乱
Web文書の表記は現在種々の方法が行われている。多くは紙に記述する際に用いる表記法と同じ形式で作成するため、ディスプレイに表示された時、読みにくいものとなってしまう。その点について、いくつか例をあげてみる。
@ 行間
Webページの文章は、行間が全くないベタ組で書かれていることが多い。短い文章であれば読みにくさは感じても、最後まで読み通すことはさほど困難ではない。しかし長い文章になると、途中で投げ出してしまうか、斜めに拾い読みするか、あるいはもう最初から読む意欲も失せてしまうかもしれない。Webページの文章が読みにくい最大の原因は、この行間がないことにある。
例1:行間なし
(正岡子規「叙事文」)
文章の面白さにも様々あれども古文雅語などを用ゐて言葉のかざりを主としたるはここに言はず。将た作者の理想などたくみに述べて趣向の珍しきを主としたる文もこゝに言はず。こゝに言はんと欲する所は世の中に現れ来りたる事物(天然界にても人間界にても)を写して面白き文章を作る法なり。 |
(正岡子規「叙事文」)
或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感ぜしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず只ありのまゝ見たるまゝまに其事物を模写するを可とす。 |
印字された活字は、あたりまえのことだが、読み手によって文字の大きさを調節することはできない。しかしWebページの文字の大きさは、ブラウザの設定を変更することで調節可能である。小さな文字が苦手な人でも、ブラウザの文字設定を大きくすれば、読みやすくなる。
このように表示文字の大きさを変更できるのは良いのだが、その一方困ったことも起こってくる。
例1の文章をWebページ化する際、強制的に改行するマーク(タグ<br>)を入れたとする。すると、ブラウザの表示文字の大きさを大きくすると、画面上には次のように表示されてしまう。
例3:強制改行あり
文章の面白さにも様々あれども古文雅 語などを 用ゐて言葉のかざりを主としたるはここ に言は ず。将た作者の理想などたくみに述べて 趣向の珍 しきを主としたる文もこゝに言はず。こ ゝに言は んと欲する所は世の中に現れ来りたる事 物(天然 界にても人間界にても)を写して面白き 文章を作 る法なり。 |
強制的に改行した場合は、例3のように文字を大きくして表示すると、意図しないところで改行が発生して、本来一行で表示されるべきところが、複数行にわたってしまうことが生じる。
ルビをWeb文書で用いることには、なかなか難しい面がある。Webの標準化団体である「W3C」が公開している「HTML4.01」の仕様に基づいて、ルビを所定の位置(横組みであれば漢字の上)に表示できるようになっているブラウザは、現在のところあまり多くない。使用するブラウザによっては、ルビがうまく表示されないことも起こってくる。Web文書でルビを表示するためには、ブラウザがそれに対応しているかどうかに掛かっているのである。
1.3 表記の統一
以上みてきたように、現状では必ずしもWeb文書の表記を統一するための環境が十分整ってはいない。しかし今後もWeb文書に触れる機会が増えていくことを思うと、Web文書の表記上の約束事を設けていくことは、必要なことであると言わざるをえない。
このような表記の混乱は、紙に印刷された活字を読むことから、ディスプレイ上に表示された文字を読むことへと移行する際、必然的に起こってきたことと考えるべきなのである。この点を見落とすと、メディアが紙から電子へと大きく変化しているのにもかかわらず、旧来通りの表記法を無理矢理Web文書にも適用することになってしまう。
第2章 明治期の文章改革
かつて様々な革新運動が起こった明治期が、実は現代の状況に非常に似通った時代であった。前時代からの木版印刷が、近代になって活版印刷へと変化した。このことが、木版時代には安定していた表記法に混乱をもたらした。また明治期には、言文一致運動も起こり、さらに混乱を増幅した。そのなかで、ローマ字表記、総かな表記等の表記法が試みられ、それらの試行錯誤の結果が、現在私たちが用いている表記法なのである。
Web文書の表記について考える際、明治期をふり返っておくことは、決して無駄なことではないであろう。明治の人は、新しい日本語の文章を創出するために、現代の私たち以上に苦闘していたはずである。
2.1 木版印刷から活版印刷へ
活版印刷が行われるようになるまでは、長い間木版印刷の時代が続いた。
現在私たちが文章を書く際普通に用いている句読点は、近世までは存在しなかった。使う必要性が無かったのである。石川九楊氏が「書と文字は面白い」(新潮文庫)で次のように述べている。
『通常、毛筆書きの手紙や書には句読点を用いず、近世まではこれらは必要とされることはなかった。それは言葉の脈絡や関係が、毛筆の運筆の形状や間のなかに固定されていたからだ。』
ところが、活字ではそうはいかない。間、あるいは終止を表すものが必要となる。
『近代になって活字による表出を交通が支配的になると、肉筆のような流れと休止の表情を書字の形状に同伴することが不可能になった。』
こうして活版印刷が盛んになるにつれて、句読点を使う必要性が生まれてくるのである。
活版印刷は、明治初期、長崎の本木昌造によって「新塾活版印刷所」が設立された時に始められたとされている。それが明治3年のことである。その後平野富二が、東京に出て神田佐久間町に「長崎新塾出張活版製造所」を開き、活版印刷を軌道に乗せていく。
こうして長崎に始まった活版印刷は、徐々に広がりをみせ、明治十年代以降活版印刷による出版は増加していく。
2.2 表記の混乱
活版印刷が増えるに従って、表記法も混乱し始める。木版時代と同じように、句読点に類する記号を全く使わないもの、読点だけ用いて句点は使わないもの、白抜きの読点を用いるもの、このように様々である。
記号だけでなく、改行処理の仕方も不統一であった。現代の表記法では、改行すれば、次の行の冒頭は必ず一字下げて書き出す。ところが、この時期は必ずしも一字あけていない。むしろあけていない方が多い。
2.3 山田美妙の表記法
明治期の前半は、このように様々な表記が用いられていた。それではこのような混乱の中、現在用いられているような表記法を創始した人物は誰であろうか。
このころ盛んになってきた文章改良運動として言文一致運動がある。近代文学史では、その運動に関わった文学者として、二葉亭四迷と山田美妙をあげるのが一般的である。言文一致体の作品として、二葉亭四迷は「浮雲」、山田美妙は「武蔵野」という作品を同じ年に発表している。実は両者は、これ以前にも言文一致体の作品を書いている。
山本正秀氏の説によると次のようになる。(「近代文体発生の史的研究」P454)
『作品の制作の順位から言へば、二葉亭の「ゴーゴリのある作の訳」(M十九年1月〜3月)…中略…「虚無党形気」(M十九年3・4月)美妙の「嘲戒小説天狗」(M十九年十一月より)……』
このように検討した結果、創始者は二葉亭四迷であるとし、以後これが定説化したと述べている。
しかし、同書によれば二葉亭の「ゴーゴリのある作の訳」は、結局未完に終わってしまう。従って公刊されたものとしては、山田美妙の「嘲戒小説天狗」を最初のものとするのが妥当なところであろう。
また、前述したように作品を公刊する際は、活字を用いることが一般的になりつつあったので、表記にも十分配慮してできるだけ読みやすい形式で提供する必要があった。そういう意味で、言文一致体は、表記の面でも読みやすい合理的な形式を考えていかなければならなかった。いろいろな表記方法が試みられたが、結局のところ活版印刷に最もふさわしい形式が定着し、それが今日まで使い続けられ、現在私たちが用いている表記法となったのである。
「浮雲」と「武蔵野」とを比べてみると、後者の方は現行の句読法にほぼ一致する。また、改行後の一字下げも行っている。
二葉亭四迷「浮雲」
以上のように、表記法をも含めて検討すると、現代表記法の創始者として山田美妙をあげることが妥当なところではないだろうか。山田美妙が用いた表記法がさらに改良され、普遍的な表記法として定着していくまでには、もう少し時間を必要としたが、その基礎は山田美妙によって創られたということなのであろう。
第3章 Web文書表記法
明治初期に木版印刷が活版印刷へと変化し、紙に印刷された活字を読むようになったことが、文章表記にも影響を及ぼした。同じことがWeb文書にも言えるのではないだろうか。
紙とディスプレイとではその性質が大きく違う。また活字と電子化された文字も違う性質を持っている。従って活版印刷の表記法をそのまま模倣するのではなく、Web文書独自の表記法を模索する必要がある。
@ 行間
適切な行間の幅は、字の大きさによって変わってくる。 また、読む人の主観にも左右されるので、行間の幅をどの程度にするかということは、なかなか難しい問題である。だが、活字の文書と違って、Web文書はソースプログラム手を加えることで、行間は簡単に変更できる。活字の文書にはないWeb文書の優れた特質である。
[試案]行間設定の基準
Web文書に限らず印刷された文書でも同様であるが、段落の設け方も読み易さに関わる重要な要素である。
段落は文章構成要素の一つであり、内容の面で統一されているべきものである。原則的には、一つの段落では一つの事柄について述べる、という記述の仕方が望ましいとされている。段落に分けて書くということは、文章表現の最も大切な基本である。
Web文書は、巻子本と似た性質を持つ。もちろんページという単位は存在するが、メモリ容量が許す範囲内で、そのページはいくらでも長くできる。それは巻物のように延々と続いてゆく。
このようにWeb文書はは巻物状に続くので、書物とはページという概念が大きく異なる。従ってWeb文書の特質を生かすために、今までの表記上の約束事に縛られることなく、Web文書独自の約束事を考えなければならない。
Webページがディスプレイの画面におさまらない場合は、スクロールという操作を行い、文書を上に移動し隠れている部分を順次表示して読むことになる。従って、書籍の場合以上に段落の切れ目を明示しないと、スクロールすることによって今まで読んできた位置を見失ってしまう。そこで段落の切れ目を明示するために、段落と段落との間は、1行あけることにする。
改行一字下げは文章作法としてはすでに認められている方法ではあるが、それはあくまでも書物形態の中で有効性を持つものであって、Webページの場合は一行あけることで、段落の切れ目ははっきりと示される。従って一行あけるのであれば、改行一字下げは必要ない。一字下げの代わりに、一行下げを用いるのである。
[試案]段落設定の基準
○段落と段落の間は1行あける。
○段落の冒頭は一字下げしない。1字下げではなく、1行あけで段落を明示する。
B 1行の文字数
先にみたように、強制的に改行した場合は、意図しないところで改行が発生して、本来一行で表示されるべきところが、複数行にわたってしまうことも生じる。読み手が、どの程度の大きさで文字を表示するのか分からない以上、強制改行はしないほうがよい。ブラウザが文字の大きさ・画面の大きさに従って、自動的に改行するのに任せた方がよい。
このようにブラウザで表示する文字の大きさによって、1行の文字数は変わってくるのであるから、Web文書では、1行の文字数は指定しようがない。段落内では、強制的に改行して各行の文字数をそろえることはできない。従って次のような方法を用いることとなる。
[試案]1行の文字数
1行の文字数は指定せず、段落内の強制改行は行わない。
Cルビ
ルビ表示に対応しているブラウザはインターネットエクスプローラー(Ver.5以降)だけであるが、ルビを必要とする文章もあるので、ルビ表示は行うべきである。ルビ表示には「<ruby>」タグなどを用いる。
3.2 Web文書作成の実際
@ ソフトウェアー
Web文書を作成するために使う道具としては、ホームページ作成用の専用ソフトもあるが、Web文書作成は文字入力が中心になるので、エディターを用いると効率よく作成することが出来る。Windowsであれば、標準添付ソフトの「メモ帳」でも問題はない。もう少し多機能のものということになれば、フリーソフト・シェアウェアあるいは市販のソフトを利用することになる。
A 利用するタグ
タグを用いてHTML形式のソースプログラムを記述する。タグは限られたものしか使わない。HTML文書の基本構文と次に示すタグさえ理解しておけば、あとは簡単にWeb文書を作成することができる。
基本構文:
ソースの最初…<HTML>
最後…</HTML>
スタイルシート:
<STYLE> 〜 </STYLE>
段落の定義:<P> 〜 </P>
改行:<BR>
*.箇条書きなどの時に使う。
ルビ:<ruby>□…□<rt>○…○</rt></ruby>
B 文書作成法
手順@:以下に示すHTMLソースプログラムの「**」部分を修正する。また、「□□」部分は適宜修正する。
【ソースプログラム】
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN">
<HTML>
<HEAD>
<META http-equiv="Content-Type"content="text/ html; charset=Shift_JIS">
<meta http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css">
<TITLE>**タイトル**</TITLE>
<STYLE type="text/css">
<!--P{line-height:180%;}-->
<!--P.param1{margin-left:1em;}-->
<!--P.param2{margin-left:2em;}-->
</STYLE>
</HEAD>
<BODY bgcolor="#eeffee" TEXT="#000099" TOPMARGIN=30 LEFTMARGIN=90>
<P align="center"><FONT size="+1">**標題**</FONT></P>
<div align="right">平成**年**月<FONT size="+0">**著者名**</FONT></div>
<HR>
<!--********** 本文開始 **********--!>
<P>
(この部分に本文を記述する)
<P/>
<!--********** 本文終了 **********--!>
</BODY>
</HTML>
手順A:念のため、この段階で保存しておく。
ファイル名は、適当に変更する。ただし拡張子は、必ず「html(又はhtm)」にする。
手順B:「本文開始」から「本文終了」の間に、本文を入力する。段落に区切るためには、以下のタグを使用する。
段落の開始:<P> 段落の終了:</P>
手順C:保存(上書き保存)する。
手順D:ブラウザ(インターネットエクスプローラーなど)で表示して確認する。修正箇所がある場合は、手順B〜Dを繰り返す。
以下に正岡子規の「叙事文」を例にとって、本文部分の記述の仕方と、実際にWebページとして表示された形を示す。なお「叙事文」は、写生の方法を軸に俳句・短歌革新運動を推し進めた子規が、その考え方を文章革新の面にも向け、写生文を提唱したものとして知られている。
初出(明治33年)の「日本附録週報」掲載時は、山田美妙の「武蔵野」から10年以上経つが、まだ改行一字下げは用いていない。「子規全集」では、現行の表記に改められ、改行一字下げとなっている。
●本文部分のソース
<!--********** 本文開始 **********--!> <P>文章の面白さにも様々あれども古文雅語などを用ゐて言葉のかざりを主としたるはここに言はず。将た作者の理想などたくみに述べて趣向の珍しきを主としたる文もこゝに言はず。こゝに言はんと欲する所は世の中に現れ来りたる事物(天然界にても人間界にても)を写して面白き文章を作る法なり。 </P> <P>或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感ぜしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず只ありのまゝ見たるまゝまに其事物を模写するを可とす。例へば須磨の景趣を言はんとするに </P> <P class="param2">山水明媚風光絶佳、殊に空気清潔にして気候に変化少きを以て遊覧の人<ruby>養痾<rt>やうあ</rt></ruby>の客常に絶ゆる事なし。 </P> <P>など書きたりとて何の面白味もあらざるべし。更に一歩を進めて </P> <P class="param1">須磨は後の山を負ひ播磨灘に臨み僅かの空地に松林があつてそこに旅館や別荘が立つて居る。砂が白うて松が青いので実に清潔な感じがする。海の水も清いから海水浴に来る人も多い。<ruby>敦盛<rt>あつもり</rt></ruby>の塚は西須磨よりももつと西の方にあつて其前には所謂敦盛蕎麦の名物が今でも残つて居る。須磨寺は………… </P> <P>など書かんか、前の文章に比して精密に叙しあるだけ幾分か須磨を写したりといへども、須磨なる景色の活動は猶見るべからず。更に体裁を変じて </P> <P>(以下略)</P> <!--************ 本文終了 ************--!> |
●Web文書
以下のように表示される。(行間60%)
文章の面白さにも様々あれども古文雅語などを用ゐて言葉のかざりを主としたるはここに言はず。将た作者の理想などたくみに述べて趣向の珍しきを主としたる文もこゝに言はず。こゝに言はんと欲する所は世の中に現れ来りたる事物(天然界にても人間界にても)を写して面白き文章を作る法なり。 或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感ぜしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず只ありのまゝ見たるまゝまに其事物を模写するを可とす。例へば須磨の景趣を言はんとするに 山水明媚風光絶佳、殊に空気清潔にして気候に変化少きを以て遊覧の人養痾の客常に絶ゆる事なし。 など書きたりとて何の面白味もあらざるべし。更に一歩を進めて… 須磨は後の山を負ひ播磨灘に臨み僅かの空地に松林があつてそこに旅館や別荘が立つて居る。砂が白うて松が青いので実に清潔な感じがする。海の水も清いから海水浴に来る人も多い。敦盛の塚は西須磨よりももつと西の方にあつて其前には所謂敦盛蕎麦の名物が今でも残つて居る。須磨寺は………… など書かんか、前の文章に比して精密に叙しあるだけ幾分か須磨を写したりといへども、須磨なる景色の活動は猶見るべからず。更に体裁を変じて |
おわりに
文字を紙に印刷して読むことから、文字をディスプレイの画面に表示して読むことへと変化することが、文体・表記に影響を与えるのは自然の成り行きと言えよう。今後どのような過程を経てどのような形で落ち着くのか予想のつかない面もあるが、私たちは明治の人たちと同じ状況に置かれているのだということを念頭に置き、新たな方法を模索していくことが大切なのであろう。
■参考資料
◇Webページ
1.技術と日本語物語
http://www.honco.net/japanese/index-j.html
2.j-texts 日本文学学術的電子図書館
http://www.j-texts.com/
3.青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/
4.テキスト庵 http://www.spacehorn.com/text/index.html
5.里実文庫 http://www.asahi-net.or.jp/~aq3a-imi/
◇雑誌・書籍など
1.孤りの歩み −山田美妙論ー
深作硯史 近代文藝社 1994.6
2.美妙、消えた。
嵐山光三郎 朝日新聞社 2001.9
3.美妙文学選
山根賢吉・菊池真一編 和泉書院 1994.5
4.詳解HTML&XHTML&CSS辞典
大藤幹 秀和システム 2002.4
5.明治の文学 第10巻 山田美妙
坪内祐三・嵐山光三郎編 筑摩書房 2001.4
6.書と文字は面白い
石川九楊 新潮社(新潮文庫) 1996.8
7.季刊 本とコンピュータ
「ディスプレイが紙にとってかわる日はくるか?」 歌田明弘 トランスアート 2002.12
8.活版印刷史
川田久長 印刷学会出版部 1971.10
9.近代文体発生の史的研究
山本正秀 岩波書店 1965.7
10.近代文体形成史料集成 発生篇
山本正秀 桜楓社 1978
11.特選 名著復刻全集 近代文学館
日本近代文学館 ホルプ出版
夏木立 浮雲 小説神髄 当世書生気質
新体詩抄 柳橋新誌 雪中梅 金色夜叉
たけくらべ 武蔵野(國木田独歩)
12.叙事文 正岡子規「日本附録週報」
明治33年1月29日・2月5日・3月12日版
復刻版 ゆまに書房 1988-1991
13.正岡子規全集 第十四巻 評論 日記
講談社 1976
年表
■このファイルについて
標題:Web文書の表記について
著者:今井安貴夫
公開:2003年4月21日
ファイル作成:里実工房