明治33年1月10日  正岡子規


○長い長い話をつゞめていふと、昔天竺に閼迦衛奴【あかいぬ】国といふ国があつて、そこの王を和奴和奴王といふた、此王も比国の民も非常に犬を愛する風であつたが英国に一人の男があつて王の愛犬を殺すといふ騒ぎが起つた、其罪でもつて此者は死刑に処せられたばかりで無く、次の世には粟散辺土の日本といふ島の信州といふ寒い国の犬と生れ変った、ところが信州は山国で肴などいふ者は無いので、此犬は姥拾山へ往て、山に捨てられたのを喰ふて生きて居るといふやうな浅ましい境涯であつた、然るに八十八人目の姥を喰ふてしまふた時ふと夕方の一番星の光を見て悟る所があつて、犬の分際で人間を喰ふといふのは罪の深い事だと気が付いた、そこで直様善光寺へ駈けつけて、段々今迄の罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願ふた、七日七夜、棟の下でお通夜して、今日満願といふ其夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願ひ叶へ得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉々々てと仰せられると見て夢はさめた、犬は此お告に力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、一は、自分が喰ひ殺したる姥の菩提を弔ひ、一は、人間に生れたいといふ未来の大願を成就したい、と思ふて、処々経めぐりながら終に四国へ渡った、こゝには八十八個所の墓場のある処で、一個所参れば一人喰ひ殺した罪が亡びる、二個所参れば二人喰ひ殺した罪が亡びるやうにと、南無大師遍照金剛と吠えながら駈け廻った、八十七個所は落ち無く巡って今一個所といふ真際になつて気のゆるんだ者か、其お寺の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思ふた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠け地蔵様が立ってござるので、其地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるやう六道の辻へ目じるしの札を立てゝ下さいませ、此願ひが叶ひましたら、人間になつて後、屹度赤い唐縮緬の涎掛を上げます、といふお願をかけた、すると地蔵様が、汝の願ひ聞き届ける、大願成就、とおつしやつた、大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんので、三度うなつてくるくるとまはつて死んでしまふた、やかて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まつて来て犬の腹ともいはず顔ともいはず喰ひに喰ふ事は実にすさましい有様であつたので、通りかゝりの旅僧がそれを気の毒に思ふて犬の屍を埋めてやつた、それを見て地蔵様がいはれるにほ、八十八羽の鴉は八十八人の姥の怨霊である、それが復讐に来たのであるから勝手に喰はせて置けば過去の罪が消えて未来の障りが無くなるのであつた、それを埋めてやつたのは慈悲なやうであつて却て慈悲で無いのであるけれども、これも定業の尽きぬ故なら仕方が無い、これぢや次の世に人間に生れても、病気と貧乏とで一生困められるばかりで、到底ろくたまな人間になる事は出来まい、とおつしやつた、……………といふやうな、こんな犬があつて、それが生れ変って僕になつたのではあるまいか、其証拠には、足が全く立たんので、僅に犬のやうに這ひ廻って居るのである。(子規)




■このファイルについて
標題:犬
著者:正岡子規
本文:「ほととぎす」 第三巻第四号 明治33年1月10日

○漢字は現行の字体にかえた。
○本文の仮名づかいは、原文通りとした。ただしファイル作成時に補ったふりがなは、【  】の中に入れ現代仮名づかいで示した。
○「子規全集(講談社)」では、段落の頭は一字分空けているが、「ほととぎす」掲載時は、一字分空けていない。その当時はこのような表記の仕方であったのであろう。里実文庫の表記法と一致していることでもあるので、「ほととぎす」の表記法をそのまま採用する。
○明らかに誤植と考えられる箇所は、「子規全集(講談社)」を参照して修正した。修正したものについては、〔 〕に入れて示した。 ○改段は、1行空けることで示した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。

入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2002年9月23日