鹿踊りのはじまり

宮澤賢治




1

そのとき西にしのぎらぎらのちぢれたくものあひだから、夕陽ゆふひあかくなゝめにこけ野原のはらそゝぎ、すすきはみんなしろのやうにゆれてひかりました。わたくしがつかれてそこにねむりますと、ざあざあいてゐたかぜが、だんだんひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみやまはうや、野原のはらおこなはれてゐた鹿踊しゝおどりりの、ほんたうの精神せいしんかたりました

2

そこらがまだまるつきり、丈高たけたかくさくろはやしのままだつたとき、嘉十かじふはおぢいさんたちと北上川きたかみがはひがしからうつつてきて、ちいさなはたけひらいて、あはひえをつくつてゐました。

3

あるとき嘉十かじふは、くりからちて、すこひだりひざわるくしました。そんなときみんなはいつでも、西にしやまなかくとこへつて、小屋こやをかけてとまつてなほすのでした。

4

天気てんきのいゝに、嘉十かじふかけてきました。かて味増みそなべとをしよつて、もうぎんいろのしたすすきの野原のはらをすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくりあるいてつたのです。

5

いくつもの小流こながれや石原いしはらえて、山脈さんみやくのかたちもおほきくはつきりなり、やま一本一本いつぽんいつぽん、すぎごけのやうにわけられるところまでたときは、太陽たいやうはもうよほど西にしれて、十本じつぽんばかりのあをいはんのきの木立こだちうへに、 すこあをざめてぎらぎらひかつてかかりました。

6

嘉十かじふ芝草しばくさうへに、せなかの荷物にもつをどつかりおろして、とちあわとのだんごをしてべはじめました。すすきはいくむらもいくむらも、はては野原のはらいつぱいのやうに、まつしろひかつてなみをたてました。嘉十かじふはだんごをたべながら、すすきのなかからくろくまつすぐにつてゐる、はんのきのみきをじつにりつぱだとおもひました。

7

ところがあんまり一生いつしやうけんめいあるいたあとは、どうもなんだかおなかがいつぱいのやうながするのです。そこで嘉十かじふも、おしまひにとち団子だんごをとちののくらゐのこしました。
「こいづば鹿しかでやべか。それ、鹿しか」と嘉十かじふはひとりごとのやうにつて、それをうめぱちさうのしろはなしたきました。それから荷物にもつをまたしよつて、ゆつくりゆつくりあるきだしました。

8

ところがすこつたとき、嘉十かじふはさつきのやすんだところに、手拭てぬぐひわすれてたのにがつきましたので、いそいでまたかへしました。あのはんのきのくろ木立こだちがぢきちかくにえてゐて、そこまでもどるぐらゐ、なんのことでもないやうでした。

9

けれども嘉十かじふはぴたりとたちどまつてしまひました。

10

それはたしかに鹿しかのけはひがしたのです。

11

鹿しかすくなくても五六ぴき湿しめつぽいはなづらをずうつとばして、しづかにあるいてゐるらしいのでした。

12

嘉十かじふはすすきにれないやうにけながら、爪立つまだてをして、そつとこけんでそつちのはうきました。

13

たしかに鹿しかはさつきのとち団子だんごにやつてきたのでした。
「はあ、鹿等しかだあ、すぐにたもな。」と嘉十かじふ咽喉のどなかで、わらひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちにちかよつてきました。

14

一むらのすすきのかげから、嘉十かじふはちよつとかほをだして、びつくりしてまたひつめました。六ぴきばかりの鹿しかがさつきの芝原しばはらを、ぐるぐるぐるぐるになつてまはつてゐるのでした。嘉十かじふはすすきの隙間すきまから、いきをこらしてのぞきました。

15

太陽たいやうが、ぢやうど一本いつぽんのはんのさのいたゞきにかかつてゐましたので、そのこずゑはあやしくあをくひかり、まるで鹿しかむれおろしてぢつとつてゐるあをいいきものやうにおもはれました。すすきのも、一本いつぽんづつぎんいろにかがやき、鹿しか毛並けなみがことにそのはりつぱでした。

16

嘉十かじふはよろこんで、そつと片膝かたひざをついてそれにとれました。

17

鹿しかおほきなをつくつて、ぐるくるぐるくるまはつてゐましたが、よくるとどの鹿しかのまんなかのはうがとられてゐるやうでした。その証拠しとうこには、あたまみゝもみんなそつちへいて、おまけにたびたび、いかにもつぱられるやうに、よろよろと二足三足ふたあしみあしからはなれてそつちへつてきさうにするのでした。

18

もちろん、そののまんなかには、さつきの嘉十かじふとち団子だんごがひとかけいてあつたのでしたが、鹿しかどものしきりににかけてゐるのはけつして団子だんごではなくて、そのとなりのくさうへにくのになつてちてゐる、嘉十かじふしろ手拭てぬぐひらしいのでした。嘉十かじふいたあしをそつとげて、こけうへにきちんとすはりました

19

鹿しかのめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなはかはがはる、前肢まへあし一本いつぽんなかはうして、いまにもかけしてきさうにしては、びつくりしたやうにまためて、とつとつとつとつしづかにはしるのでした。その足音あしおともちよく野原のはら黒土くろつちそこはうまでひゞきました。それから鹿しかどもはまはるのをやめてみんな手拭てぬぐひのこちらのはうちました。

20

嘉十かじふはにはかにみゝがきいんとりました。そしてがたがたふるえました。鹿しかどものかぜにゆれる草穂くさぼのやうなもちが、なみになつてつたはつてたのでした。

21

嘉十かじふはほんたうにじぶんのみゝうたがひました。それは鹿しかのことばがきこえてきたからです。
「ぢや、おれつてべが。」
「うんにや、あぶないじや。もすこでべ。」 こんなことばもきこえました。
何時いつだがのきつねみだいに口発破くちはつぱなどさかゝつてあ、つまらないもな、たかとち団子だんごなどでよ。」
「そだそだ、まつたぐだ。」 こんなことばもきました。
ぎものだがもれないじやい。」
「うん。ぎものらしどごもあるな。」
こんなことばもきこえました。そのうちにたうたう一ぴきが、いかにも決心けつしんしたらしく、せなかをまつすぐにしてからはなれて、まんなかのはうすゝました

22

みんなはとまつてそれをてゐます。

23

すゝんでつた鹿しかは、くびをあらんかぎりばし、四本しほんあしきしめきしめそろりそろりと手拭てぬぐひちかづいてきましたが、にはかにひどくびあがつて、一目散もくさんもどつてきました。まはりの五ひきも一ぺんにぱつと四方しはうへちらけやうとしましたが、はじめの鹿しかが、ぴたりととまりましたのでやつと安心あんしんして、のそのそもどつてその鹿しかまへあつまりました。
「なぢよだた。なにだた、あのしろながいやづあ。」
たてしはつたもんだけあな。」
「そだらぎものだないがべ、やつぱりきのこなどだべが。毒蕈ぶすきのこだべ。」
「うんにや。きのごだない。やつぱりぎものらし。」
「さうが。ぎものでしわうんとつてらば、年老としよりだな。」
「うん年老としよりの番兵ばんペいだ。ううはははは。」
「ふふふ青白あをじろ番兵ばんペいだ。」
「ううははは、あをじろ番兵ばんべいだ。」
「こんどおれつてべが。」
つてみろ、大丈夫だいじやうぶだ。」
つつがないが。」
「うんにや、大丈夫だいじやうぶだ。」 そこでまた一ぴきが、そろりそろりとすゝんできました。五ひきはこちらで、ことりことりとあたまをつてそれをてゐました。

24

すゝんでつた一ぴきは、たびたびもうこわくて、たまらないといふやうに、四ほんあしあつめてせなかをまろくしたりそつとまたのばしたりして、そろりそろりとすゝみました。

25

そしてたうたう手拭てぬぐひのひとあしこつちまでつて、あらんかぎりくびばしてふんふんいでゐましたが、にはかにはねあがつてげてきました。みんなもびくつとして一ペんにげださうとしましたが、その一ぴきがぴたりとまりましたのでやつと安心あんしんして五つのあたまをその一つのあたまあつめました。
「なぢよだた、なしてげでた。」
ぢるべとしたやうだたもさ。」
「ぜんたいなにだけあ。」
「わがらないな。とにかぐしろどそれがらあをど、両方りやうはうのぶぢだ。」
にほひあなぢよだ、にほひあ。」
やなぎみだいなにほひだな。」
「はでな、息吐いぎつでるが、いぎ。」
「さあ、そでば、気付きつけないがた。」
「こんどあ、おれあつてべが。」
つてみろ」 三番目ばんめ鹿しかがまたそろりそろりとすすみました。そのときちよつとかぜいて手拭てぬぐひがちらつとうごきましたので、そのすゝんでつた鹿しかはびつくりしてちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿しかはやつとまたちつけたらしく、またそろりそろりとすゝんで、たうたう手拭てぬぐひまではなさきをばした。

26

こつちでは五ひきがみんなことりことりとおたがひにうなづきつてりました。そのときにはかにすゝんでつた鹿しか竿立さをだちになつてをどりあがつてげてきました
してげできた。」
気味悪きびわりぐなてよ。」
息吐いぎつでるが。」
「さあ、いぎおどないがけあな。くぢいやうだけあな。」
「あだまあるが。」
「あだまもゆぐわがらないがつたな。」
「そだらこんだおれつてべが。」
四番目よばんめ鹿しかきました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭てめぐひまへまでつて、いかにもおもつたらしく、ちよつとはな手拭てぬぐひしつけて、それからいそいでめて、一目いちもんさんにかへつてきました。
「おう、つけもんだぞ。」
どろのやうにが。」
「うんにや。」
くさのやうにが。」
「うんにや。」
ごさざいヽヽヽヽのやうにが。」
「うん、あれよりあ、もすここわばしな。」
「なにだべ。」
「とにかぐぎもんだ。」
「やつばりさうだが。」
「うん、汗臭あせくさいも。」
「おれも一遍ひとがへりつてみべが。」

27

番目ばんめ鹿しかがまたそろりそろりとすゝんできました。この鹿しかはよほどおどけもののやうでした。手拭てぬぐひうへにすつかりあたまをさげて、それからいかにも不審ふしんだといふやうに、あたまをかくつとうごかしましたので、こつちの五ひきがはねあがつてわらひました。

28

むかふの一ぴきはそこで得意とくいになつて、したして手拭てぬぐひを一つべろりとめましたが、にはかにこはくなつたとみえて、おほきくくちをあけてしたをぶらさげて、まるでかせのやうにんでかへつてきました。みんなもひどくおどろきました。
「ぢや、ぢや、ぢらへだが、いたぐしたが。」
「プルルルルルル。」
舌抜したぬがれだが。」
「プルルルルルル。」
「なにした、なにした。なにした。ぢや。」
「ふう、あゝ、舌縮したちゞまつてしまつたたよ。」
「なじよなあじだた。」
味無あじないがたな。」
ぎもんだべが。」
「なじよだがわからない。こんどあうなつてみろ。」
「お。」

29

おしまひの一ぴきがまたそろそろきました。みんながおもしろさうに、ことことあたまつててゐますと、すゝんでつた一ぴきは、しばらくくびをさげて手拭てぬぐひいでゐましたが、もう心配しんぱいもなにもないといふふうで、いきなりそれをくわいてもどつてきました。そこで鹿しかはみなぴよんぴよんびあがりました。
「おう、うまい、うまい、そいづさいつてしめば、あどはなんつてもつかなぐない。
「きつともて、こいづあ大きな蜩牛なめくづらからびだのだな。」
「さあ、いゞが、おれうだうだらはんてみんなれ。」
「その鹿しかはみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭てぬぐひをまはりはじめました。
「のはらのまんなかの めつけもの
 すつこんすつこの  とちだんご
 とちのだんごは    結構けつこうだが
 となりにいからだ  ふんながす
 あをじろ番兵ばんペは    にかがる。
 あをじろ番兵ばんペは    ふんにやふにや
 えるもさないば  ぐもさない
 せでながくて    ぶぢぶぢで
 どごがくぢだが    あだまだが
 ひでりあがりの   なめぐぢら。」

30

はしりながらまはりながらおどりながら、鹿しかはたびたびかぜのやうにすゝんで、手拭てぬぐひつのでついたりあしでふんだりしました。嘉十かじふ手拭てぬぐひはかあいさうにどろがついてところどころあなさへあきました。

31

そこで鹿しかのめぐりはだんだんゆるやかになりました。
「おう、こんだ団子だんごばがりだぢよ。」
「おう、だ団子だぢよ。」
「おう、まんまるけぢよ。」
「おう、はんぐはぐ。」
「おう、すつこんすつこ。」
「おう、けつこ。」

32

鹿しかはそれからみんなばらばらになつて、四方しはうからとちのだんでをかこんであつまりました。

33

そしていちばんはじめに手拭てぬぐひすゝんだ鹿しかから、一口ひとくちづつ団子だんごをたべました。六ぴきめの鹿しかは、やつと豆粒まめつぶくらゐをたべただけです。

34

鹿しかはそれからまたになつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。

35

嘉十かじふはもうあんまりよく鹿しかましたので、じぶんまでが鹿しかのやうながして、いまにもとびさうとしましたが、じぶんのおほきながすぐにはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまたいきをこらしました。

36

太陽たいやうはこのとき、ちやうどはんのきのこずゑなかほどにかかつて、すこいろにかゞやいてりました。鹿しかのめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづきひ、やがて一れつ太陽たいやういて、それをおがむやうにしてまつすぐにつたのでした。嘉十かじふはもうほんたうにゆめのやうにそれにとれてゐたのです。

37

一ばんみぎはじにたつた鹿しかほそこゑでうたひました。
 「はんの
  みどりみぢんのもご
  ぢやらんぢやららんの
  おさんがる。」

38

その水晶すゐしやうふえのやうなこゑに、嘉十かじふをつぶつてふるえあがりました。みぎから二ばん鹿しかが、にはかにとびあがつて、それからからだをなみのやうにうねらせながら、みんなのあひだつてはせまはり、たびたび太陽たいやうはうにあたまをさげました。それからじぶんのところにもどるやぴたりととまつてうたひました。
 「おさんを
  せながさしよへば、はんの
  くだげでひか
  てつのかんがみ。」

39

はあと嘉十かじふもこつちでその立派りつぱ太陽たいやうとはんのきをおがみました。みぎから三ばん鹿しかくびをせはしくあげたりげたりしてうたひました。
 「おさんは
  はんのもごき、りでても
  すすぎ、ぎんがぎが
  まぶしまんぶし。」

40

ほんたうにすすきはみんな、まつしろのやうにえたのです。
 「ぎんがぎがの
  すすぎのながぢあがる
  はんののすねの
  んがい、かげばうし。」

41

番目ばんめ鹿しかがひくくくびれて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました
  「ぎんがぎがの
  すすぎのそこ日暮ひぐれかだ
  こけはらを
  ありてもがず。」

42

このとき鹿しかはみなくびれてゐましたが、六番目ばんめがにはかにくびをりんとあげてうたひました。
 「ぎんがぎがの
  すすぎのそごでそつこりと
  ぐうめばぢの
  どしおえどし。」

43

鹿しかはそれからみんな、みぢかくふゑのやうにいてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。

44

きたからつめたいかぜて、ひゆうとり、はんのはほんたうにくだけたてつかゞみのやうにかゞやき、かちんかちんとがすれあつておとをたてたやうにさへおもはれ、すすきのまでが鹿しかにまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうにえました。

45

嘉十かじふはもうまつたくじぶんと鹿しかとのちがひをわすれて、
「ホウ、やれ、やれい。」とさけびながらすすきのかげからしました。

46

鹿しかはおどろいて一度いちど竿さをのやうにちあがり、それからはやてにかれたのやうに、からだをなゝめにしてしました。ぎんのすすきのなみをわけ、かゞやく夕陽ゆふひながれをみだしてはるかにはるかにげてき、そのとほつたあとのすすきはしづかなみづうみ水脈みをのやうにいつまでもぎらぎらひかつてりました

47

そこで嘉十かじふはちよつとにがわらひをしながら、どろのついてあなのあいた手拭てぬぐひをひろつてじぶんもまた西にしはうあるきはじめたのです。

48

それから、さうさう、こけ野原のはら夕陽ゆふひなかで、わたくしはこのはなしをすきとほつたあきかぜからいたのです。





■このファイルについて
標題:鹿踊りのはじまり
著者:宮澤賢治
本文:「注文の多い料理店」
     新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和51年4月1日 発行
              (第14刷)
表記:原文の表記を尊重しつつ、Webでの読みやすさを考慮して、以下のように扱います。

○誤字・脱字等と思われる箇所は、訂正せず底本通りとしました。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○段落番号を追加しました。
○行間処理(行間200%)を行いました。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:里実文庫
    2006年1月2日